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80 初梅の終わりに(2)

 ━━あくどい噂ばかり流れている私と話して何か目的でもあるのかしら。

 しばらく静内さんの問いかける言葉に答えていた。最初は用心していたつもりだったが、梨南の知る女子先輩たちの言動とは異なるなにかに興味を引かれたというのが正直なところだ。笑顔を満面に張り付けて問う訳でもない。梨南の過去を掘り起こしたいわけでもなさそうだ。ただ、なぜ関崎先輩に会わねばならないのか、その理由を深く知りたいだけのようだった。


「固有名詞をあえてはずしますが」

 それでもやはり気を遣う。

「諸事情で彼、つまり私の弟分のような男子ですが」

 青大附中生徒会長たる彼とは気づかせないようにしたかった。

「彼は、ある女子に熱をあげておりました。その女子には恋人がおりました。届かぬ思いということは理解していたのですが、ある日その女子に別の恋人がいると判明いたしました」

「浮気、ってことね。あるよねそれ」

 しみじみ呟く静内さん。ロビーでは通りすがる他の生徒たちが梨南をめざとくみつけてはヒソヒソ呟くけれども、静内さんは全く意に関しないようだった。

「男子の心理は把握しかねますが、彼は憤り彼女にその本意を確認しようとしました。彼女は内緒にしてもらうという条件付きで、いくつかの取引をしたそうです。具体的にはあえてのべませんが、そのことを知った私の」

 ━━なんと言えばいいのかしら。

 どうしてもここから先は、立村先輩のことを語らねばならなくなる。あえて無機質に彼、彼女と言葉を選んでみたものの、ちょっと鋭い人ならばきっと誰が登場人物なのかをすぐ把握することだろう。

「杉本さんの、お友だち?」

「間違えました。彼の兄のような存在の人です」

 辛うじて言い繕った。間違いはほぼない。

「その人に彼は非常にきつく叱られ、兄弟分の縁を切るとまで言われました」

「任侠映画の世界ね」

 しみじみ感嘆する静内さん。ふうとため息をついた。

「その後彼から詳しく事情を伺い、本来であれば私がふたりの間を取り持つ必要があるのではと考えました」

「なんで? 杉本さんには関係ないじゃないの。男子同士のことはそれぞれに任せてしまえばいいのに」

「もちろん普段であればそういたしました」

 静内さんの言う通りだと梨南も思う。本来であれば梨南は部外者だ。霧島くんとの繋がりも所詮はE組経由のもののみだし、何も無理に人肌脱ぐ必要なんてないはずだ。ましてや、絶対に会うことが許されない……梨南基準ではあるけれど……関崎先輩と顔を合わせることも本来はない。理屈ではそうなのだ。

「でもなぜ、私の話に興味をお持ちになるのでしょうか」

 いったん言葉を留めた。

「寒い中、ロビーに案内していただけたことには感謝いたします。関崎先輩のお友だちということも承知しております」

 目に力をいれ改めて静内さんに話しかけた。

「でも、外部入学でらっしゃる静内先輩にとってはあまり関係のないお話ではありませんか。私を嫌う人たちであれば、叩く材料にはなるでしょうが」

「なんでだろう。私もわからないんだけど」

 静内さんはふっと、梨南に、真面目な顔で答えた。

「妙だよね、会った時から、外部生っぽさみたいなのを感じたんだ。杉本さんに。青大附高に入ってもうそろそろ一年経つけど、女子でそういう雰囲気の子ってあんまりいないんだよね。話してて、ああ、ほっとする感じの子がね」

「私は典型的な附属中学生ですが」

「だからなんか不思議。なんかね、不思議の国のアリスが自分の世界に戻ってきた時の気分ってこういうのかなって。だから、無理言って、話してみたくなっただけよ。いやだったらごめん」

 静内さんは、梨南をしみじみと見つめた。


 少し言葉が途絶えた。お礼を言うのも間抜けなので梨南は聞き流したふりをしてさらに続けた。

「先ほどの話の続きです。私に時間が残されていれば、おそらくふたりの間を取り持つなり、様子見したりしていたことでしょう。静内先輩のおっしゃる通りです。ご存じの通り、私にはもう青大附中の生徒として、さらには青潟にいる時間も限られています。そこで白羽の矢を立てたのが関崎先輩でした」

「そこで関崎なんだね」

「関崎先輩とは過去に事情があり、私はもうお会いするつもりなどありませんでした。約束を守れなかった私が悪いのです。しかし、いがみ合っている兄弟分の先輩後輩を双方ともご存じで、かつ周囲からの信頼も篤く、また、兄となる方と比較的親しくお付き合いできる立場の方、となると関崎先輩しかいらっしゃらなかったのです」

 ━━聞かれたらどうしよう。

 口が回るのに任せてしゃべってしまったけれども、ここまでさらけ出してしまえば立村先輩について語らざるを得なくなる。できるだけ迂回してそこにはふれないよう努力してきたけれども、あとは静内さんの出方に任せざるを得ない。

