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56 トライアングル(2)

 ──立村先輩の頭の悪さを今更罵倒してもどうしようもないけれども。

 菱本先生がまっとうな人だけにため息が出る。

 ──結局だれかが面倒を見なくてはならない人なのね。

 しばらく菱本先生と立村先輩の扱い方について意見を交わすうちに時間も自然と流れた。本来であれば明日以降の授業の打ち合わせや持参するものなどを確認しなくてはならないのだが。三年B組では文集を作っているとのことだが梨南には一切話が来ないところ見ると無視してもいいのだろう。

「文集かあ、あれはな、作っといたほうがいいぞ。俺が桧山先生に言っとくか」

「いえ、絶対に必要ありません」

 結局二年以降はほとんど蚊帳の外に置かれる形で放置されたようなもの。はるみにすべてを奪い取られ結局梨南はこうやってE組暮らしをいやおうなしに押し付けられたわけだ。もっともそれは梨南が求めたものでもあるので、文句を言う気はない。むしろこれから先は、家庭科と体育の授業のみ一緒に行動しなくてはならないというところをすっ飛ばしてほしい。家庭科では最後の授業としてひたすら棒編みで手袋をこしらえることになる。かんたんな作業ではあるが、またそれなりのものをこしらえたとたん、

「杉本さんはやはりこういった家庭的なものが似合うのよ」

 とか勘違い発言をぶつけられるのは何とかしてほしい。


「失礼します」

 いきなりノックの後扉が開いた。声を聞くだけでだれだかわかる。お仲間だ。いや内部スパイとも言う。

「おやおや、霧島どうした。今日は生徒会長挨拶でかっこいいとこ見せ付けてきたようだが。今日から向こうの教室だろ?」

「とんでもないことを仰らないでください、菱本先生」

 中学の場合、始業式当日は授業が行われない。宿題回収と諸注意のみだ。霧島がさっさと自分のクラスから飛び出してきても不思議はない。

「杉本先輩、改めてあけましておめでとうございます」

「遅ればせながら、あけましておめでとうございます」

 堅苦しく見えるがいたって自然な挨拶を交わす。霧島はさっさといつもの指定席、梨南の席のすぐ側にかばんとコートを置いた。

「あと一ヶ月、こちらをメインにさせていただくと母より言伝は」

「いやあ、なかったなあ。二学期ひたすら勉強に励んでくれて俺としても楽しかったんだが、やはり生徒会長ともなればクラスの面倒も見なくてはならないだろ? だからもうB組に戻ることにしたと聞いてたんだがなあ」

 とぼける菱本先生。しかし食いつく霧島。

「いえ、僕は冬休みに狩野先生含めてすべての関係者の方に、来年以降もこういう形で自分の身体にぴたっと合った授業を受けさせていただくとお伝えしたはずです。母に電話をかけてみましょうか」

「いや、せっかく来たならまあ座れ。人数がいればもちろん楽しいからなあ。ああそうだ、霧島、お前は冬休み、どこに行ってた?」

 霧島はしばらく黙り、言葉を選ぶように首をかしげた後、

「家族で旅行しておりました」

 とだけ答えた。

「遊びというわけではなく親戚やその他父の仕事の関係です」

「そうか、みないろいろなとこでかけるなあ。俺も今年の冬はちび連れてスキーに行ってきたぞ」

 脳天気な話題でしばらく菱本先生は語り続けた後、

「あ、お前らちょっと待ってろ。書類忘れてきたから職員室行って来るわ」

 ひょこひょこ駆け出していった。ふたりきりになった。


 ──まともな勉強をしたいのなら確かに気持ちはわかるけれども。

 やはり梨南の見立て通り、菱本先生は優等生の霧島をもとの教室に戻したかったのだろう。狩野先生のクラスでふつうの生徒として納まっててほしかったのだ。これが単純に放課後活動だけに留めたいのか、それとも去年と同じように通信教育教材を使いながらのゼミナールをするのか、その辺は謎だ。

「杉本先輩」

「なにか」

「姉が、よろしくと申しておりました」

 意味ありげな笑みを浮かべながら霧島は座ったまま一礼した。

「年賀状いただきましたので」

「それで、つかぬことをお伺いいたします」

「なんでしょう」

「本日、三年B組の状況はいかがでしたか」

 いきなり問われて息が止まる。いかが、と言われても始業式開始前の様子しか知らない梨南にどう答えろというのかわからない。

「ご存知の通り私はすぐ、始業式終了後菱本先生に保護されてここに参りました。B組の教室にいる権利すらないようです」

「でも、多少はクラスの様子などお感じなのではないでしょうか。杉本先輩ともあろう方がお気づきにならないわけはありません」

 持ち上げているような、それとも鈍さを皮肉っているのか。

「具体的に絞り込んでいただけますか」

「佐賀先輩と新井林先輩でございます」

 端正ながらもその目つきに、何か気味悪いものを感じる。霧島にそういったものを覚えたのは初めてだった。遠慮がちに答える。

「あまり興味ありませんから。あのおふたりと私がどういう関係かは霧島くんもご存知でしょう」

「もちろんです。立村先輩からも伺っております。ちなみに僕は立村先輩の御宅にお伺いしてスパゲッティをご馳走していただきました。先輩の手作りです」

 頷きつつもしつこい霧島。立村先輩が料理それなりにこなしているのは前から梨南も知っているがどうでもいいことだ。

「それで、あのふたりの様子の何に興味があるのでしょう」

 用心深く問う。どことなくねばっこい霧島の口調に梨南も裏があるものと感じつつある。そこまで鈍くはない。霧島は周囲を見渡した。梨南とふたりきりの教師研修室。いるわけがない。

「実は、あのおふたりに不穏な噂がございます」

「不穏?」

「杉本先輩もお知りになりたいのではないですか」

「霧島くんは直接佐賀さんとお話なさってらっしゃるのでお分かりでしょう。私に聞く必要などないのではないですか」

「言い方を間違えました、新井林先輩が、です」

「たとえば」

 霧島はさっき旅行のことで菱本先生に問われた時と同じくらいの間を取った後、告げた。

「どうも清坂先輩に対して新井林先輩が、一方的に好意を示しているという情報が入ってきております。立村先輩もご存知ない様子でしたが、杉本先輩はいかがでしたか」


 ──寝耳に水、以前の問題かもしれないわ。

 梨南はまじまじと霧島の顔を見つめた。その無言のうちに菱本先生が戻ってきて、

「じゃあ明日から霧島、お前もここでとことん猛勉強タイムするか! 一ヵ月半よろしくな!」

 ふたたびE組ふたり組となる旨宣言してしまったのでそれ以上は問えなかった。


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