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86 見守りの期限(1)

 空は青いがまだ冷え込みも続いている。

「りっちゃん、春休みどっか行く予定あるの」

 規律委員恒例の顔合わせ、帰りの週番が終わったところで南雲が声をかけてきた。本当なら今日は南雲の当番日ではないのだが、たまたま先生に呼び出しを食らったらしく、週番一同が打ち合わせをしている最中にぶつかってしまったという次第だった。

「今のところはいろいろありそうだけど、具体的な日程はまだ決まっていないかな」

「そっかそっか。実はさ」

 なんとなくみなばらばらと帰り出した中、

「春休みに入ったら規律の一年だけでぱあっと打ち上げやりたいよなとか思っててさ。どうだろりっちゃん。都合はどう?」

「できれば春休み前がいいんだけどな」

 南雲相手だし、本音を伝えてみた。どうしても春休みに入るとあの母が無理難題をもってくるだろうし、ついでに言えばピアノのレッスンも休み中もう少し本気でやりたいと思っている。先日とうとう、美里にもばれてしまった野々村先生との事情も、説明してしまえばなんとかなるもの。許してもらえた。

「ピアノ好きなんだなあ」

「そんなんでもないけどさ」

 しばらく脈略なしの話を続けていた。意図的に最近上総は、英語科のクラスメートたちと交流を深めることに専念していた。もちろん羽飛や美里、元評議三羽烏たちとも仲良く話してはいるけれども、意識しないとそちらに流れてしまうのを控えるようにはしている。南雲に対してもそれは同じで、

 ━━やはり、同じ連中としゃべっているのもいろいろまずいしな。

 バランスを意識するようにはしている。もちろんそんなこと、説明などはしなかった。


一年A組の教室になんとなく入り、誰もいないことを確認し自分の席に座った。南雲がその隣で机の上に腰かけた。いつものパターンだ。南雲相手でなくても放課後、手持ちぶさたの時は適当に教室へ潜り込みだべる。さすがに女子がうじゃうじゃしている時はそれも避けたいところだが、今日はありがたくも誰もいなかった。

「最近さ、りっちゃん、吹奏楽の連中とつるんでること多いじゃん」

「確かにな」

 短く答えた。去年の秋、合唱コンクールを通じておきた様々な出来事を通じて、なぜか上総の周りには音楽を通じての繋がりが広がっていった。ピアノを習い始めたことは自分にとって非常に大きな出来事だったのだが、連鎖するように、

「なんか不思議なんだけどさ」

 南雲には話したことがほとんどなかったことだった。思い付くまま話した。

「あの合唱コンクールのあと、俺にとってはすべてが音楽中心で廻り始めたようんが気がするんだ。なんでかわからないけどさ」

「ほうほう、それはどうして」

「まず、うちの学校の、吹奏楽部演奏会のチケット買うはめになったり、そこからなぜか別の学校の演奏会もいかねばならなくなったり、そこからさらに友達個人のピアノ発表会に付き合ったりとか」

「そんなんあったのかあ、全然気づかなかったよ。りっちゃんがまさかねえ。バンドとかそういうの興味なさそうじゃん。洋楽は中学の頃から詳しいけど」

「それから今度は、日本のテレビやラジオだけだと情報が少なすぎるからってことで、俺がそれぞれ海外の放送局の音声聴きとって訳したりとか」

 ここはあえて名前を隠した。関崎の家でだべった時に教えてもらった海外放送局の受信を楽しむというやり方。あれから音楽仲間に話したところいつのまにか上総が自動翻訳機のあだ名も伊達じゃないところを見せつけることになってしまった。

 あまり話すと面倒なことになりそうだ。例はこのくらいにする。

「そんなわけで、最近俺たちとは付き合い悪いわけねえ」

「そんなわけじゃないよ。ちゃんと規律の仕事だってしているだろ」

 不本意な南雲のお言葉に、ちょいとむっとくる。言い返す。

「してるしてる。りっちゃん汗と涙のウィディングドレス見てたら、誰もそれ疑わないって」

 けらけら笑う南雲をにらみつけてやる。南雲の背には鮮やかな冬の青空が輝いていた。


 しばらく南雲とぽつりぽつり話をしていた。

「もうちょっと学校の中で遊んでようよりっちゃん。俺なんてさ、悲惨なんだよ。今だに下宿帰ったら勉強勉強また勉強の日々が続くんだからね。それでも今日はまだこうやってのんびりしてられるけどなあ」

