88 見守りの期限(3)
「さてと、楽しい楽しい牢獄へと戻るといたしますか!」
南雲が立ち上がり、疋田さんにも、
「これでクラスが固定されてさえいれば、中学時代同様のファッションブックとか、いやいやファッションショーとか、いろいろイベント仕掛けられるんだけどなあ。やはり半年で面子が変わるというのはなかなかつらいよね」
「もしや私を二年以降も、規律委員にしようとするたくらみですか?」
「英語科面子変わらないってのがね、俺としてはうらやましいよ。りっちゃんもうまくこのまま規律委員で続けてもらえればありがたいんだけどな」
嘆くのもわかるが、現実問題として二年のクラス分けが待ち構えている普通科の南雲がまず、選ばれるかどうかというのが第一関門だ。
生協を出て後、そのまま校門へ向かおうとした。
「あの」
背中にまっすぐ声をかけられた。はっきりした、立ち止まらないとまずいような呼び掛け方だった。三人、同時に振り返った。
南雲がわざとらしく小声で「きゃあ」と呟く。
「英語科の、立村くん、ですよね」
「そうだけど」
後ろに髪をひとつたばねにした女子と、もうひとり男子が真後ろに立っていた。顔は見覚えあるどころかよく知っている。美里と因縁の深い静内さん、もうひとりは南雲とこれまた複雑怪奇な関係のある名倉。いわゆる「外部三人組」の関崎抜きバージョンだった。もっとも話をしたことはない。名倉は現在、生徒会役員も勤めているから美里から噂を聞くこともある。その程度だ。
━━関崎の親友なら、俺のことをいろいろ聞いてないわけもないか。
ついでに美里とのあれこれも。どちらにしろあまりつるみたくはない相手のはずだ。どんな風のふきまわしだろう。
静内さんはあっさりと頷き、
「ちょっとだけ、時間もらえる? 杉本さんのことでなんだけど」
これまたさらっと質問してきた。考える間もなく、条件反射で上総も答えていた。南雲と疋田さんがそばにいることを一瞬忘れた。
「杉本って、青大附中の杉本のこと?」
「そう、すごくいい子ね、かわいい子」
上総に言うよりも自分としゃべっているような風に呟いていた。
「またなにか迷惑かけたとか、そういうことじゃなくて、かな」
恐る恐る問う。なぜ静内さんがいきなり杉本梨南の名前を出すのか不可解きわまりないけれども、聞かざるを得ない。絶対この口調だと、杉本は外部三人組にまつわるなにか事件にくびを突っ込んでいるはずだ。嫌な予感がする。
「もし杉本がなにか、とんでもないことしていたらごめん、謝るけど」
「謝る必要は全然ない内容よ。端的に言うと今、関崎に会っているとこ。ご存じの通り関崎の性格だと、あの子傷ついてしまいそうだから、迎えに行ってあげたほうがいいと思ったのよ。おせっかいでごめん。それじゃ」
静内さんの隣では敵意たっぷりに南雲を睨み付けている名倉がいる。いろいろな事情は上総も把握しているがそちらに首を突っ込む気はない。ただぽかんとしたまま、
「それと、今のこと悪いけど関崎には内緒にしてもらいたいんだ、じゃあ」
名倉を促して校門方面へむかう静内さんを見送るだけだった。
━━杉本が、関崎に、会ってる?
━━なんでだ?
━━なんで静内さんがそのこと知ってる?
━━ああそうだ、関崎はまだ生徒会の関係で学校にいるのか。
━━けど、なんで俺を捕まえて?
