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46 冬休み瓶詰め(2)

 父が早く戻ってきてくれたのでこれ以上問い詰められることはなかった。あんこをこしらえる時にしょうもない無駄話をしている暇なんぞないし、もち米が炊けたら炊けたで餅つき機へ運んだりさらなるもち米をふかしたりとあたふた忙しい。

 さらに祖父母たちが出かけていることなど知らない訪問客もひっきりなしに訪れ、その追い返しにも手間がかかる。もちろん部屋に上げるなどの余裕などない。結局手を軽いやけど状態にしつつ餅を丸めては粉付けて並べ、並べては餅つき機にもち米を流し込むなど繰り返しているうちに、もう夕暮れ時刻が迫ってきた。そんな甘い色合いではなく、真っ暗ともいう。

「無事おせちも受け取れたし、さすがに明日はゆっくりさせてもらうわよ」

 つきたての餅にできたてのあんこを包み、即席大福をほおばった。出来はともかくつくりたてはやはりおいしい。もう一個手を伸ばそうとした上総を母は制した。

「これから年越しそばってのがあるんだから。それに餅は消化に良くないんだから、ほら和也くん、早く大根おろしすって上総に食べさせて」

「はいはい」

 言われた通りの仕事をこなす父。どう見ても母がやきもきするような状況ではないだろう。お茶を飲みつつ家族水入らずの団欒を過ごす。


「ところでなんだけど」

 めったに観ることのないテレビにスイッチを入れる。年末といえばバラエティ番組かレコード大賞か、もしくは紅白か。まだ紅白歌合戦が始まるには早いが今のうちにニュースを見るといういいわけをしておく。こういう時でもなければじっくり観ることもないのだから。

「はいはいなんでしょうか、沙名子さん」

「上総のピアノのことなんだけども、どうなの」

「どうったって、こればかりは上総の弾いているところで判断してもらわないとな」

 ごまかす父。早くビールを持ち込みたいらしく腰を浮かすも、母がびしりと制する。

「まだアルコールが入るには早いでしょ。六時にもなってないんだから」

「すいません。反省します」

「それよりも、上総のピアノの腕前、どう、上がったと思う? 正直な感想なんだけども」

 しつこく、ねばっこく母が攻める。父は首をひねり上総に目線を送った。

「どうなんだ、上総、お前の実感として」

「わからない。弾いてれば楽しいからそれでいいと思ってる」

「あんたは黙ってなさい」

 立村家男性陣すべてしかりつけられた。母は足を組んで首を何度も振る。このしぐさ、嫌な予感がひしひしとする。

「あの先生のところでどういう指導を受けているか知らないけれど、あまり上達しないようであれば別の先生のところに通わせるのもひとつの判断だと思うけどどうなのかしら」

「いや、上達は、まあ、してるんじゃないか? 少なくとも夏休みよりは」

 そうだ、そうだ。上総も側で何度も頷く。

「私が教えていた時よりも?」

「そりゃあ、家でピアノを用意して毎日弾いていること考えれば指の回転も少しは速くなるさ。思ったよりこいつ、ピアノと相性が合うみたいだな。こんなんだったらもっと早く習わせとけばよかったな」

 父がのんびりと答える。どうかこの調子で丸く治めていただきたい。

「でも、上総は全然ピアノ習いたいなんて私に言ったことなかったじゃない」

「そういう機会なかったし」

 ──習わせてもらえるなんて頭なかったし。

 本音はもちろん押し込んで。年末までいくらなんでも親子喧嘩したくはない。

「なんで今更、ピアノ弾きたくなったりしたのかしらね」

 きつい眼差しを向けてくる。

「合唱コンクールでたまたま弾いたらやみつきになっただけだって」

「そう、それ以外に目的でもあるのかしらと思ったのだけども。それで和也くんにひとつ提案したいんだけど、今あの先生のもとに上総を通わせているということなんだけど、ずいぶん遠いんじゃない? 日曜の午前中に毎週上総を送り届けているんでしょう?」

