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83 初梅の終わりに(5)

 少しずつ温度が下がってきているようだった。空調が壊れているわけでもなさそうなのになぜか寒い。梨南は声を励まして続けた。

「一点目のお願いは以上になります。そして二点目なのですが」

「なにか?」

「こちらはこれから関崎さんがこの学校にいらっしゃるという前提でのお願いになります。特に、退学、転校などのご予定はございませんか」

「いやない」

 少しだけ不機嫌そうだったが怒られはしない。ゆっくり尋ねてもよさそうだ。もっとも大切なことを切り出すタイミングを見極めたかったが、ちょうど今がその頃らしい。

「それであれば安心いたしました。お願いしたいことと申しますのは霧島くんのことです。霧島くん、ご存知ですか」

 知らないわけはないだろうが念のために。関崎さんはすぐに答えた。

「あの、現在中学にいる、生徒会長の」

「おっしゃる通りです。彼は現在諸事情により私と同じクラスで学んでおります。多少なりともご存知かもしれませんが、彼はかねてより立村先輩と兄弟の杯を交わした仲です。詳細は省きますが、現在ふたりの間で少々面倒なトラブルが起きております」

 すぐにぴんときたのか、関崎さんは納得げに頷いた。興味を惹かれてはいるようだ。

「話は聞いている。新井林とのことか」

「よくご存知ですね。事情は私も把握しておりまして、結論から申し上げれば悪いのは霧島くんです。立村先輩が許せないというのは理解できなくもありません」

「その事情は俺もよくわからないんだが」

「お話することはできません。個人的な問題になります」

 静内さんには話したけれども、それは立村先輩や霧島くんのことをほとんど知らない相手だからだ。関崎さんにそれはできない。たぶん黙っていても情報は入っているだろう。新井林もなついているくらいなのだから。今さらなにという気もするけれど、告げ口女という誤解を招きたくはない。

「ただ、立村先輩がもし霧島くんをこのまま見捨てた場合、かなりシリアスな状況に陥るのではということを私は危惧しております」


 ━━伝わっているだろうか。本当に。

 時々様子をうかがってみるのだが、憮然とした態度以外なにも見えない。

 おぼろげにわかるのは、梨南を礼儀正しく拒絶しているという気持ちのみ。

 ━━これで最後。もう二度と会うことなんてない。

 そのまま続けた。空白がどこかで入ったとたん、崩れそうになりそうだから。

「清廉潔白の士であればまだしも、あの立村先輩が人を裁く権利などありません。それゆえに私は立村先輩しか霧島くんの罪を許すことができないのではと考えております」

「申し訳ないんだが、俺は何を言われているのかが全く理解できない」

「さようでございますか」

 ━━これだけわかりやすく話してわからないわけないじゃない。

 ふっと、どこかがまた冷えた。関崎さんの続く言葉に、ぐさりと刺されるがめげない。最後なのだからと言い聞かせる。

「清廉潔白かどうかはとともかく、立村と霧島との間の諍いをなぜ俺に話す必要があるんだろうか」

「簡単なことでございます。私が去った後、そのことをお願いできるのは、今のところ関崎さんしかいらっしゃらないからです」

「なんで俺が?」

「関崎さん、お分かりのはずでございます。霧島くんは関崎さんに、先日なんらかのお願いをしたはずです。先日の日曜に、市立図書館にて」


 ━━切り札。

 しょぼくれている霧島を見るに見かねて梨南は、いくつか提案を行った経緯がある。霧島ゆい先輩がいないであろう時間帯を見計らって電話をかけたり、E組の教室では菱本先生の目を盗んで説明したりさまざまな案を授けた。

 そのうちのひとつだった。

 予想通り、関崎さんはけげんな顔をして梨南を見た。

「なんでそれを知ってるんだ?」

「私がそれを強く勧めたからです。来年以降も同じクラスでかつ、しがらみのない先輩は関崎さんしかいらっしゃらないからです。羽飛先輩、清坂先輩、古川先輩、その他いろいろ考えましたがどの方も霧島くんに対しては冷ややかな扱いをされてます。自業自得といえばそれまでですが、関崎さんだけは霧島くんに対してそれなりに公平な見方をなさってらっしゃるはずです。利害関係がないとも申しましょうか」

 しっかり理由を説明した。言葉を重ねれば重ねるほど疲れてくる。これだけ言ってもなぜ伝わらないのか。想いも痛みもなにもかも。関崎さんはやはりぴんとこないようでとんちんかんな返事をかえす。

「利害関係?」

 ━━あたりまえのこと。関崎さんしか霧島くんを色眼鏡なしに見てあげられる人はいないのだから。さっきの静内さんが私に接してくれたように、かつての関崎さんが私のお茶をしっかり飲んでくれたときのように。

 なんだか説明するのがおっくうになってきた。言いたいことだけ伝えることに切り替えた。 


「私が来年以降も青潟におりましたら多少の手伝いはします。しかし、現段階ではそのことも叶いません。私と立村先輩、および霧島くんとは多少の縁もあり、このままいがみ合ったまま過ごすことは決して望みではありません」