「確かにね。関崎は一部のアホな連中除いて、信頼受けてるもんね。ローエングリンかどうかは別としても、仲裁役には、まあいいのかな」

「他の先輩たちに頼むと、必ずどちらかの肩を持つことになります」

 梨南は言い切った。

「附属上がりの先輩たちでかつ同じ学年であればどうしても、兄の立場たる先輩に味方するでしょう。また後輩に関してもしたことが真実でかつ、社会一般的に許されないことであれば風当たりも強いでしょう。今中立の立場でなんとかできそうな力を持つ人は、関崎先輩しかいません。関崎先輩のような完璧な人しかきっとできません。あのどうしようもないふたりを、救ってくれるのは関崎先輩しかいらっしゃいません!」


 思わず叫んだ。

 ━━そう、あの方しかいない。

 霧島の悪事告白については、もうなにも言うことはない。

 はるみに対して事実関係ともかく脅しに入ったのは事実だし、それにともないいくつかのごほうびを得ていたのも、認めている。梨南もはるみがしてきたことについて同情はしない。浮気された新井林にはご愁傷さまとしかいいようがない。

 ただ、このままでは。

 ━━霧島くんは、私と同じ道を辿る。


 三年間、誰にも負けなかったつもりだ。成績も最後まで新井林を寄せ付けずに学年トップを守りきった。はるみを始めとする親切ごかしの女子たちにも最後まで頭を下げなかった。桧山先生のような一方的に梨南を嫌悪する大人たちにも、また本来評価されるべきことを別の生徒にあっさり譲らせた校長にも。

 梨南は戦った。三年間、全力を尽くして梨南たる誇りをまもりぬいた。つもりだった。

 言ってどうする、心によぎる言葉をあえて無視した。静内さんであればたぶん、誤解せずに聞いてくれそうだしわからなければ外部生の無責任さでこちらから諦められる。ちょうどいい語り相手だった。


「これから、私が卒業してから、静内先輩は私の悪い噂をすべて知ることになると思います」

 たとえば、と言葉を区切り、

「前生徒会長を小学校時代にいじめてこきつかったとか、不良たちとつるみ気に入らない男子たちと罵り合いしていたとか、修学旅行で粗相してしまったのを他の女子に押し付けたとか、極めつけは関崎先輩が嫌がるのを無視して追いかけ回したとか。もうご存知であれば失礼いたします」

「それは事実なの? 結局行き着くところはそこなんだけど」

「事実もあれば濡れ衣もあります。明らかな誤解や悪意は面と向かって抗議してきました。納得行かないことはとことん追求してきました。受け入れざるをえないことは、涙をのんだこともあります」

 でも、と続けた。

「私には戦えるだけの力がありました。関崎先輩が私のことを、誤解なき眼差しで、信じてくれていたからです」

「関崎が、そう言ったの?」

 ひとりごとのように、それでも静内先輩は問いかけた。

「はい、二年前に、青大附中と水鳥中学の生徒会が交流を持った時、私にそう言ってくださいました。あらゆる私に関する悪意を信じずに、私がくんだお茶をそのまま飲んでくれました」

「お茶? 飲んだ? それだけで?」

「はい。関崎先輩は嫌われ者の私がくんだお茶を、何杯も全部飲み干してくれました。他の男子たちは気持ち悪がって触ることすらしないのに」


 自分でもわかっている。本当はたまたま関崎先輩の喉が渇いていただけ、礼儀正しくふるまっていただけ、梨南を認めてくれたわけではないということくらい、この三年間で十分理解している。

「くだらない思い込みかもしれません。私が言いたいのは、その時の関崎先輩のふるまいだけで、青大附中で過ごした戦いの日々を乗り越えることができたという事実です」

「でも。そのくらいのことであれば他の人も」

 口を挟みかけた静内さんに、首を振って制した。

「私の欲しかったものを、関崎先輩はあの時すべてくださいました。もう、これは言葉にはできません」


 差し伸べてくれたローエングリンの手がどれだけあたたかかったか、一瞬の記憶だけで梨南は生きてきた。きっと、卒業したあとも梨南はなずな女学院で関崎先輩のことを思って日々を送るだろう。はるみのようにあちらこちらの男子に色目など使う気もない。

 

「私と違い、その弟分の彼は、ローエングリンに当たる方が一人しかいません」

 あらためて梨南は静内さんに向き直った。

「しかもその兄に当たる人は、ローエングリン様とは比べ物にならないくらいの情けない人です。それでも、その人から縁を切られたら、たぶん弟分の彼はもう青潟大学附属で生きていけません。あれだけの問題を起こし、心の支えなしで生きていけるような、強い男子ではありません。私が関崎先輩にお会いしたいのは、ひとえに、そのためです」


 静内さんはさらりと、それでも関心を梨南に向けたまま聞いてくれていた。話が落ち着いたところで立ち上がり、

「行きますか」

 促した。

「今話してくれたことくらいなら、関崎はスグにやってくれそうだしね。でも、いつかはわかると思うけど」

「何をでしょうか」 

 何かを言いかけ口ごもった静内さんだが、

「ううん、なんでもない。杉本さん、三年間、本当によく戦ったね、偉いよ」

 それだけ囁き、階段へと梨南を先導していった。

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