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78 ふたりの教師(3)

「どんなお話でしょうか」

 卒業間際ということもあり、一応E組に顔出しこそしているが菱本先生と以前のようにじっくり話し込むことはなくなった。今日も顔を合わせていないわけではないが、とっくり話すといういことであれば久々ともいえる。狩野先生に向かい菱本先生は手招きし、

「先生もこちらへ」

 短く席に着くよう案内をし、改めて梨南に向き直った。

「今日来てもらったというのはなあ、ちょっとばかり杉本に頼まれてほしいことがあるんだよ」

「何でしょうか。もうこれ以上濡れ衣を着せられるというのであればお断りいたしますが」

「いや、さっきまでの話はなかったことにしてほしいんだ。ちょっと切り出し方も誤解を招く内容だったしな。狩野先生、そういうことで」

 ──言葉に出した以上はもうどうしようもないことのように思えるけれど。

 梨南の思惑に気づいているのかいないのか、菱本先生はにっかりと笑った。

「三月に入ってから、ほとんど霧島の顔を見てないだろ?」

「確かに、そうですね」

 まったく方向転換されてしまったが、ただそういう話であれば梨南も受け入れる準備が出来ている。最初からそのつもりできたのだから。狩野先生は何も言わず菱本先生の話に聞き入っている。

「杉本もいろいろとあいつの面倒を見てくれていたようで、ほんとに感謝してるんだ。一応あれでも生徒会長だから、生徒会室には来ているようなんだがな。すっかり青菜に塩状態でしょんぼりしちまってるんだ」

「でも学校にはきちんと出ているのですから、特に進級については影響ないのではないでしょうか」

 それも前から気になっていたので、顔を合わせた時に伝えてはいた。霧島もそれなりに意識はしていたようなのでずっと学校を欠席し続けるといったことはしていないようだ。

「杉本がいろいろとアドバイスしてくれてたようで、それはないぞ。それにしてもなあ、前から思っていたんだが杉本は、こういったらなんだがやたらと手のかかる奴の面倒を見るのが本当にうまいなあ。学校の先生たちがいくら伝えようとしても難しい内容を、杉本はスムーズに分かりやすく説明してくれている。いつのまにか事件は幕を閉じているといった感じなんだよ」

「それはいつのお話ですか」

 身に覚えのないことをいきなりほめられても戸惑うだけだ。梨南が追い返すと菱本先生はちらと狩野先生のほうを見やり、

「ここだけの話、本当に関係者だけの話なんだがな」

 わざわざ小声で前かがみになり、

「一年前、立村が学校を飛び出そうとした時にあいつを正気に戻してくれたのは杉本がいたおかげだと聞いている。あの時は一歩間違えたら大変な事件に陥るかもしれなかったんだがな。杉本の機転ですべてが救われたんだ。ありがたかったよ。俺も当時は杉本と接する機会がなかったからすごい下級生の女子がいるんだと驚いた程度だったんだが、今こうやって杉本と話をしてみて、さもありなんと納得した」

 ──立村先輩のことを、か。

 どう返事をすべきか迷った。

 当事者である狩野先生がうつむき書類に目を落としている。

 ──霧島くんのことも、やはり、あのふたりが関係しているのだけども。

 

「その他、ちょっと狩野先生の話とも関係するんだが、C組の桜田との手作り参考書の話にしてもだ。杉本が成し遂げた一番の功績は、さびしい想いをし続けていた桜田のよさをちゃんと引き出して、自信を持たせてやったってことじゃないかと、俺は思う」

「桜田さんは単純に誤解されていただけでしょう」

「そうだ、誤解されていただけだ。だが大人になるとその誤解が本当のことではないかとつい勘違いしてしまう。なかなか難しいんだ。大人の先生たちが手の届かなかったことを杉本はすぐに手を伸ばして引き上げてくれた。もちろんその後のいろいろな出来事については杉本も悔しい想いをしただろうが、桜田をはじめとする助けられた生徒たちは今でも感謝感激雨あられ、そんな感じだ」

 無理に今っぽい言葉を差し込もうとしている。あきれたくなる。菱本先生は続ける。

「そんな杉本にもうひとつだけ、頼みがあるんだ」

「それが霧島くんのことですか。どこまでご存知なのですか」

 霧島が立村に真っ向無視されているということをどこまで先生たちはご存知なのだろう。それによって梨南も返す言葉を変えねばなるまい。梨南がじっと菱本先生の眼をにらんでやると、からから笑いながら、