「だったら直接立村に話をすればいいことじゃないのか?」

 ━━やはり、そう思うのね。

 あたりまえのように関崎さんは立村先輩の名前を出した。

 梨南といえば、立村先輩が保護者のように。

 ━━ほんとうに、ほんとうに、この人は私が嫌いなんだ。

 ━━さっさと厄介払いしたいんだ。

 ━━でも、この人は完璧なローエングリンだから、紳士な振る舞いをしてくれているだけなんだ。

 今さらながらなぜこんな時に思い知らされてしまうのか。

 立村先輩の名前を出された時にかならず切る防御着をまとうように、梨南は冷ややかに答えた。

「いいえ、私は女子である以上フィルターがかかってしまいます。正当な答えをいただくことは難しいでしょう。卒業式までまだ数日ございますので私なりにそれなりの対処はさせていただきます。ただ、四月以降は私も手を下すことが一切できません。それゆえに男子としての意識を持った関崎さんに、今後のお手伝いをお願いしたいのです。どうか、内密ながら、ご協力を賜れると幸いです」


 ━━結局、面倒くさい私を、立村先輩に押し付けたいだけなんだ。

 ━━私のほしいものは、永遠に手に入らない。

 ━━完璧なものは私にはふさわしくないというように。

 ━━学校も、お母さまも、そして関崎さん、あなたも。

 この件を処理するにあたっては、梨南はどうあっても完璧でいたかった。

 振られて泣き崩れる女子にはなりたくなかった。

 立村先輩に憐れまれて回収されるような女子ではいたくなかった。

 事務的に、冷ややかに。決して泣かない。すべてが終わるまでは。


 不意に、梨南の背中で、扉のしっかり開く音が響いた。

 音楽室の扉から覗きこんでいたのは、よく知らない女子生徒だった。制服は青大附高のものだから梨南よりも年上ということは当然理解している。関崎さんが露骨にほっとした顔をして頷いてみせたのは、知り合いだからだろう。見た感じ明るそうで、どちらかいうと清坂先輩と同じ雰囲気を持っているように感じられた。小脇にファイルらしきものを抱えて微笑んでいる。

「関崎くん、ちょっとごめん、今、頼まれごとあるんだけど入っていい?」

「俺に用か?」

 その女子生徒は梨南に笑顔のまま頭を軽く下げた。附属上がりだろう。静内さんとは違い、ひとめで杉本梨南だと見抜いたような意味ある笑みだった。関崎さんの耳元になにかを囁き、また梨南をちらと見ている。

 ━━私が関崎さんと一緒だから、またとんでもないことをしでかすと思い込んでいるのかしら。巨大な秘密組織かしら。

 女子にはきちんと礼をするのが梨南のやり方。頭を下げた。

 関崎さんがびっくりした顔でその女子生徒になにか言っていたが聞き取れなかった。そそくさとその女子生徒は蓋の開いた艶やかなグランドピアノの前で演奏の準備を始めていた。

 ━━ピアノの練習かしら。

 また彼女は梨南に微笑みかけた後、すぐ関崎さんに目線を送った。あっという間に彼女の指からこぼれ出す、聞き覚えのあるメロディ。合唱コンクールでかならず流れるこの曲。そして、

 ━━まさか。

 

 関崎さんがお腹に片手をおくようにして、その曲に合わせて口を開いた。

 言葉ではない、完璧な歌が。

 完璧な音の流れが。

 寄り添い、時おり間奏でふくらむようなピアノの音色。

  

 ━━立村先輩とは全然違う。

 いつか、立村先輩と一緒に古川先輩宅でピアノの練習につきあったことがある。

 さみだれのようなあぶなっかしい、立村先輩の演奏に他人事ながら心配になった覚えがある。あの時立村先輩は梨南をそばにおきたがって、聴かせたがっていたけれども、はっきり言って今聞いている曲とは雲泥の差だった。

 ━━今目の前に、確かにローエングリン様がいる。

 ━━すぐそばにいるのに、手が届かない。

 朗々と響き渡る関崎さんのバリトン、ちらっと誰かから、関崎さんは高校に入って以来カラオケに目覚めたとか色々聞かされたが、本当はこんななみなみたる歌声を隠し持っていたことに、気づかなかっただけなのだろう。

 ━━でもなぜ、どうして突然、歌の練習なんてしだしたの?

 高校の卒業式一発芸で、歌わされるのだろうか。

 ━━それでもこの歌声は、なぜ、なぜ関崎さん、今私に聴かせてくれたのですか。ピアノを弾いているそこのお方、なぜ、私のためだけに?


「モルダウの流れ」一番のみ歌い上げた関崎さんを置いて、すぐにピアノ伴奏の彼女は立ち上がった。楽譜を閉じ、にたっと笑い、

「関崎くん、どうも。じゃ、私、用事あるから」

 さっさと荷物抱えて出ていった。てっきり二番も歌うつもりでいたのか、関崎さんが呼び止めるも、二言三言ささやかれてそれっきりだった。


 ━━もしかして。

 彼女の腕に、緑と白の腕章が安全ピンでぶら下がっていたことに気がついたのはそのあとだった。意味するものがなんなのか、一瞬のうちに梨南はさとった。

 ━━週番用の腕章だわあれは。

 週番を担当するのは、中学高校問わず規律委員だったはず。

 たしか、規律委員といえば。

 ━━立村先輩は規律委員だったはずだから。

 謎が解けたとたん、関崎さんの歌声でとろかされたはずの身体がふたたび凍っていきそうだった。空は青い。まだ明るい。なのに、冷たい。


 

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