50 冬休み瓶詰め(6)
轟さんが注文したのは上総と同じチーズケーキだった。何かを選びたいという強い意志が感じられなかったのでここは上総がすべてリードした。
「でも本当に誰もいなくてよかったよ」
「ほんとだ」
とりとめなくしゃべっているうちに轟さんの表情も少しは緩んできたようだった。珈琲を啜りつつ、はにかむようにうつむいて笑う。
「立村くんもさ、誤解されちゃあまずいしね」
「お互い様だろ」
「とりあえずさっさと話に入った方がいいよね」
まだ手をつけていないケーキを前に、歯の間からしゅうしゅう音が聞こえるような発音で轟さんはじっと上総を見詰めた。あまり他の女子では見かけない顔立ちではある。
「轟さんさえよければ」
「最初に、杉本さんのことについてだけど」
上総はフォークを皿に置いたまま促した。
「どうだった?」
「やはりね、学校側の陰謀だった。いろんな立場の人たちから情報集めた結果なんでかなりの部分真実に近いと思うんだ」
頬が紅潮してきている。やはりこうやってまじめに話に入った時の轟さんが一番輝いている、そう思った。もし出会う順番が違っていたら、もしかしたら、ありえない想像が浮かんだのも否定はしたくなかった。
──本音って残酷だな。
「杉本さんの事情は立村くんの方がよくわかってると思う。学校側としては面倒の多い杉本さんを穏便な形で別の高校に進学させたいの。成績優秀な生徒を手放すってのも学校側でどうよと思わなくもないけど、それだけきらわれちゃったんだろうね。こういったらなんだけど杉本さんのお家、お父さんが風変わりな人で娘さん溺愛していて、ちょっとしたことでいろいろと文句をつけるらしいのよ」
「そんな変わった人なのか」
上総の父にもそんな態度をとったのかもしれない。
「ただ、その件については学校側だけじゃなくて生徒たちの親たちがうまく動いてくれて、杉本さんのお父さんを窮地に追いやってくれたらしいよ」
「そんなことできるのか? たかが親だろう?」
「甘いよ立村くん。青大附属に子どもを通わせようとする親のどういう家庭環境か考えれば答えは自然と出てくるよ」
「自然と、か」
たどり着けず頭をひねる上総を見て轟は笑う。ようやくケーキにスプーンをさし入れた。
「まあ、いいとこのお坊ちゃまお嬢さまでしょ」
「うちは全然違うけど」
「そんなことないよ。うちみたいなど貧乏な家庭も全くないとは言えないけれどね。そういういいとこの人たちってネットワークがいろんなところでつながってることが多いの。たとえば学校の先生同士だったとか、会社の同僚だとか、その他いろいろよ。そこで子どもらの噂が自然と親に伝わって親がまた関係者につないでってパターンで」
「けど大人だろ、そんな低レベルな真似普通するかな」
「するする。もちろん表立って何かってことはないけれど少なくとも情報は共有しあうよ。その上で、学校側の非公式な接触なんてあろうものなら簡単。保護者ひとりくらい追い詰められるって」
「……轟さん、申し訳ないけど、スパイ小説の読みすぎじゃないかって気がする」
「信じられないよね。でもこれが現実だよ」
轟さんの語る内容を自分の頭でまとめて見る。
──つまり、杉本のお父さんを追い詰めるために、まず生徒たちの親に働きかけたってことか。生徒のほとんどは杉本のことを嫌ってるからあまりいいことは言わない。その親たちがなんらかの形でつながっていたら情報は共有され、さらに。
「ルートは分からないけど杉本さんのお父さんは、いわゆる左遷みたいな扱いをされてるらしいよ。噂で聞く限りもともとお世辞にも仕事が出来る人でないらしいけど。かなりエキセントリックな人だったらしくて会社でももてあましていて、娘の不始末を聞きつけてラッキーとばかりに閑職に追いやったとか何とか。どこまでほんとうだかって気もするけどね」
「轟さん、もっと食べなよ」
ほとんど手のついていないレアチーズケーキを指差しながら上総は指をなんどかはじいた。噂止まりとはいえ霧島からもちらちら情報はもらっていたし、ある程度真実性はあると認めざるを得ない。救いなのは、杉本の父が娘を溺愛しているということくらいか。少なくとも見捨ててはいないというわけか。
「でも、お父さんは杉本のことを見捨ててないわけだし」
「お父さんだけはね」
すぐ轟さんは追加した。
「杉本さんのお母さんは、二年前のほら、佐賀さんとのバトルの一件が元で精神的に追い詰められてしまって今、実家で療養しているらしいよ。これはまた、内密ルートなんだけど」
「どうしてそんなにいろいろ情報が入るんだろうな」
