81 初梅の終わりに(3)
「静内さん、ちょっと」
階段を昇ろうとした時、静内さんが知らない女子生徒に声をかけられた。
「どうしたの」
「ちょっといい?」
一階から二階に向かう踊り場で手招きされ、小声でなにか話をしている。
ちらりと梨南のほうを見ている様子だったが内容は聞こえない。梨南が知らなくとも、きっと向こう様はご存じなのだろう。さまざまな噂レベルのことを。予想はつく。さらに卒業式直前ともなればなおのことだ。吹き込むなら吹き込めばいい。
━━もう、言うべきことはあのお方に伝えることのみ。
関崎先輩にさえ会えればいいのだ。
関崎先輩に、ついさっき静内さんに話したことを伝えればいいのだ。
それさえ終われば、もうすべて片がつく。
これから先、静内さんが梨南に対する善意の見方を一瞬のうちに変えたとしても悲しくなんてない。
思うより先に、声が出ていた。
「私、やはり玄関に戻ります。ありがとうございました」
「え、どうしたの、行かないの? 関崎のとこに」
━━なぜ、あの人の名前を。
身体の奥から激しく汗がわいてくるようだ。
「外で待つのが礼儀ですから」
「ちょっと待って、私も行くから」
梨南に呼び掛けたあと、静内さんは話しかけてきた女子生徒に、
「急ぎじゃなければまたあとで話、聞くから、じゃあ」
あっさり交わして、二段飛びですぐ降りてきた。梨南が生徒玄関に戻るまもなかった。
「杉本さん、それならせっかくだし、玄関でもう少し話そうか」
「なにをでしょうか。静内先輩のお時間をいただくのは申し訳ございません」
「いいの。私も関崎の話をもう少し聞かせてほしいしね。なんせ、外部生は附属上がりの人たちが知っていることが全然わからなくて、毎日が未知との遭遇なの。同級生と話が合わなくて私も困っていたんだ。本当はね、こんな急ぎじゃなくて、ゆっくりとどっかの公園でおにぎり食べながらしゃべりたかったんだけど、事情が事情だししょうがないし」
「情報収集と言うことですか」
「まさか。私が杉本さんに興味津々だってだけ。なんかね、やっと話の合いそうなな子に会えたのに、残念ながら今日でさよならなんてすっごく辛いもの」
━━話が、合いそう?
わけがわからなかったが、静内さんが梨南に対して好感を持っていることだけは確かのようだった。青大附属の女子先輩たちはおしなべて梨南に対し優しい。外部生の静内さんも理由は不明だが梨南に強烈な興味を抱いているようだ。
「関崎もまだ降りてきてないようだしもう少しゆっくり話そうよ」
「でも、ロビーはまずいと思います。先ほどの方も私が青大附中生のくせに入ってきていることをいぶかしげに思ってらっしゃいましたし」
「わかったわかった。それなら、外靴にして、生徒玄関の中。それでどう?」
最初はずいぶん感情の波が少なさそうな人だと思ったのだが、時間が経つにつれそのイメージも変わってきている。別に笑顔が増えたとかそういうわけではなく、梨南に接する温度が比較的高い、といったところだろうか。
生徒玄関に戻ったけれども、静内さんと語り合う間はほとんどなかった。
「あれ、杉本さん、どうしたの。立村待ってるの」
さみだれに現れる女子先輩たち……静内さんとは接点なさそうだ……が梨南に笑顔を向けてきて、みな同じことを声かけしてくる。だから最初から隠れていたかったのだが、静内さんを責めてもしょうがない。外部生の方にはわからない問題だ。
「いえ、違います」
「そっか、ごめんね、じゃあね」
また会えるようなのりで、女子先輩たちは楽しそうに手を振って去っていく。静内さんには声などかけない。クラスが違うのだろうか。
「なんか三人とも同じこと聞いてきてるね」
さすがにここまで連続となると、静内さんも不気味に思ったようで梨南に答えてほしそうな顔を向けてきた。青大附属上がりの人であれば常識なのだろうし、結局梨南は立村先輩の溺愛する妹分扱いされているだけのこと。どんなに関崎先輩に想いをかけたところで、周囲の眼差しを変えることはできない。
「話したくないなら聞かないけど、大変そうだなとは思った。それだけは言っとくね」
「いえ、説明させていただきます」
もう会う可能性の低い人だから、少しは誠意を持って人名出して説明してもいいだろう。まだ青空のまま、生徒玄関の外の天気は変わらず粉雪が舞っている。