「とりあえず、校舎戻ってからどうするか考えたほう、よくない?」
こういう時普通は南雲が提案してくるのだが、なぜか疋田さんがわくわくした表情で上総にささやいてきた。南雲もそっぽ向きつつ、
「いざとなったら俺たち姿消すから、とりあえず行くだけいってみましょうか、りっちゃん」
やはり促された。もう、行くしかなかった。
走って生徒玄関に戻った。さほど時間は経っていないはずだ。静内さんの話だとついさっき杉本と関崎が会っているということらしい。わざわざふたりも一緒に走ってくれるのはありがたいのか情けないのか、正直わからなかった。
南雲なら今までさんざん面倒かけてきたので上総の事情を把握しているところもあるだろう。だが疋田さんには杉本のことに関して話したことは、実をいうとあんまりない。
━━まあ、知らないわけないだろうしな。
ある程度霧島の手紙やり取りのことで、色々面倒なことになっているとは感じているかもしれない。まがりなりにも三年間同じ中学で過ごしてきて、上総も当時は立村評議委員長だったこともあるのだから、ある程度情報は把握しているだろう。
靴を履き替え、まずどこに行くべきか思案した。
背中で好き勝手に友だちふたりは語らい続けている。
「疋田さん、杉本さんって子、知ってる?」
黙らせたいがかえって間が持たないししかたないのでそのままにしとく。疋田さんは楽しそうに答える。
「私は話したことないけど、噂はね」
「超めんどくさそうな話なんだよなあ」
「話がすべて片付いたら立村くん直々に説明してもらうつもりでいたからね」
思わず転びそうになる。振り返り、上総も疋田さんに向き直る。
「なんだよ、それ、俺が何説明するのか期待してたというわけか」
「だって全然わからないもの。ほら、私、中学時代音楽のことしか頭になかった人間だから、さまざまな人間模様とか委員会活動のドラマとか全然知らないのよ」
「知ってどうするって気もするけどな。過去は過去未来は未来」
「知らないで気がつけば地雷踏んでいたなんて絶対いやよ。だからピアノ馬鹿は単細胞なんだとか言われたらしゃれにならないじゃないの、ねえ」
━━この人と話していると、なんだかたいしたことないように思えてくるな。
たぶん、本当に何も知らなかったのだろう。それは英語科の教室で話をしていた時にもそう感じていた。疋田さんの場合、中学という三年間は音大に向かうためのステップに過ぎなかったのだろう。上総や美里がどたばたいろいろやらかしていても耳に入らない環境だったのだろう。
━━いわゆる外部生に近いのかな。
「けどね、正直なところ、この頃毎日が刺激的」
「ほうほう、それはなぜに」
南雲が面白そうに割り込んでくる。
「学校ってこんなに面白いんだなって。クラス名簿でしか名前知らなかった男子たちと直接話して、こんなに人生いろいろあるのかと思うと、びっくりだもん」
「なにもない人生なんてないよ、どんな人だって」
「やっぱし、しゃべらないとだめだなあって。もう叫びたいよ。私の三年間を返せって。だからどんどん面白そうなことには首突っ込みたいの。武器はピアノの出前でどうってとこで」
けらけら笑いつつ、脳天気にちょこまか生徒玄関に歩いていく疋田さん。
「だから、わざわざ人の恋路を覗きについてきたってことですか、やるねえ」
南雲がまぜっかえす。
上総だけは適当に聞き流しつつ、コートのそでに落ちた白い雪を軽くはらった。
━━関崎と会っているって、どこでなんだろう。まさか生徒会室ということはないだろうし。そもそもまだいるのか杉本は。とっくの昔に帰ったなんて言わないよな。
「りっちゃん、どうした」
「いや、あの、どこいるのか、さっき聞くの忘れたから」
急いで戻ってきたはいいけれど、これから何をしたらいいのかわからない。南雲たちにあおられてはみたけれども、杉本と関崎が語り合った後、わざわざ迎えに行くなんて上総も気まずいし杉本は杉本で烈火のごとく怒り狂う様が予想つく。
「じゃあ、ちょいと様子見てきますか」
たのみもしないのに、元気よく疋田さんが挙手をした。いったい何が疋田さんを燃え立たせているのか、わかるようでわからない。
「あ、前同じクラスだった子がいる。ちょっとかまかけてくるね。立村くんたちはうちの教室で隠れてた方がいいかも」
「いやそこまではしなくてもいいって」
上総が止める間もなく、疋田さんはスキップしそうな勢いで階段付近でかたまっている女子たちに声かけしに行った。コートを脱いでわざわざ週番用の腕章をつけて行く理由も上総には全くわからなかった。
「まあ、悪いようにはならないと思うよ。たぶん」
無理矢理南雲に一年A組の教室に引き戻され、
「疋田さんは失われた三年間を取り戻すために、あえて俺たちとおんなじことやりたくてなんないんだよ。お父さんの気持ちで見守ってやりましょうや」
どちらにしても、上総が今動くのは良策ではないことくらいはわかっていた。わかったところで顔を会わせるべきかどうかもまだ決心がつきかねた。
━━杉本とは、あと一週間しかこの学校で会うことができないんだ。
━━無理してでも会って話しておくべきか。
堂々巡りの中、疋田さんが意気揚々と教室に戻ってきたのはほんの数分後だった。




