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62 氷柱崩壊(4)

 ──なんとかしなくては。

 菱本先生がいくらごまかそうとも、霧島の失踪について隠し続けることはもはや無理だろう。風邪としてごまかしたくても、新井林が暴露したように昨日の段階で高校校舎付近での目撃情報がある以上どうしようもない。百歩譲って今日風邪を引いて休んだとしても、明日は、あさっては、このまま休み続けることができるのか。

 ──霧島くんがこのまま逃げ続けることはできないわ。

 ただでさえ目立つ立場にいて、彼の人生最大の恋愛スキャンダルに巻き込まれたわけだ。しかもタイミング悪く梨南と一緒のE組で過ごしているときた。何か、普通じゃない匂いは感じるだろう。もちろん霧島自身の意思で行っていることだし、本来であれば狩野先生も自分のクラスに戻したいだろう。そのあたりの面倒な事情も絡んでいるに違いない。

 しかし、それはそれ、これはこれとして。

 ──このままだと、霧島くんは確実に新井林によって叩きのめされるわ。

 本人のしでかしたこと、自業自得と言えばそれまでだ。

 人の彼女にちょっかいを出したのだから。

 だが、このことが明らかになった以上、霧島はこのまま普通の生活を続けていけるだろうか。現役の生徒会長で、なにかかしら顔を全校生徒の前にさらけ出す立場である以上噂話を避けることはできないだろうし、他の当事者もこのままだと青大附高にスライド進学する。あと三年、いや下手したら大学までもこの因縁に縛られることとなる。

 ──もし私ならばなんとかできる自信はある。だけど霧島くんは。

 半年観察してきて得た梨南の判断はひとつ。

 ──彼は見た目だけ、中身はもろい。だから立村先輩に張り付いている。耐えられるわけがない。

 ならばどうすればよいか、これも結論はひとつ。

 ──立村先輩に全力で止めさせるしかない。


 どういうきっかけかはわからないし、霧島の口調を聞く限り心底尊敬している気配もない。単にくいこみやすい先輩として見極めただけかもしれないが、それでもあの霧島が唯一懐き、冬休み中はわざわざ品山まで足を運んでいる相手だ。だから狩野先生も梨南に対して霧島のことを伝えてほしがっていたのだろう。

 ──立村先輩も、後輩に懐かれるなんてめったにないチャンスを逃したいとは思っていないはず。不細工で無能でありながら、あれだけ慕われるのであれば絶対に全力で霧島くんをかばおうとしてくれるはず。

 立村先輩の性格上、いったん懐に入れた相手は自分がどうなろうとも全力で守ろうとしてくれる。一度は梨南もその対象だった。たぶん立村先輩の能力をありのまま認めたことがめったにないことだったからそうとううれしかったのだろう。しかし今は、一ヶ月以上放置されたままだし年賀状一通きり。花森さんは手紙で立村先輩が梨南のことを気にしていたようなことを書いていたけれども、しょせん口先だけ。もう完全に忘れ切っているに違いない。しょせん、そういう人なのだ。

 ──私はもうこの学校から消える人間だからどうでもいい。でも、残る霧島くんだけは。

 半年、同じ授業と空気をともにした相手は、やはり貴重だ。

 しかも尊敬する先輩の弟だ。

 することはひとつしかない。


 六時間目の授業が終わるまで待ち、菱本先生に、

「今日も立村に会いに行くのか? 霧島のことでだろ?」

 問われてすぐに頷いた。

「はい、昨日はお会いできませんでしたのでなんとしても捕まえます」

「捕まえてどうする?」

「霧島くんの家に見舞いにいくよういい含めます」

「今日は無理だろ。明日高校は予餞会だしなあ」

「優先順位くらい立村先輩も付けられるはずです」

 思わずふき出す菱本先生。梨南をやさしむ見下ろした。

「お前はほんとに、いい子だな。わかった、あいつにもたまには中学顔出せと言っといてくれよ。どうも俺は嫌われ担任になっちまったみたいだが、先生が教え子を嫌いになることなんてないんだから安心して来いってな」

「承知いたしました。まるのままお伝えいたします」

 こんないい先生を嫌う立村先輩の気持ちが分からないわけではないが、やはり間違っていると梨南は思う。すぐに玄関を飛び出し、一目散に青大附高を目指した。今日は高校もいつもどおりの授業のはず。学生食堂を脇に見つつ梨南は駆け出した。雪がスカートに跳ね返ろうが、滑りそうになろうが気にしなかった。ただ、一刻も早く先生たちとの約束を果たしたかった。