「みんな口が軽いからね。うちの学校の生徒はね。噂はあっという間に広まるし学校側があえてそれを隠してないってとこもあるんだろうね」
「それ問題だろう?」
「問題だけどしょうがないよ。学校側はどんな手を使っても杉本さんを追い出したい。親を黙らせたい。ついでに言うならここでばれたらやばい内容の件も杉本さんにぜんぶおっかぶせておけば大丈夫といったことよ」
「あの、修学旅行の件もか」
「そうだね。あれも立村くんの読み通り。本当は渋谷さんがやらかした例の件を杉本さんに押し付けておけば少なくともこれ以上被害者は増えないってことよ。外堀から固めていっているし最終的に杉本さんは『認めた』形をとっちゃってるからね。あそこでとことん否定し続ければよかったのにとか思うけど、それはしょうがない、本人の判断だもんね。ただ」
轟さんは言葉を切り、チーズケーキをスプーンでかきまわした。
「どうした?」
「杉本さんのあの判断が、命運を分けたといっていいのかもしれない」
「渋谷さんの件を杉本がかぶったことか」
声が重かった。続けるべきか迷っているように何度もスプーンでケーキの底を叩いている。
「轟さんの憶測でいいから話してもらえると助かる」
「うん、わかった。つまり、杉本さんがあのことを受け入れるってことにしたせいで、学校側としてはもう公立高校へ送り出せないという結論に達したんじゃないかなってね」
「青潟東を受けたがってたしな」
「そう、杉本さんは絶対公立高校に行くって言い張ってたけど、公立って内申書を重要視するのよ。最近の傾向は特にそうみたい。だからおせじにもよく書けない杉本さんが、公立入試でいくらいい点数を取っても合格できるとは限らないし、かえってそれで親がまあ騒ぐ可能性だってある。青大附属の闇みたいなことをばらされてしまってマスコミの餌食になる可能性だって、あるよね?」
「まあ確かに」
──そのマスコミの一端、うちの父さんだからな。
「ということで学校側が打ち出したのは、杉本さんを絶対にどこかの高校へ押し込むために推薦入試を利用すること。最初は私立の女子高をいろいろ勧めたらしいけど、さすがにゆいちゃんみたいなことできないからね。杉本さん秀才だし。可南女子に推薦どうですかとか、言えるわけないよ」
「確かに」
「そこで出たのが、あの学校。『なずな女学院』への道というわけ」
「あんな僻地になんでだろう。青潟から百キロも離れてるだろ。それにあの学校、学校法人でも専門学校でもないんだろ? いわゆる、高卒資格取れないって聞いたけど」
上総の疑問をもっともという風に、轟さんは頷いた。
「あそこの学校、実は殿池先生が進めたみたいなんだ。去年の段階で最初、ゆいちゃんにね。殿池先生はああいういい人だから、学校の陰謀とは別に生徒の性格に合った学校を勧めようとする人なんだよ。あの先生には私もお世話になったから」
「そうなんだ、轟さんも、か」
意外だった。誰も頼りにしないように見える轟さんなのに。
「本当はゆいちゃんに、『なずな女学院』へ進学させたかったんだけど、家族がね、ゆいちゃんを絶対青潟から出したくない、まあ手放したくないって反対してじゃあ可南へってことになったみたいなんだ。全寮制で生徒数も少ない学校で、いわゆるお嬢様教育みたいなとこらしいけど実際はすっごく謎。ただ殿池先生はそこの学校方針に大共感していて、青大附属を定年退職したら講師でもいいから住み込みたいって思ってるくらいいい学校らしいんだよ。まあ、問題は杉本さんに向いてるかどうかなんだけど」
──どう考えても、向いてないよな。
学年一の才媛に、勧めるべき学校ではないだろう。よっぽどの理由がなければ。
「杉本さんのお母さんに最初勧めたら大賛成ですぐ話がまとまったらしいよ。肝心の杉本さんはもちろん嫌がったらしいけど、何度か学校訪問したりするうちに気持ちも傾いてきたみたいで去年の秋くらいには入学内定みたいなことに決まってたらしいよ。それに、杉本さんのお母さんもね、精神的にぎりぎりらしくてしばらく娘の世話も辛いくらいだったらしいのと、お父さんはお父さんで仕事と病んだお母さんのことも面倒見なくちゃならないのにさらに娘までって手が届かないから。結局一番いいのは杉本さんが寮に入る事だって結論に達したみたいだよ。これも、結構信頼できるルートから聞いた話」
「轟さん、ありがとう。とりあえずこれからケーキ半分食べよう。俺も食べるから」
このままだと轟さんがしゃべり続けてケーキを口にするタイミングを逸してしまう。杉本に関する情報はもちろん重要だけど、この場では、
──轟さんに、少しでも心地よく過ごしてもらう。
それだけを考えたかった。