「静内さんは、立村先輩をご存じですか」
「関崎と同じ英語科にいて、確か規律委員だった、くらいかな」
「それだけですか」
恐る恐る問う。青大附属上がりであれば梨南と立村先輩との因縁および昨年の卒業式における事件を知らないわけがない。静内さんだから出方がわからない。
「英語の万年トップとも聞いているよ。そのくらいかな。あ、あと」
「あと?」
ひとつたばねにした髪の毛を指先で滑らせるようにして、
「うちのクラスの清坂さんと前、付き合っていたことくらい? 私、わからないんだよね。いったんすったもんだして別れた相手と今だに仲良く肩並べて話しているのって、なにかけじめがないようでいい気持ちしないよね」
「清坂先輩ですか」
なんとなく、静内さんは清坂先輩にあまりいい感情を持っていないような口調だった。ちょっとだけ舌打ちもしている様子だった。もちろん露骨に打ったりはしないけれども。どういう事情かわからないけれども。
「私は清坂先輩によくしていただきました。一年の時、前期だけ評議委員を勤めたことがあり、清坂先輩には本当に可愛がっていただきました」
「そうなんだ」
あっさり答えた。言葉が届いてない。梨南は続けた。
「その時清坂先輩と一緒に評議委員を勤めてらしたのが立村先輩です。クラス替えがないので、三年間一緒でした」
「三年間か、長いよね」
「立村先輩は清坂先輩と違い、自分でぱっぱとなにかをなさるタイプではありません。全部清坂先輩が面倒を見てあげてました。だから、評議委員長にも選ばれましたし、前期だけでしたけれどもちゃんとすることはしてました。不細工で英語以外の能力が大幅に足りない人なのに、清坂先輩は懸命に立村先輩をサポートしてらっしゃいました」
「弟、みたいな感じなのかな、とすると今の仲良しぶりって」
━━弟?
戸惑うが考えている間もなく、言葉がこぼれでる。
「わかりません。ただ言えるのは、清坂先輩は立村先輩がいいかげんな言動を取り、私を引きずり回したりわけのわからないことを話したりした時も、決して見捨てたりしませんでした。立村先輩程度の人が清坂先輩にふさわしいとは思えません。なによりも清坂先輩は」
言うべきか。迷うが、話の流れ上伝えざるを得ない。いいのだ、どうせもう二度と会わない人だ。せめて静内さんが清坂先輩を誤解しないでほしいというただそれだけのことだ。
「去年の卒業式の時、立村先輩は英語答辞を任されました。無難にやりとげたところまではよかったのですが、なにを血迷ったのか私の名前を出して、私がアドバイスしたから成功した、という説明を壇上でされたのです」
「お礼の言葉って奴? 杉本さん、ありがとう、君のアドバイスのお陰だよって、勇気あるね」
目を丸くしている静内さん。本当に知らないらしい。
「こっそりおっしゃるのなら私はありがたく受けとりました。確かに立村先輩には、そのような提案をいたしましたから。ただ、保護者もいるなかで、本来もっとも感謝しなくてはならない相手である清坂さんになにもなく、私にだけえこひいきのようなことをなさるのは、非常識にもほどがあります。私は清坂先輩に縁を切られることを覚悟しました」
「付き合っている相手が、別の子に告白、というか」
「違います、あくまでも、アドバイスということに対する感謝です!」
これだけは誤解されたくない。梨南は髪の毛が乱れるくらい首を振った。
「でも、他の人たちは静内先輩が今おっしゃられたような誤解をされてます。否定するのは非常に難しく、恐らく先ほど私にお声がけいただいた方々もそうなのでしょう。清坂先輩ももしかしたらそう感じられているかもしれません。私も誤解を特機械がございませんでした。立村先輩が次から次へとわけのわからないことをなさるからです」
━━本当に、最初から最後まで、問題ばかり起こす人だわ。立村先輩は。
心によぎる記憶、声、眼差し。髪の毛を箒がわりにしてちり取りでまとめたい。
「でも、清坂先輩は最後まで私に対してやさしく接してくださました。心底可愛がっていただきました。もし立村先輩がなにか問題起こしたらささえてほしいとまででおっしゃいました。そういう方なんです」




