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85 初梅の終わりに(7)

 ━━立村先輩がどこかで見ているかもしれない。

 唇を噛み締めたまま青大附高の校門を走り抜けた。誰とも知り合いとすれ違わずにすんだものの、まだ鼓動がやまないのは。

 ━━こんな顔を立村先輩に見られたらまた余計な勘繰りをされる。

 確実な予想だった。

 少しずつ冷えも迫ってくる。口許までストールを巻き直した。

 空はまだ青かった。さっきまで降っていた粉雪も止んでいた。

 

 ━━これからどうすればいいだろう。

 心が完全に凍りつき、なにも感じられなくなったけれども、するべきことはした達成感がある。伝えるべきことは間違いなく伝えた。関崎さんも立村先輩と霧島くんのことについては面倒を見てくれると話していたはずだ。

 ━━絶対に約束は守ってくれるはず。

 卒業式まであと一週間。自分なりに頭の中に予定を組み立てて消化している。霧島くんとは少しくらいなら話す時間も作ることができるだろうし、その際にきちんと話しておこうと思う。菱本先生と狩野先生には別に話さなくてもいいだろう。

 ━━あとは、卒業式後にすればいいことばかり。

 同級生たちとは無理にお別れ会をしたいとも思わない。実は内々ではるみ発クラスメート経由でお別れ会の提案がなされていたがあっさり断った。無理強いはしてこなかったので少しほっとしている。

 ━━あと、どうしようか。

 桜田さんだった。ひとりだけ、どうしても、なにかの形でお別れしたい。


 一度詫びの手紙を受け取ったが梨南は返事を書いていない。

 もうはるみサイドについてしまったのだから当然、敵ではある。

 決して悪意はなかったのだろうし、小学校時代のみよしさんという友達とよりを戻す方を選んだだけのことなのだから、梨南はただ恨んでさえいればいい。これ以上桜田さんとなにかをする必要なんてないのだ。

 ━━でも、このままでいいのかしら。

 できれば公立高校入試の合格発表でりんりん、あっこのふたりが無事に合格することができたのかを見届けたい。まがりなりにもふたりっきりで参考書をこしらえて、四人でアパートの一室くだらない話をしながら過ごした日々は忘れがたい。

 ━━あの時の桜田さんは本当に、私のことを好きでいてくれたはず。

 ありもしない濡れ衣をかけられた時も、はるみから嫌みを言われた時も、梨南の味方でいてくれた。梨南の手を握りしめ、彼氏の東堂先輩にも言い返してくれた。

 立村先輩の問いにも、真っ向から答えてくれた。

 ━━私の味方でいてくれると、宣言してくれた。

 やはり卒業式前に手紙を書くことに決めた。肩が少し軽くなったような気がする。桜田さんははるみと違う。純粋に、梨南を受け入れてくれた。見下すことなく、まっすぐに。最後がどうであれ。

 物理的距離の問題で会えそうにない花森さん、西月先輩にも手紙を書くことにしていた。霧島ゆい先輩にもできれば弟抜きで挨拶したかった。そしてあとふたり。

 ━━古川先輩と清坂先輩にも、ご挨拶しなくてはいけないわ。

 はっと気がついた。本当はもっと早く意識しておかねばならなかったのに。

 よほどあの、手のかかるあにおとうとのことで頭がいっぱいだったのだろう。

 関崎さんにすべてを預けておけば、あとはもう考えなくてもいい。


 家に戻りすぐ梨南は受話器を片手にダイヤルを回した。

 生徒手帳に書き付けてある古川先輩の自宅だった。


 ━━おひさー! 杉本さん、どうしたの突然。

 いつもの明るい声が受話器の向こうから響いてくる。

「今、お時間よろしいですか」

 ━━大丈夫だよ! もう期末試験もなんだかんだいって片付いたしね。杉本さんも、あっそっか。もう少しで卒業なんだよね。

「あと一週間です」

 お世話になりましたというべきか。古川先輩も「卒業おめでとう!」と脳天気な言葉を返してはこなかった。

 ━━そっかそうだよね。杉本さん、いつ頃青潟を出るんだっけ?

「二十六日に出発予定です。お世話になる家の方といろいろ打ち合わせする予定でおります」

 ━━じゃあまだ時間あるかなあ。あ、実はさ、私も美里やゆいちゃんと相談してたんだけど。

 いきなり連絡をとりたい人たちふたりが古川先輩の言葉から飛び出してきた。

 ━━私んちでさ、杉本さん激励会やろうかって今話をしてたんだよね。

「激励会、ですか」

 お別れ会、さよならの会、送別会、ではないのに戸惑う。古川先輩は続けた。

 ━━そうそう。こういったらなんだけど杉本さん、この学校にあんまりいい思い出ないと思うんだよね。あんまりじゃないってほんと私たち先輩一同も思うもん。けど杉本さん大好きな人だってたくさんいたんだってことをちょっとは覚えててほしいなってことで、杉本さんの時間の合うときに美味しいケーキと紅茶でおしゃべりしたいなあって。うち、男子禁制ってわけじゃないけど、やっぱり女子だけのほうが母さんも神経使わないしいいかなってのがあってね。どうだろ、このメンバーでなら楽しそうじゃん?


 ━━古川先輩は、最初から最後まで、私の味方でいてくれたんだ。


 なにかもっと伝えるべきことがあるような気がしたけれど、口からこぼれるのは事務的な感謝のみ。伝わってくれればいいのだが。

「古川先輩、ありがとうございます。先輩のご都合に今なら合わせられます」

 ━━そっか。だったらさ、これからすぐ美里に連絡していつがいいか相談してみるよ。ほら、美里もさ、生徒会のいろんなことで忙しくて予定てんこ盛りらしいんだよね。それからゆいちゃんも、なんでも今年の春お嫁さんに行っちゃうから。

「存じております」

 霧島弟からの報告は受けている。

 ━━あっそっか。キリオくんと一緒だもんねえ。まあ、どちらにしても、杉本さんが楽しんでくれるように私たちもちゃんと準備するからね。それと、だけどさ。

 ここで古川先輩は言葉を止めた。すぐに切り替えた。

 ━━ううんなんでもない。連絡くれて助かったよほんっと。じゃあまた詳しいこと決まったらすぐ連絡するからね。

 何を言いかけたのだろう。問おうとして梨南も口をあえて閉ざした。

 やぶへびにはなりたくなかった。

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