 今日は予餞会で準備があるという。生徒会役員の誰かを捕まえれば誰かかしら立村先輩の行方を教えてくれるに違いない。期待はあった。こうなったら関崎先輩の姿を見る見ないはもう関係ない。約束最優先だ。

 ──まだ授業は終わったばかりのはず。

 学校に残っているのだろうか。教室でまた何か縫い物でもするのだろうか。規律委員会は主に衣装関係を担当するはずなので立村先輩もその関連の手伝いをしているのだろう。

 ──誰か知り合い出てこないかしら。

 高校の生徒玄関に張り付いた。本当であれば入ってはいけないはずだが今は非常事態なのだからと言い聞かせる。校則違反をせざるを得ない自分の立場が少し辛い。


「杉本?」

 声と姿を見極めるのが同時だった。

「立村先輩」

 大きなボストンバックを抱えた立村先輩が玄関奥から現れた。いつものシャーロック・ホームズばりの派手なコート姿で、いつもと変わりない静かな佇まい。弱弱しい、悲しいほど男性としての魅力を感じさせないのはいつもの通り。

 それでも駆け寄る。飛びつきたい。身体が勝手に動く。手が伸びそうになるのを押さえる。言葉が出てこない。

「杉本、来てくれたのか?」

「はい」

「昨日はごめんな。探してくれたんだよな」

「どうしてそれを」

 用件だけ伝えるつもりで気負いこんできたのに、立村先輩の口調は相変わらず優しかった。梨南を見つめてほっとしたように微笑むのはやめてほしい。どうせ今年に入ってから一切連絡を……年賀状除いて……よこさず梨南を無視してきたのだ。最初からそのように振舞うべきだろう。またなぜここで、余計な感情を見せようとするのか。気づいてないのか立村先輩は相変わらずの能天気な表情で語り続ける。

「予餞会の衣装のことで、昨日は外で打ち合わせしてて、結局学校には戻ってこなかったんだ。あとで電話もらって、杉本が俺のこと探してたって」

「先輩のために探したのではありません。霧島くんのことです」

「分かってる。霧島のこと、狩野先生から聞いた。とりあえず詳しい話聞きたいから『おちうど』行こうか」

「そんな遊んでいる暇などないのです! 立村先輩は唯一霧島くんの面倒を見ている先輩であるにも関わらずそんないい加減な態度でよろしいのですか! 私がすべて説明させていただきます。急いでまいりましょう!」

 どうせ霧島が学校にいないのであれば、事情をじっくり説明したほうがいい。学生食堂でも本来はかまわないのだが、下手したら中学の生徒たち、特に新井林やはるみの息がかかった連中に聞かれてしまうかもしれない。それはさすがにまずいだろう。そう考えれば「おちうど」のような学生の近づかない環境のほうが安全だ。立村先輩の判断は今回に限り正しい。

「俺も今日、セミナーハウスに泊り込みなんだ。予餞会の準備があるからさ。だから早く話を聴かせてほしいんだ。それと、杉本」

 いったん立ち止まった。気持ち悪いくらいまじまじと梨南を眺め回した。この一ヶ月の間に変態の病気にかかったのだろうか。じっと見返した。

「相変わらずだな」

 梨南がどれだけ霧島問題で頭を熱くしているのか気づいてないのだろう。立村先輩は梨南のマフラーに手を伸ばそうとした。やはり一ヶ月の間に変な病気にかかったに違いない。

「立村先輩、くだらないこと考えてないで先に参りましょう」

 手を払いのけ、校門の外に足を向かわせたその時だった。

 誰かがこちらに駆け出してくる気配が一瞬した。


 ──まさか。

 隣りの立村先輩も立ち止まったままあっけに取られている。同じものを見て感じている。

「立村先輩!」

 確かにそう聞こえた。その次の瞬間別の人影がその相手に飛び掛るのを見た。

「おい、なんで」

 立村先輩が梨南を置いてふたりの男子に近づこうとした。同時にもうひとりの、青いスタジャン姿の男子ががっちりと腕を取り押さえ、

「往生際悪くするんじゃあねえ! 正々堂々、公共の場で言いたいこと言え。準備は出来ている、こっちに来い!」

 あっという間の出来事だった。また二人ほど別の男子があらわれ、肩に手を置き、

「弾劾やるからこっちに来い、霧島」

「いやだ、先輩、助けて、誰か」

 泣き叫ぶ霧島を引きずるようにして中学校舎に向かい連行していく。あっという間の出来事だった。


 言葉はなかった。立村先輩が走るのに梨南も従った。

 



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