「そんな怒るな怒るな。正直、俺も霧島のしょんぼり加減がどこから出てきているのかわかるようでわからないんだ。ここだけの話だが、失恋なのか? 噂ではすごい話になっているけどなあ。何せ同じ男子としては笑えない話でもあるんでそこんとこどうなのかと」

「個人のプライバシーをさらけ出すことにはノーと言わせていただきます」

 噂止まりであればあえて梨南から霧島の恥をさらけ出すことは避けたい。いくらなんでも佐賀はるみ元生徒会長の二股疑惑を突き止めて新井林に締められ兄貴分の立村にぶっとばされたなんて、人間として口にしてはならないことだ。

「まあそうだな。もっともだ。もともと霧島もああいう性格だから少しばかりクラスから浮き気味だし、このまま三年に進学したらしんどいだろうなあということで、なんか俺たちがしてやれることないかと今、真剣に悩んでいるんだが、杉本、いい知恵貸してもらえないかなあ」

「私の知恵、ですか」

 ふと、狩野先生が梨南に向かい静かな目線を向けた。

「僕の見立てですが、立村くんが今回の件には大きくかかわっているのではありませんか」

 菱本先生もちらと狩野先生のほうを見てうなづいた。

「そういう噂が、入ってくるんだよ杉本。残念ながら俺は立村に嫌われちまってるんでなかなか厳しい立場にあるんだが、たぶん杉本の言うことなら立村も素直に言うこと聞いてくれるんでないだろうかと、そんな気がするんだよ」

「どういう噂でしょうか。具体的にお願いします」

 確認したかった。ふたりの先生たちがどこまで把握しているかによって、梨南の出方は変わって来る。狩野先生が説明した。

「青大附高の校門に霧島くんが放課後ずっと立ち尽くしているとか、それを立村くんが相手にせずに通り過ぎていくとか、そういったことです。杉本さんならご存知でしょうが、一時期霧島くんは立村くんと非常に仲がよく、兄弟のように接していたはずです。それが二月中旬あたりをきっかけに冷ややかなものへと変わっていったとのこと。その他の霧島くんをめぐる噂が広まっていったのもその時期です」


 ──やはり、そういうことなのね。

 理解した。霧島がやる気を失った状態なのを梨南は偶然にも間近で見知っていた。立村先輩がなぜ激昂したのか、なぜいまだに無視し続けているのか、その理由もすべて知っている。はるみと新井林が結局うそか真か分からないままよりを戻してあつあつの関係で過ごしていることも、結局一番の悪者が霧島として槍玉に挙げられてしまい針のむしろだということも。立村先輩がどう思っているかについては梨南も一切顔を合わせていないので分からない。ただ、霧島にはしつこく頭を下げて謝罪し続けることをアドバイスはした。その程度のことはすでにしていた。場合によっては付き添ってやる必要もあるのではとも思っていた。

 ──でも、立村先輩はやはり許せないのかもしれない。

 いったん裏切られたと感じたら絶対に許さない立村先輩の性格を、梨南は知らないわけではなかった。相手に深く入れ込みすぎた挙句、裏切られたらその反動で氷のように冷ややかになる。今、霧島に対しての言動はまさにそれだろう。

 立村先輩の性格は梨南が一番よく把握している。梨南であってもそう簡単にひっくり返すことはできないに決まっている。いや、すでに梨南のことすら憎みきっている可能性だってある。少なくとも梨南が霧島を引き連れて説得することに意味はない。ならば、何かよい方法はないのか。何かないのか。何か、ないのか。 

 しばし考え、ひとつの方法に行き当たった。

 

「私も、霧島くんと立村先輩とのいさかいについては気にしておりました」

 梨南はふたりの先生の前で冷静に答えた。

「そのことについては私も思うところがございます。数日お待ちいただければと存じます」

「数日?」

 狩野先生が身を乗り出すようにして梨南に問う。菱本先生も同様に首をひねった。

「はい、私にしかできない方法をためさせていただきます。社会的に反することでも、ましてや不純異性交遊のようなことは決していたしません。その上で、卒業前にきちんと霧島くんとも話をするつもりでおります」

「杉本さん、それはどうやって?」

 狩野先生のしつこい問いに梨南は言葉を左右にして答えなかった。誰にも伝える気などない。忘れかけていた三年前の冬の約束を果たすのみ。


 ──あの人に、逢いに行こう。 

 完璧なるローエングリンのあの人に。





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