5 助言(1)
青潟大学附属高校の学校祭では一年の出番などほとんどなかった。委員会活動をしている生徒であればそれなりに役割があてがわれるし、上級生たちのクラス展示やイベントを手伝う者もなくはない。大学に呼ばれて観たり聞いたりすることもあることはある。
──こんなに暇な学校祭は初めてだ。
野に降りている上総にはほとんど用事がない。あえていえば英語科の生徒たちを全学年から集めて英語のパンフレットや立て看板作りを手伝ったり、大学で開催される留学生の……英語圏以外が中心だが……交流会に参加しておしゃべりさせてもらったりとかその程度だ。クラスで何かをしようにも、みな部活やら委員会に駆り出されている状態なので少ない人数では何かが出来るわけでもない。
実質三日連休のようなもの。朝の出席だけ取ればあとは何しても自由。結局上総は大学の留学生イベントにもぐりこみ適当に話をして時間つぶししただけだった。一日目はそれだけだった。
二日目だけはきっちり予定が入っている。
──青潟大学・中・高合同学内演奏会。
夕方五時から始まるイベントで今年から用意されたものだった。なんでも青大附高の肥後先生が音頭を取って創めたものとのこと。楽器や声楽を含めさまざまな音楽に携わる生徒たちを集めて学外の人々にも公開する形で行われる。聴衆はほとんどが出演者の家族かクラスメートくらいだろう。噂によるとどこぞの有名な音楽家や先生たちも訪れるとのことで力の入り方は相当なものとも聞いている。
──杉本、忘れてないよな。
ちゃんと学校祭前に中学校舎で捕まえて予定を入れさせたはずだし、杉本梨南の性格上絶対に約束を破る人間ではない。かならず明日の夕方四時半に大学講堂の前で待ってくれているはずだ。確認するために電話をかけるのも、一応女子宅だしためらわれる。信じるしかない。
昼間はまだほのかに暖かくコートなんて着る気にもなれない。まだ今の時間なら大丈夫か。クラスに戻って誰かとだべることも考えたがやめて、自転車置き場に向かう途中だった。後ろからいきなり目隠しされた。
「だーれだ!」
ため息ついて上総はその手をゆっくり取り除けた。気づかなかったのは不覚。いつもなら後ろの足音聞き付けただけですぐにわかるのに。
「本条先輩、何そんな子どもっぽいことしてるんですか」
「気づいてたなら早く振り向けよ」
「考え事していたんですからしょうがないでしょう」
いつのまにか本条先輩が隣りにいる。縞のネルシャツにジーンズ姿、めがねをかけていないので最初気づかなかった、ということにしておく。切れ長の眼差しが鋭く中学時代と比較して危険度が高くなっているようにも見えた。女子にはもてるだろう。
「けど今日先輩、なんで来たんですか?」
「たまたま学校が休みだったのと、久々に懐かしい連中と顔合わせしたかったのと、二つ揃ったらそりゃくるだろ」
「俺には何も言わなかったくせに」
「だからお前から聞きに来いと言ってるだろが。さ、行くぞ。これからお前デートか?」
いきなりわけのわからないことを問われる。上総は首を振った。
「今日は何も予定ありません」
「クラスのイベント片付けとかないのか」
「ありません。この前も先輩に話したことですが、青大附高は一年の学祭出番が全然ありません」
一応本条先輩には青大附高の学校祭形式について説明しておいたつもりだった。本条先輩だって少なからず中学時代の同期がたくさんいるのだから把握しているとは思っていたのだが。
「やはりな。去年とは全然やり方変わってるんだな」
「そうみたいですね。学校の方針が百八十度変わったらしいとは聞いています」
「結城さんもんなこと話してたな。で、どうだ、今日お前これから暇なんだな?」
「暇です。それが」
自転車置き場に着いた。上総は自分の愛車を探した。銀色のきらきら光る結構スピードの出るタイプのもの。中学時代からそれなりに手入れしているのでもう少し持ちそうだ。本条先輩も自分の自転車を引っ張り出してきて隣りにつけた。
「それがじゃねえだろが。せっかくこうやってだぞ、お前のやさしい先輩が声をかけてやってるんだからもう少し何か、ありがとうとか先輩何かお手伝いしましょうかとか」
「手伝うことってありましたか。マイコンの打ち込みですか」
別になさそうな気もする。本条先輩からは例のマイコン打ち込みの手伝いを頼まれたりもしたが、最近はご無沙汰している。
本条先輩は上総の肩を軽く揺さぶり、じっと顔を覗き込んできた。めがねのない顔でにらまれるとかなり怖くなる。最近コンタクトレンズにしたと聞いたがそのせいだろうか。
「あのな、立村。先輩のうちに遊びに行っていいですかくらい言えよ」
「あ、行っていいんですか!」
思わず声が弾む。そう言ってくれればいいのだ。何もそんな持って回った言い方などしないで、「今日暇なら俺のうちで飯食いに来い」の一言だけ伝えてくれればしっぽ振って追っかけていく。いやだといわれてもついていく。
「何だお前、何かまずいとでも思ったのか」
「はい、もしかしたら先輩のうちに押しかけるの突然だとまずいかなと思って」
「あほか! お前なあ、こういうのは後輩から言うべきなんだ。何度も言っただろ!」
頭をいつものようにぐりぐりやられる。そのまま道に出る。話は簡単だ。
「じゃあ、来い」
「はい」
本条先輩が先頭を突っ切ってペダルを踏む。その後を上総は追った。ためらいなんてない。さっと響く身体への風あたりが心地よい。このままどこまでもつっきって行きたかった。
──今日でよかった。
夕陽を眺めハンドルを操作しながら上総は本条先輩の背中を見つめた。
──明日なら絶対に行けないしな。
たとえ本条先輩のお誘いだったとしても、明日の夕方だけはどんなことがあっても譲ることができない。それこそ、
──デートじゃないけどさ。
傍目でどう思われようとも、杉本梨南のためには決して認めてはならないことだった。