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61 氷柱崩壊(3)

結局、立村先輩に会うことはできなかった。生徒会、予餞会実行委員会、それぞれ生協で顔を見たには見たが、梨南が近づくことのできる雰囲気ではなかった。もともと予餞会実行委員会のメンバーは梨南が評議委員会に入っていたときから知っていたが最初から嫌われていたことが判明していたし、はるみが入ってからは拍手で迎えたという人たちだ。ちらと梨南を見たけれど露骨に無視された。また、生徒会役員たちの集まりも確認はしたのだが、関崎先輩がいる以上決して声をかけることはできなかった。

──たぶん清坂先輩ならわかってくれると思うけど。


 次の日、生徒玄関での噂話を聞き流し梨南は教室研修室へ駆け足で向かった。まずは謝らなくてはならない。結構菱本先生は早い段階で来ていることがあって、直接職員室に行くよりも早くけりがつくことが多かった。特に昨日のようなめんどうなことが起きているときはなおのことだった。

「やあおはよう」

「おはようございます」

 きっちり一礼する。入り口でコートを脱いだ。菱本先生が手招きしつつ、

「ほらほら寒いだろ、中でいいぞ中で」

 すばやく扉を閉めた。

「申し訳ありません、立村先輩にはおあいできませんでした。お役にたてず申し訳ありません」

「いやいいよ、気にしなくても。昨日は高校生ほとんど学校にいなかったんだしな。さすがに今日はいると思うがそれ以前にあいつが来るだろ。さーて、絞り上げてやるとするか。一緒にどうだ、杉本」

「お断りします。そういう趣味はありませんので」

 菱本先生は完全に梨南のことを誤解しているようだ。あきれる。


 ──霧島くんは結局どうなったんだろう。

本当は姉の霧島先輩にも詳しい事情をきいたほうがいいのかもしれないが、菱本先生のいうとおり男子ならよくあることなのかもしれない。確かに立村先輩のやらかしてきたことを思い返せば納得できるし、様子見もひとつの判断だろう。しかし、今日は。

──あれだけはるみたちが派手な騒ぎを見せつけてたら、霧島くんも来るのは辛いだろうし。

手の届かない片想いと言われればそれまでだがはるみだって霧島に対して気を持たせようとしていたところもあるのではないか。好きなら好き嫌いなら嫌いと言い切るべきだったのでは。

ここまで考えて梨南は首を振った。誰も見ていない。

──私にそんなことアドバイスできるわけなどない。

 昨日、学食のテーブルを占拠していた生徒会役員の中には、確かにあの人がいた。

 ずっと、変わっていなかった。

 二年前、いや三年前になるのか。もうはるか前に出逢い心奪われたあの人の姿形は全もってあの頃のまま。むしろ歳を経るにしたがって梨南の中の理想に近付きつつある。新聞記事に掲載されていたいつぞやのローエングリンのように。

──新井林よりもはるかに。

 校舎は決して離れていない。逢おうと思えばいつでも逢える。立村先輩を出しにすればいくらでもチャンスはあるとわかっている。一度は偶然顔を合わせてしまい自分の感情が固まってしまった。あの時不細工な立村先輩がそばにいなければたぶん梨南は正気を保てなかっただろう。ある意味、立村先輩が気付け薬になったようなものだった。

──霧島くんも、あれだけ賢いのだから自分のしていることが無駄だとわかっているはず。でも、どうしようもない。


 菱本先生の顔色が少し青ざめていることに気がついたのは、一時間目に入っても霧島が現れないので、なぜにと尋ねると、

「どうも、たちの悪い風邪らしいな。昨日も途中まできたらしいんだが、気分悪くなって帰ったらしいんだ。杉本には悪いことしたな」

「先生、明らかに嘘です」

 大人の嘘を見分けられないほど梨南は愚かではない。

「一般的に流れている噂が原因であればやはりここで、かくまうべきです。いつぞやの立村先輩が来たように」

「杉本は男子にきついなあ」

 いや、顔に露骨に出ているからわかるだけだ。

「元気になったらせっかくだし杉本のお手製クッキーでもてなしてもらえないかなあ。どうせ授業は予定よりも遥かに進んでるし、残り少ない青大附中の生活をだ」

「クッキーでもケーキでも作らせていただきますが、まず最優先すべきは霧島くんの保護ではありませんか」

「いや、だから今日は休みらしいぞ。あまりつっこむな。今日も俺とワンツーマンだが逃げるなよ」

 男子は問い詰められるといつも逃げる。卑怯ものと言ってやりたいところだが、菱本先生は数少ない梨南の理解者でもある。本日は許そうと思う。


 いつものように時間は流れていく。今日は体育も家庭科もなく、一日中E組で過ごすことになり、菱本先生もちょくちょく外へと出て行った。やはり何かあるのだろうが、これ以上梨南が無差別に男子攻撃をかける人間と思われるのは不本意なので知らん振りをしておいた。やはり待つしかないのだろうか。どちらにせよ今日中には立村先輩を探し出して話をしなくてはならない。どんなに向こうがいやであろうとも、立村先輩の弟分の危機を伝えないわけにはいかない。用が終わればさっさと姿を消せばいい。梨南にはもう関係のないことだ。

 ──もう、会うこともない。連絡することもない。永遠に。 

 ひとりで給食を食べ、食器を下げ、教室に戻ってきた時だった。

「先生、霧島はどこですか!」

 

 叫んでいる奴がひとり。

 昨日見た相手と一緒だった。

 通りすがる生徒たちがおそるおそる様子を伺っているのも昨日と一緒の光景だ。

 ──新井林?

 梨南もその群れに隠れる形で菱本先生の反応を伺った。


「いや、霧島は今日風邪で休んでいるんだ。インフルにやられたらしい」

「ごまかさないでください! 昨日俺は見ましたよ。高校校舎あたりをうろついているって情報を信頼できる情報筋から入手しました。風邪引いている奴がそんなふらふらしてるものでしょうか」

「新井林ほら少し落ち着けよ。昨日はそもそも高校自体が休みだろ。霧島がもしいたって隠れようがないだろうが」

「俺とさしで話をしようと約束してたはずなんですがそれをすっぽしやがったんですが!」

「話すもなにも身体が資本だろ? ほらほら新井林、人生長いんだ、そうあせるなよ」

 懸命に菱本先生がなだめているものの、全く聞く耳を持たない新井林。今までこんな駄々っ子状態の新井林を見たことがなかった。はるみをからめた出来事で暴れることはあっても、全く関係のない相手にまで当り散らす奴ではなかった。

「とにかくあいつの居場所はどこですか、教えてもらわないとこっちだって」

「新井林いい加減落ち着け、あとで俺も立村あたりに様子聞くよう頼んで見るから」

「あんな人になにが出来るっていうんですか!」

 否定できない事実を突きつけられる。菱本先生言葉に詰まる。しばらく新井林もいたただしげに周囲を見渡していたが、

「もういいです、失礼します」

 声のトーンを落としそのまま背を向けて去っていった。その間一度も梨南のほうを見ようとしなかった。

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