64 氷柱崩壊(6)
──「間男」?
古風な言葉を使いたがる霧島の性格を知らないわけではない。しかしなぜこの場で?
梨南も意味こそ分かっていてもなぜこの場で使うかを計りかねていた。
「はあ?」
間の抜けた返事をする新井林。この返事の「間」が男なのか。
「そうですか。やはりご存知ないのですね」
霧島はふたたび群衆に向かい呼びかけた。
「今、この瞬間において僕を馬鹿にしたみなさんにお伝えいたします。何か新井林先輩は勘違いなさったことを口走ってらっしゃいましたが、とてつもない大嘘です」
「霧島、よせ」
立村先輩が再度止めるも無視した。
「まず第一に、僕が元生徒会長の佐賀先輩にちょっかいを出していたということですが、そもそもその証拠はどこにありますか。教えていただきたい」
新井林が口を挟もうとするのをこれも拒絶し、
「次に、僕と彼女とは新旧生徒会長だったわけですがそれ以上の付き合いがないことも明白です。新井林先輩がおっしゃるとおり人の彼女に手出しするような趣味もありませんので。その辺は誤解なきように」
「何が誤解だ、お前、よくもぬけぬけと!」
「僕は事実を申し上げているまでです」
霧島は悪びれることなく言い放つ。
「もちろん生徒会に関わるご相談などはさせていただいていますし、僕自身佐賀先輩を生徒会長の大先輩として尊敬申し上げていることは確かです。繰り返しますが、生徒会の先輩として、です。ひとりの女子として、ではありません」
「ふざけんな。じゃあなんであいつが露骨に嫌がるのに張り付いてああだこうだ言いまくる? 神経おかしくしちまってあいつ夜も寝れねえほどまいってるんだぞ!」
「たしかに、それは災難です。しかし、それは佐賀先輩の自業自得とも言えます」
ぴしゃりとたたきつける言葉に、また周囲がざわめいた。
「僕は、不貞を許すことができません」
──「不貞」?
またも霧島の古臭い言葉攻撃が始まる。
「つまり、新井林先輩とあろうお方が恋人として側にいるにも関わらず、他の男子と一緒に手をつないだり、それ以上のことをしていたりとか、いろいろありますが」
「ちょっと待て、どういう意味だ」
肉薄する新井林に対し霧島は涼しい顔をしたままだった。
「まさにそのこと、いわゆる『中学生らしくない付き合い』とも申します」
皮肉っぽく、唇を上げて、
「佐賀先輩はおそらく僕にその行為を見られたことから、ありもしない話を新井林先輩に訴えかけた、そういう可能性を考えたりはなさらないのですか。僕が申し上げられるのは、佐賀先輩のいわゆるそういう行為を目にしたことがあるということと、ご注意申し上げた際にいろいろと行き違いがあったこと、その上で巻き込まれてしまいいつのまにか僕が悪役扱いされてしまうその理不尽さです。なぜ新井林先輩は、佐賀先輩の訴えそのものを丸ごと信じてしまわれるのでしょう? 残念ながら僕もその事実の裏づけがすべて取れているわけではないので、新井林先輩と同様証拠の確認を求められれば何も答えられはしません。しかし、求められればそれなりに調べる準備はあります」
ここまで言い切った霧島に、突然立村先輩が割ってはいった。
有無を言わせなかった。目を血走らせていた新井林すら驚く勢いだった。
梨南はただ立ち尽くすだけだった。
「事情だいたい把握した。新井林、今、霧島が話したことについては俺がすべて確認してお前に伝えたいんだけど、どうかな」
「はああ?」
またあきれ果てたように新井林が返事をした。
「だからなんで立村さん、あんたが割り込むんですか。今の話はこの馬鹿野郎と俺との一騎打ちであって、外野に口出しされる筋合いはないんですよ」
「いや、俺も以前お前にその点迷惑をかけたことがあるしな。それに、だいたい事情は把握できたけど事実関係についてはどっちにしてもはっきりしてないんだろ。それなら俺が全部霧島に確認して、ついでにその事実関係も洗い出すよ。たぶん、新井林の方が正しいと思うけど」
「立村先輩! 僕はそんな」
「霧島、お前は黙れ!」
立村先輩にしては珍しい大声だった。
「とにかく、こんなたくさん人のいる前で話す内容じゃ絶対ないよ。今、すべて洗い出せば佐賀さんの潔白は証明されるかもしれない。でも、ここでちらっと話の端っこ聞いて噂を広げようとする人だっている。かえってそのあの、『間男』とかいうところだけ言いふらしてありもしない話をふくらませる可能性だってある。中学からは離れてるからそれほど広まるとは思えないけど、やはり、いろいろあるよ。もしそんな噂が広がったら、別の人たちも傷つく可能性があるんだ。新井林、これは霧島をかばうんじゃなくて、お前の立場や佐賀さんの立場、それらも考えて言ってることなんだ」
「なんだか露骨に保身なんですがね」
皮肉っぽく言い返す新井林も、さすがに周囲のギャラリーの厚みには恐れをなしたのだろう。少し勢いを抑えるようにして、仲間の取り巻き連中に、
「わかった、とりあえずここは退散だ。立村さんの顔を立てて今日のところはやめとくがな。だが、覚えておけ霧島!」
もう一度厳しく、真正面から怒鳴りつけた。
「今お前が偉そうに言い放った内容が丸ごと嘘だった時は、誰になんと言われても絶対に許さなねえ! たとえ俺が退学させられても、何されてもだ! それと立村さん」
立村先輩にも口調だけは丁寧語にして釘を刺した。
「悪いんですがこの馬鹿生徒会長をしっかり吊るしてもらわないと、俺は青大附高でもあんたをとことん追い掛け回すはめになりますんで、その点よろしく」
ずいぶん先輩をなめきった発言だが、立村先輩は神妙に頭を下げた。
「約束する。きちんと確認するよ。申し訳ない」
「それにしても立村さん」
初めて新井林は梨南のほうをちらりと見て、
「やっかいな後輩ばっかり面倒みて、あんた、疲れませんか」
一言余計において、去って行った。同時にぶあついギャラリーたちも少しずつ離れていく。残されたのは梨南ただひとりだった。
「杉本、ごめん、まあ今度な」
立村先輩はゆっくりと梨南の側に足を向け、静かに見つめた。ついさっきまで懸命に新井林へ食い下がっていた時の表情とは別の、穏やかな眼差しだった。
「教えてくれてありがとう」
「先輩はこれから」
「霧島と少し、話をする」
それだけ返事をした後、立村先輩は背を向けた。舌戦中のいきり立った表情を完全に失った霧島が俯きかげんで突っ立っている。立村先輩はしばらく霧島を見据えていたがそれ以上何も言わず中学校舎に向かって歩き始めた。霧島もいったん梨南に頭を下げた後、そのまま後を追っていった。ふたりにそれ以上の言葉はなかった。
梨南もそのままついていくことにした。中学校舎に用があるだけだ。