「そうだよ。最近は帰りひとりだがな。やはりバス代が高い」

「交通費も馬鹿にならないじゃないの。そう考えると私、思うのだけども」

 母は上総に向き直った。ここはきっちり背中を伸ばしておく。

「あの先生には申し訳ないのだけど、青潟市内でもっと近い御宅とか、品山の近くで別の先生選んだほうがいいんじゃないかしらね」

 ぴりりとした口調で言い放った。


 ──冗談じゃないって、父さんなんとかしろよ。

 いつか言われるのではないかと恐れていた。今までその気配がないことに胸を撫で下ろしていたのもまた事実だ。しかしこの流れでいくとまずい。どういう事情があるのかはわからないが印條先生と母との間には相当な軋轢があるものと予想される。ただでさえ野々村先生を後釜として勧めようとしているのだから決して歓迎できる相手ではないだろう。

 ──そりゃ品山からは遠いし、電車代バス代もばかにならないのはわかるけどさ。でも、せっかく習いはじめて、たったの四ヶ月なのに、すぐ先生替えるなんて常識なさすぎだよ。

「いや、こいつの気難しい性格にも合わせてくれるし、僕はいいと思うがなあ」

「だっていきなり、『バッハ・インベンション』なんて高度過ぎるわよ。もっとかんたんな曲とか、ほら、ツェルニーとかソナチネとかなんで選ばないのかしら。ハノンやブルグミュラーは使っているみたいだけど」

「ピアノの難しいことはよくわからないんだが、何も先生目指すとか音大に行きたいとかそういうわけでないんだから、好きな曲を選ばせてもらえるのはありがたいと思うぞ。習う前からほら、上総も『エリーゼのために』とか『トルコ行進曲』とか弾いてただろ。あれの延長線じゃないのか?」

「本気でやるのだったら、指の訓練が必要よ。自己流じゃだめなのよ」

 ──じゃあなんで俺に母さんが自己流の教え方したんだよ。

 突っ込みたいが我慢する。隙を狙ってもちに手を出そうとするも思い切り叩かれる。

「いい? あんたが本気でピアノの勉強したいんだったら私は全力で応援する。お金がある程度かかるのもしかたないと思っているわよ。でも、中途半端にたらたら遊んでいるだけだったらなんの意味もないの。私があんたにピアノを教えたのは何もピアニストにしたかったからじゃなくて、クラシック音楽を聴く時に多少なりともぴんとくるものがあればいいという程度のものよ。だから他の先生に習わせたりしなかったの」

 母は上総の腕をぐいと押さえた。まずい、完全に頭に血が昇っている。逆らったらことだ。

「でも、あんたが先生についてきっちりと勉強したいのだったら今からでも遅くないわよ。そりゃ、有名音大に行くのは無理でしょうけど基礎を固めておけば将来別の道にも役立つはずよ。それを、仕事の片手間に遊びでやっていた方にいい加減なこと教えられたらたまったものじゃないわよ。和也くん、そうよね」

「沙名子さん、それは違う。先生の腕前は趣味を越えているんだ。それは僕も直接お伺いして聞かせていただいて納得した。上総を預けて問題あるレベルの腕じゃないよ」

「和也くんの立場からするとそう言わざるを得ないでしょうけど、悪いけど私は耳がそれなりに肥えてるの。初心者は初心者だからこそ、最上の環境でレッスンする必要があるの。基礎を固めるために、よいものをたくさん観て感じておく必要があるの」


 ──母さん、悪いけど論理破綻しているよ。

 反論してせっかくの大晦日年越しそばを台無しにはしたくない。父もちらと上総に目線を送り、「黙ってろ」の合図をしている。立村家男性陣の共同戦線としてはやはりここは、無難に納めたほうが一番よいという結論に達していた。

 ──やっぱり気づいてるんだろな。野々村先生のこと。

「沙名子さん、今は上総もピアノより学校の方がいろいろと忙しいんだよ」

 父が丸く治めてくれたように見えた。少なくともそのつもりだったと思う。

「成績表見ただろ? 文系一番理系最下位という両極端な奴を。あれ見せられたら勉強優先にしろとしか言いようないよなあ。本気の先生につけてもいいが、たぶんそうしたら今度は頼みの文系順位もがた落ちになるのが目に見えているしな。それなら、あの先生のところで趣味程度にゆっくり楽しむだけで十分だと思うんだけどなあ」

 ──父さん、フォローに全然なってないよ。


 次の瞬間、母の目つきは一転、話も別方向に展開した。

「上総、あんた、理系最下位ってどういうこと!」



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