87 見守りの期限(2)
「しっかし疋田さん君もあれだね」
学食に腰を落ち着けて適当に飲み物とスナック菓子を並べた。
今の時期は比較的人も少なく席を押さえるのも苦労はない。
高校生の他大学生の姿もまったくないわけではないけれど、盗み聴きされるほど近づかれることもない。気が楽だ。
南雲はコーラの缶をさっさと開けて隣の疋田さんに話しかけた。
「規律に入るまでは本当にどっかのお嬢と思っていたんだけどいまじゃ」
「ピアノの出前だもんね、変わるもんよ」
━━本当に変わるものだ。
一方で変わらないまま青大附高を出ていった宇津木野さんのことを思う。
何度か上総には話してくれたことを改めて南雲に語っている。
「高校入るまではね、音大受かるまではすべてを練習に費やせって先生に言われてたわけよ。指痛めたら遠足や運動会は欠席しなさい、パレーボールなんかもっての他。合唱コンクールよりも自分らのコンクールを優先しなさい、すなわち伴奏なんか辞退しちゃいなさい、なんてね」
上総をちらりと見てえへへと笑う。
「まああの時は立村くんに大迷惑かけたけど、結果、どっちもまるく収まったし。ただねあつ子ちゃんだけはかわいそうだったな」
「そうだね」
短く答えるしかない。ずっと上総も気になっていたことなのだが、疋田さんに言わせると宇津木野さんの音楽感性は、音大目指している疋田さんからしても想像をかけはなれたレベルのものらしい。聞くに耐えない曲を耳にして卒倒するような性格を責めることがどうしてもできないという。一方で疋田さんいわく、
「でも、あつ子ちゃんはちゃんとふつうの女の子だから、すっごく傷ついていたと思うよ。ちゃんとみんなと仲良くして、できたら合唱コンクールも楽しく歌いたかったって言ってたもん。何度も言うけど、立村くんのせいじゃないからね」
言葉を返せずに上総もジンジャエールの缶に手をかけた。
ピアノを始めるきっかけになり、こうやって新しい友達が男女問わず増え、かっこいい言い方すれば「視野が広がった」とも言える。合唱コンクールのどたばたも疋田さんの言う通り上総にとってはプラスに働き、関崎が生徒会に流れた後の規律委員後釜に入ることができた。できれば後期はどんなかたちでもいいから委員会に潜り込みたいと思っていただけに、心底ありがたかった。
ただ、やはり不思議だったのは、
「けどさ、疋田さん、なんでピアノ一筋だったあなたがですね、委員会に首突っ込みたいと思ったのかそれがすごく俺、不思議」
南雲がさらっと尋ねた。疋田さんもあっさりと、
「実は合唱コンクールと重なってたという、例のピアノコンクールがあったんだけどね。結果優勝しちゃったのよ! いやほんとに。あつ子ちゃんが大本命だったんだけど、大穴の私が百万馬券演出しちゃったってわけよ!」
「疋田さん、その言い方、頼むから他の場所では言わないほういいと思う」
さりげなくつっこんでおく。音楽を絡めた優雅な語らいなわけがなく他の連中の前でもこんながらっぱちな話し方をするので上総としてはついはらはらしてみてしまう。さすがに教室では辛うじて音大目指すお嬢様の顔を保っているし、ほとんどのクラスメートは同じように見ているだろう。南雲の前でいい放ったのも今回がはじめてではないだろうか。予想通り南雲は受けた。
「いいなあそののり気に入った! けど大穴馬券と規律委員は真逆じゃねえ?」
「しょうがないじゃない、空いてないんだから。中学みたいにみんなやりたがって委員会に入ったわけじゃないんだから。たまたま関崎くんが生徒会行っちゃったってことで女子たち誰も規律に立候補しなかったからそこに潜ればベストかなって」
「高校における委員会活動の劣化は泣けてくるよなありっちゃん」
南雲の言葉にはしばしため息が出る。これも別の場所で何度も愚痴られたことだった。
「でも、いいんじゃない? 私みたいに今まで全然委員会活動をしてこなかった人がつらっとした顔で潜り込むことできたんだし。南雲くんが委員長やってた頃の規律委員会になんてとてもだけど怖くて潜り込めないよ。女子がおっかないもん」
「まあ確かにな」
ここは上総も自信をもって頷いた。
