72 つつみなおし(4)
しばらく父を囲む形で語り合い、風呂も用意して完璧にお泊り準備を行った後、上総と本条先輩は部屋に篭った。ふたりきりで飲み物だけ用意して。
「どうせ今夜は徹夜で語り合うんだろう。だがな朝は早いからな」
「わかってるよ」
「それと本条くんも、よかったら午前中だけ僕と付き合ってもらえないかな。ご馳走するよ」
明日の日曜日はピアノのレッスンがいつも通り行われる。上総にとってはよくあることだけども本条先輩にとっては早めにたたき起こされることになる。すでに説明はしておいたし本条先輩も了承してくれたけれども、やはり心に引っかかる。それに、
「先輩、ちょっとだけいいですか」
「どうした、テスト勉強なんて言うなよ。客のいる前で」
「テストじゃないですけど、ピアノ練習したいんです。十分でいいんで」
毎日三十分から一時間は鍵盤に触れるようにしていた。好き勝手に弾いているとあっという間に時間が経ってしまうので、できれば三十分で終わらせるよう心がけている。ただ本条先輩の前で下手な音色を聴かせたくもないのでヘッドセットをつけておいた。本条先輩がどらどらと近づいてきた。
「どんだけ弾けるんだ。聴かせてみろよ」
「近所迷惑ですから今夜は無理です。ヘッドセットつけて練習しないとまずいし」
「それで合唱コンクールの伴奏乗り切ったと、そういうことか」
「そういうことなんです」
からかい調子のやり取りを続け、二回だけ練習曲をさらった。どうせ今夜は勉強もこれ以上する気などない。また理数系科目は追試にひっかかるかもしれないがさすがに留年はしないだろうとたかをくくっておく。
本条先輩の布団は上総のベッド脇に敷いた。さすがにひとつのベットで眠るなんてことはお互いごめん蒙りたい。新品の下着や洗濯したてのパジャマを貸し出しそれぞれゆったりした格好でごろんと転がる。ラジカセをセットしてFMラジオを部屋に流す。
「お前さ、誰かこうやって泊まることねえのか?」
「さっきも言いましたけどないですよ。遊びには来ますが」
「ふうん、羽飛も、南雲も、天羽もか」
「こっちから遊びに行くことが圧倒的に多いです。冬休みも天羽の家で元評議連中と泊り込んでいろいろやりました。マージャンとか」
「へえ、んで、お前、ルールおぼえられたんかい」
「聞かないでください」
マージャンもポーカーも遊び方覚えられなくて三人にあきれられた経緯なんてしゃべりたくない。本条先輩は腹抱えて笑った。
「ふうん、なるほどな。んじゃあ、あいつはどうなんだ」
さりげなく、布団の上にあぐらかいてサイダーを注ぎながら本条先輩が尋ねてきた。
「霧島とかどうなんだよ」
──とうとう来たか!