「バイトは?」

「終業式までは免除してもらってるんだよね。なんか昔のバイトで偉い人が、いきなり戻ってきて俺をおっぱらうんだからねえたまったもんじゃないよ」

 なかなか難しい事情もあるのだろう。上総もどうせ今日は暇をもて余している。少しくらい遅くなってもいいだろう。


「あら、立村くん、南雲くんもいるの? どうしたの」

 遠慮がちに入り口の扉が開いた。疋田さんだった。南雲が愛想よく片手を挙げて、

「いや、下校拒否な気分なもんで、りっちゃん捕まえて長話」

 間違ってはいない。正しい説明をした。疋田さんはからっと笑った。

「南雲くんが下校拒否だなんて、笑えるね」

「疋田さんもそういう気分の時ないの」

「あるけど、帰らないとね。いろいろあるし」

 上総に向かい、また笑いかけた。小柄な疋田さんは最初のイメージと違い結構おきゃんな一面をここのところ出してきていた。いや、もともとはそういう無邪気な部分を女子にだけはさらけ出してきたのだろうが、男子たちからは「ピアノのミューズ」とかやたらと崇められていて素を出す機会がなかったのだろう。今では「ピアノ伴奏出前一丁」と自ら名乗り、自主的にクラスの伴奏やプレゼント演奏などに参加している。親友だった同じクラスの宇津木野さんがイタリアに旅だって以来、疋田さんの親しみやすいキャラクターはますます磨きがかかっている。

「んじゃ、せっかくだし三人で生協いってなんか食ってこうよ。今日ピアノのお稽古もとい出前の特訓は」

 南雲の軽口に疋田さんもしっかり乗っかり、

「ないない、つきあうつきあう。立村くんは?」

「俺も暇だから、そのつもりだけど」

 あまりない面子ではあるけれども、なかなか楽しく盛り上がれそうではある。規律委員として後期コンビを組んだのは偶然だったが、ピアノのマニアックな話を聞かせてもらうところから交流が始まり、上総も日本伝統芸能に関しての多少の知識を伝えたりするうちに、クラスメートの中では古川こずえと同じくらいの親しい友達付き合いが続いている。もっとも評議委員の古川こずえとしては弟分の上総が自分たちを差し置いて盛り上がっているのがあまり面白くなさそうだが気にしないことにはしている。

「話はまとまったところで、さあなんか食いましょうレディアンドジェントルマン!」

 おちゃらけながらも相変わらずアイドル顔のシャギーな髪の毛をかきあげる。南雲も一年前は、恋人だった奈良岡さんとのずたずたな別れに傷ついて落ち込んでいたりもしたのだが、今はもうフリーダム。やりたい放題の日々を送っているはずだったのだが、いかんせんその性格を見抜いた両親から、がちがちに厳しい私塾の下宿に追い込まれてしまった。ほんの少しの息抜きも命がけ。事情は大体把握しているだけに、これはお付き合いしないと南雲がかわいそうだ。


 ━━それにしても。

 窓辺からちらと眺める。空の青さは変わらぬまま。

 ━━あいつ、絶対どこかで俺を観察してるよな。

 今朝も受け取った霧島の手紙。

 しかもその手紙をよりによって、疋田さんに託している。

 ふつうだったら美里やこずえあたりだろうに、なぜ、ほとんど繋がりもない疋田さんなのか。そもそも疋田さんは元評議の女子たちとはさほど仲良くもない。同じ規律委員の美里とも普通の挨拶のみだった。

 ━━でも普通だったら、俺をよく知っている奴だったら。

 普通は美里かこずえに手紙を託すだろう。あのふたりのことだから、霧島に頼まれたらなにかかしらうるさくアドバイスしてくるだろう。上総もふたりが気兼ねない相手なのを承知で手紙を突っ返したりするかもしれない。

 ━━それをあえて疋田さんに預けて俺に届けるというわけか。

 露骨に突っ返せないであろう距離のある相手と見てとったのだろうか。

 どちらにせよ、霧島が上総に対しまだまだ伝えたいことがあるのは確かのようだった。手紙の中身は一言一句頭の中に焼き付けられている。

 ━━どうすればいいんだ、俺は。

 

 ひとりになればどうしても、霧島とそれに繋がるよしなごとに心揺らされる。

 ピアノを弾いたり友だちとばかやったり、こうやって問題と直結しない友だちと語らっていればすべてを忘れていられる。

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