63 氷柱崩壊(5)
立村先輩を追いかけているように見えるのかもしれない。なんだか不本意だがしょうがない。梨南よりも足の速い立村先輩はすぐに目の前のごちゃついている男子たちに追い付いた。新井林と霧島、その他大勢、主に新井林の友だちらしき奴らである。バスケ部の相手だろうかあまり見たことのない顔ぶれだ。
「新井林、待ってくれないか」
校門を出て大学校舎までひきずっていこうとする。最初は霧島も抵抗していたが知り合いの多い場所で騒ぐのも不味いと判断したのか、とりあえずはうつむいて歩いている。賢明な判断だ。立村先輩も近づいてから声をかけ、悪目立ちしないように新井林の隣にまわりこんだ。梨南はあえて一歩離れた。
「悪いんですが個人的なことなんで口出ししないでもらえますか」
一応は丁寧語で新井林が返した。さすがに他の男子生徒たちは梨南と同じく引いて様子見に入った。梨南の存在に気づき顔をしかめている奴もいる。新井林は梨南のことなど眼中にないようだ。霧島の様子は後ろ姿しか見えないままで、立村先輩が食い下がっているのが聞こえる。
「新井林、事情は聞いてる。話し合いは必要だと思うんだ。けど、こんな派手に人前で騒ぐのはお互いによくないよ。お前たちだけではなくて他の人たちにも迷惑だよ」
「俺はちっとも迷惑じゃあねえけど。あえて不特定多数のやつらの前で白黒付けるのがベストだと思うんですが、そんな派手ですか」
一応は先輩後輩のけじめを大切にしているのか新井林は丁寧語で答えた。霧島のまわりで見張っている自分の取り巻きたちに離れるよう指示したのち、立村先輩に向き直った。霧島をねめつけた。
「俺が言いたいのは、ひとの女にちょっかい出すな、それたけなんだがな。そんなに、逃げ回ることかよ」
新井林がすごむ。
「最初は俺も気を利かせてお前のアジト、生徒会室で忠告したはずだかな」
霧島は無言のままうなだれている。
「たまたま生徒会長同士だからって言い訳してたが、それお前だけが思い込んでたんだろ。少なくともあいつはお前のしつこさにうんざりしてたんだ」
──はるみがうんざりしてたってこと?
周りで「ありゃみっともねえよな」とささやく声あり。新井林は立村先輩になおも言い放つ。
「立村さんあんたこいつがなにやってたかほんとに知ってるんですか。俺だって生徒会の面倒な事情を知らねえ訳じゃねえしはないし話し合いが必要だってのもわかる。伊達に評議委員長してたわけじふゃあねえ」
「そうだよな、もちろん言うべきことは言い合うべきだよ、だから」
新井林はあっさり切った。
「こいつがこそこそ逃げ回るから俺だって表立って文句言わざるを得ないってわけですよ。立村さん、わかりますか。こいつ、単に女の尻追いかけてたわけじゃない。脅してたんですよ、あいつを」
「脅してた?」
立村先輩の声に微かな変調を感じた。不安げな声音だった。
──脅してた? まさか、はるみの弱味を握って霧島くんが? けど何を?
霧島の言動か理解不能なところは確かにある。あれだけはるみに心酔しているくせに、対抗していた梨南と同じクラスに来ることを望み、表向きはよきクラスメートとして交流を続けている。同時に本来ははるみの敵として見なしている立村先輩にもべったりなついている。わさわざ冬休みに品山の自宅まで押し掛けるくらいなのだ。霧島が何と言おうとも慕っていることは間違いない。
一方で霧島がはるみを脅迫していたかどうかについては判断が難しい。はるみとは交流を一切絶っているけれども、その間柄の梨南にさえこの前は助けを求めてきた。霧島との会話をもしかしたら歓迎していなかったのかもしれないが、正直どうでもいいことだ。重要なのはその事を新井林が知ったとたん烈火のごとく激昂しまくり人目憚らず霧島を叩きのめそうとしている事実のみ。
──どう考えても新井林が清坂先輩に心変わりなどありえない。ということは、霧島くんの勘違い? それともまさか。まさかはるみが?
見守るしかない。背中で感じるざわめきは、新井林が望んだか否かは知らず不特定多数の生徒たちに知られていく証拠。もう、霧島は逃れようがない。明日からの青大附属生活をどう過ごしたいけばいいのだろう。立村先輩は弟分をどう守ろうとするのだろう。
立村先輩は周囲を見渡し気が気でないようすであちらこちらを見渡している。このままだとおそらく学校側にばれてしまう。霧島の担任狩野先生も、またもしかしたら菱本先生も出張ってくるかもしれない。どちらにしても逃げ場はない。
「新井林、これだけたくさん人が集まった場で話し合いというのも無理があるんじゃないかな。佐賀さんの立場だってあるだろうし、霧島だって言いたいことがあるかもしれない。いろんな立場からみたら価値観だって変わるかもしれない。どちらにしてもここで騒ぐことにメリットなんてないよ」
「世間体なんかどうでもいいってんだ。俺が言いたいのは、人の相手を脅迫してありもしないことを勝手に並べ立ててわめき散らすのはいい加減やめろってことだ! 立村さん、俺がよそさんの相手に手を出そうとしている最低野郎だという噂は流れてきてますかね」
「いや別に」
「こいつは俺が、別の女子の先輩にちょっかい出しているとかわけのわからんことを言い張ってるんですがそれでも大目に見るべきなんですか。こっちとしたら後ろめたいことなんもないのに痛くもない腹探られてたまったもんじゃねえ。おかげで人間関係に支障きたしまくってるわ、誤解されちまうわでこの二ヶ月の間偉い目にあったんだ!」
──やはり、はるみとの間は面倒なことになってたというのね。
しかしなぜ、新井林はたくさんのギャラリーが揃った中でこうもわめき散らすのだろう。立村先輩の言う通り本来であればこの件は内密に処理されるべきものだ。昨日も生徒玄関ロビーで叫びまくっていたし、なんとなくこの事実をしらしめたいという意思をひしひしと感じる。
──なにか変よ。立村先輩鈍感過ぎて気づかないのかしら。
それまでじっと黙りこくっていた霧島が、不意に顔を上げた。自分を好奇の目で見つめている生徒たちに冷ややかな視線を送り、すっかり凍り付いていた端正な表情で立村先輩に呼びかけた。周囲がざわめいた。
「立村先輩、僕にも言い分はあります」
「霧島?」
はっと立村先輩が振り返り、霧島を見つめた。
「今まで先輩には隠し事をしておりまして申し訳ございませんでした」
「けどお前、なんでもないってあれだけ」
「新井林先輩は何もご存知ないのです」
さっきまでのおどおどしていた表情とはうって変わり、何かを決意したかのように唇をまっすぐ引き締めた。
「僕はもっと早くこの事実を伝えるべきでした。せめて立村先輩にだけは前もってお話すべきでした」
「そんな重要な隠し事って、いったい」
「今からお話します。ということで、今まで僕のことを散々罵倒していただいた件については新井林先輩、今からこの満場の観客のみなさまのもとにお話させていただきますがよろしいですか。もちろん、清坂先輩の話ではありません。佐賀先輩、ご本人の事情です。切り札出させていただきますがいかがですか」
勝ち誇った風にそりかえる霧島にどんな気持ちの変化が生じたのか梨南にはわからなかった。立村先輩がまた不安そうに霧島へ、
「無理するな、やめとけ」
話しかけるのをきっぱり拒否し、
「間男、という言葉をご存知ですか」
新井林に向かい、かすかな笑みを浮かべ語りかけた。