覚悟を決めた。やはり話さねばならないか。
「遊びにはたまに来ますけど泊まることなんてないです」
「遠いからか」
「それもありますが、あいつのうち、厳しいからあまり外出歩くの許されないでしょう。あの霧島さんの弟ですから」
「キリコちゃんな。そういえばキリコちゃんも今年の春か夏に嫁に行くと聞いてたがそれも本当か?」
美里や天羽から聞かされてはいたので初耳ではない。答えた。
「らしいですね。詳しい事情は聞いてませんが。ただ女子は十六歳超えていれば法律上問題ないのでそれはそれで」
「お前さ、まあ男子は十八歳過ぎてねえとってのはあるが、そうあっさり流していいもんかそれ」
実はその話を霧島からほとんど聞いていない。姉弟なのだからもう少し詳しい事情を知っていてもおかしくないと思うのだが、当の霧島が抱える問題のほうが大きすぎて姉のことまで関われないというのが正直なところでもある。本条先輩はそれ以上追わず、話をそらした。
「あと三週間もねえか。うちのがっこの卒業式は」
「そうですね、たぶんないです」
「まあうちの学校の連中はみな高校はほとんど大学に、中学はほとんど高校にって流れなんだしそれほど感傷的にしっくしっくってのはねえよな」
「たぶん」
不意に何か、心臓あたりでぴりりとしびれるものを感じた。つばを飲み込んで落ち着けた。
「どうしたんだよお前さ、顔色悪いぞ。真っ白って奴だ」
「別に何でもないです。ただ」
「ただなんだよ」
言葉がつっかえそうになる。
「誰もがみな、青潟大学に進学するわけでもないし、附属高校に来るわけでもないしって思っただけです」
「俺みたいにか」
本条先輩は天井の照明器具を見上げてふっと息を吐いた。
「全くその通りだな。誰もがエスカレーターに乗るわけじゃあない」
「それに」
コントロールできない言葉を連ねた。
「誰もが青潟に残るわけじゃないですし」
本条先輩がはっと上総の顔を一点集中で見つめた。
「お前何言いたい」
「本条先輩、青潟以外の大学、やっぱり行くんですか」
ついさっき、父も同席の食卓で語り合っていた言葉を確認したかった。
しばらく本条先輩は黙っていた。座禅を組むようなまねをして目を閉じた後、すぐ膝を伸ばして、
「たぶん、そうなる。でないと目標達成できねえしな」
ぽつりとつぶやいた。
中学時代、青大附高ではなく青潟東高を選ぶと打ち明けられた夏のこと。
同じ敷地内に本条先輩の姿を探すことができないと想像するだけでも、めまいがした三年前のこと。
いつのまにかそれには慣れていたつもりだったけど、思えばそれはまだ、青潟市内に本条先輩がいて会おうと思えばいくらでも会えるとたかをくくっていたところがある。実際、こうやって今もわざわざ泊まりこみに来てくれるくらいだ。うっとおしいくらいにひっつくことはできなくても、こうやって直接語り合うことはいくらでもできる。
──でも、来年の四月からは?
「もちろん受験しねえとまずいしな。受からないとお話にならんができれば向こうの予備校に行くことも考えねばな。寮つきの予備校ってのもあるんだよ」
「合格しても落ちても、やはり行くんですか」
「当たり前だ。俺のやりたいことは残念ながら青潟にはねえ。もっと言うなら青大附高にも、青潟大学にもねえ。だから学校替えたのは大正解ってとこだ」
「青大附高に進学しなくてよかったってことですか」
恐る恐る尋ねると、本条先輩は大きく頷いた。
「他の物知り顔の大人どもからはもったいないことするとかいろいろ言われたけどな。青大附高てとこは、青潟大学にそのまま進学して、かつその学科でやりたいことがきっちりある奴には最高なんだ。けど、俺のように明確にやりたいことがある場合総合的な学科を選択できないケースがあるわけだ。今のところ、俺がやりたいもんは青潟の大学どこ探しても見つからないし何よりも、最先端の技術に触れられるとこがどこにもない。となったらどうする? 自分から飛び込むしかねえだろ」
本条先輩は熱く語る。
「この前もな、担任から呼び出されて志望校を比較対照されちまって、元青大附中の学年トップがこのレベルの学校で満足できるのかとかいろいろ嫌味いわれちまったぞ」
「このレベルの学校? レベル、って、偏差値とかいうあれですか」
「そうだ。青潟の教師どもはみな、青潟大学のレベルをAランクとして物事を考えているから、俺の狙っている大学のランクがBかCだと、そりゃちょっと違うんじゃねえのと突っ込んでくる。まあそうだ。分からなくもねえよ。けどな、俺の頭のレベルに合わせてもあまり興味ねえ学科で四年間過ごしたいとは思わないだろ。立村、もしお前英語が出来るからって理由で技術系の学校で英語オンリーの授業受けたいと思うか?」
ここまで勢いづいたことに本条先輩も決まり悪くなったのか、慌てて頭をかいた。
「悪い、まあお前は最初から英文科しか考えてねえから、関係ねえか」