「私、ご存じの諸事情で演奏の出前は引き受けられるけど部活参加しちゃいけない身の上だから、こうやって委員会を利用できるのってすっごくいい気分転換になるんだよね。ちゃんとピアノの先生にもさ、学内活動頑張ることでピアノにもいい影響でるんですよって強きで押せたし。これからが私の青春街道まっしぐらってとこよね」
「規律委員会は貴重な人材を手にいれたよな。いろんな意味において」
「まったくだ」
上総に向かって南雲はにやつきながら促した。否定はできない。いろいろな意味で、疋田さんには本当にお世話になっている。
上総も特定の女子たち以外と積極的に付き合わないところは変わっていない。もちろん中学から親友に近い友達、あえていえば美里やこずえとは下らない話や人生論やらいろいろするけれども、それ以外の女子には話しかけられない限り口をきかない。言葉には出さないけれども、一年前卒業式でやらかした英語答辞の記憶がまだ残っているのだろう。ついでに引きずりおとされた評議委員長の汚名もまだ噂レベルで鳴り響いているのだろう。面と向かって罵倒する相手はいないし、幸い英語科はクラス替えがないのでこれ以上なにかということは考えにくい。
そんな中で、疋田さんとしょうもなくもつながりを持つことができたのは貴重な縁だと上総は密かに感謝している。本当にいろいろな意味で。
「そうだ、せっかくだしこの機会に聞いちゃっていい?」
「なんなりと」
ブルーベリーゼリーを口に運びながら疋田さんが上総に向かい尋ねた。
「立村くん、なんで清坂さんといまだに仲良くできるのか、ほんっとに昔から疑問なんだけど」
「いきなりそうきたか!」
相づち打ったのは南雲だ。さっと疋田さんを指差しし、
「まあ俺たちはりっちゃんと長年の付き合いだからいろいろ想像もしているけど、第三者からしたら謎だよなあ、りっちゃん、説明してあげんさい」
「まったくどこの方言だよ」
上総も喉をつまらせそうになる。咳き込みつつ時間を稼ぐ。もともと疋田さんは音楽に関していきなり突拍子もない質問を投げ掛けてくることが多いのだが、さすがに今までは恋愛沙汰に関して語ることはなかった。
「これ、他の女子たちもみな不思議に思ってるよ。誰とは言わないけどね。だっていったん別れたじゃない。別れたら普通それで終わりじゃない?」
「別れたら、終わり?」
思わず問う。自分にも問いかける。別れたら、終わり、確かにそうなる。
「うちの学校っていったん付き合ったら長い人多いけど、これだけ閉鎖されている環境で別れたら人間関係崩壊するとわかっているからかなって思ってたのよね。うちの学校悲惨なケース多いじゃない。誰とは言わないけど」
「ああ確かに」
ひとり、大きくため息をつく南雲。
「修羅場の多い学校ではありますな」
「けど立村くんはあれだけはっきり清坂さんを振っておきながら今だに仲良く自由研究やったり遊んだり、生徒会室でだべったりしてるよね。かなりびっくりしちゃうんだけど。普通もう、会いたくないって思わない? 清坂さんの方も」
━━たぶん清坂氏のことあんまり好きじゃないんだろうな。
答えを間違ったらそれこそどつぼにはまりそうだ。上総はしばらく黙って考えを練った。確かに疋田さんの言う通りで、中学時代美里と別れた時の自分の立場がどうなるか、恐ろしいくらい想像できたから、あのままでいたというのがある。一方で自分の本心を押さえきれず卒業式の際にしでかした行動と繋がるわけだが、なぜか美里は受け入れてくれた。本来上総が美里に求めていた「かけがえのない友だち」として存在してくれた。今はそれぞれ別の相手に想いを寄せている現状だけども、その相手が変わろうとも美里とのつながりは決して消えないものだと上総は確信している。
話せば長いことになるし、もともと疋田さんは美里のことを苦手にしているようだしかえって誤解される恐れもある。難しい。
「もともとは友だちだから。それに、俺がおかしいのかもしれないけど、今だに付き合うという概念が理解できないんだ。だから、最初から友だちだったということは変わってないし、今もそうだから」
ジンジャエールが温くなるまで悩んだ結果出てきたのがこの言葉だった。
「ふうん」
今一つ腑に落ちない顔で疋田さんは首をかしげた。
「俺はうらやましいよ、りっちゃんが。ほんと、心底羨ましいよ」
南雲の言葉になぜか重みを感じてしまった。




