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44 山麓にて(5)

春夏秋冬そして冬 44 山麓にて(5)


 一気に香澄さんが語り出そうとするのを止めたのは同じく校長先生だった。

「香澄さん、今はやめて。まだ時期早々よ」

「でも私」

「まだ時間はたっぷりあります」

 押し留めると同時に梨南の方をじっと見つめて、

「もう、お父さまにはお話してありますけれどもこの学校を創立したのは、香澄さんのような、ある意味成績優秀なゆえに自分の天性とは全く違う道を選び苦しんだ女性たちを救いたいという気持ちからです。ある意味時流には反していますしおそらく、梨南さんには理解がしにくいところもあるでしょう。でも、かならず梨南さんのこれから進む道においてプラスになる学びの出来る場所だと、私は信じています」


「今、在学なさってらっしゃる生徒のみなさまも、私と同じルートで入学なさったのですか」

 もう覚悟は出来ている。大人の愛情溢れる包囲網でがんじがらめになった以上普通のやり方で脱出することは難しいだろう。最悪の場合は公立高校受験願書を自分で書いて直接青潟東高校に持ち込むことも考えていたが、非現実すぎるし青大附中側が妨害してくるのは明白だ。現実問題としては、もうどうしようもない。父も完全に骨抜きにされているし、何よりも目の前にいるふたりの女性に対して梨南は、悔しいことに好感を抱いている。きっと嫌いにはなれないタイプの大人の女性だった。

 ただ、別の道を、全く違う次元から掘りぬいて抜け出すことならできるはず。

 校長先生は梨南の問いにやさしく微笑んだ。

「概ねその通りです。ひとそれぞれ、事情もいろいろです。最初はそれこそ学歴に残らない形式で、しかも三年間全寮制ということに抵抗を示す人たちもたくさんいます」

「全寮制?」

 口を挟んだのは香澄さんだった。校長先生は頷きひとさし指を口に当てた。

「厳密に申しますと、月曜から土曜の午前中までは学校内の寮で過ごします。授業がありますから。その後土曜の夜と日曜はそれぞれ山のふもとにあるそれぞれの受け入れ家庭に向かいます。ロープウェーを使います。せいぜい五分程度で降りることの出来る山ですけれども。町で買い物もあるでしょうし、思い切り羽も伸ばしたいでしょう。そのくらいの自由はありますよ」

 ──何もなさそうな町だけど、日用雑貨くらいはないとまずいわね。

「一学年は何名いらっしゃるのでしょうか」

「五名です。三学年で十五名になります。ちょうどいい人数でしょう」

 ──そんなの信じられない!

 想像以上の少人数。確かに「少人数でひとりひとりに目の行き届く教育」とかパンフレットや説明で聞いたけれどもそこまでとは。青大附中のクラスが三十人ということを考えると恐るべき人数だ。

「数が少ないということは良いことも悪いこともありますが、ただこの学校にいらしてくださる生徒さんたちにとっては、プラスの部分が多いようです」

「災害時は大丈夫なのですか? 学校とふもとの町までモノレールしか交通網がないというのは、万が一山火事にでもなったらどう対処なさるのですか?」

「大丈夫です。本日の嵐につき、さすがに今日は車で降りてきましたから。多少時間はかかりますけどね」

 隣りで父が大げさに「よかった」と安堵している。何か勘違いしすぎているようだ。父はまともな人だとなぜ今まで信じておれたのだろうか。やはり馬鹿男子の成長した末と判断するしかないのだろうか。悲しいが。

「それでは一番大切な点を確認させていただけますか」

 梨南はひとりだった。誰も味方などいない。それなら自分で道を切り拓くしかない。

「私はどの環境においても、自分の学力に見合った大学進学を目指すつもりです。校長先生は私が成績ゆえに本来向いているであろうお茶入れや手芸や家事などの家庭的な能力を極めることができないとお感じのようですがそれは絶対に違うと思います」

 じっと目に力を込めた。負けたくない。気持ち悪いといわれようが自分のトンネルは自分で掘り進む。

「すでに私の進むレールは敷かれているようですし今の段階ではそれを翻すのも難しいことは分かっています。ですが、なずな女学院に進学したあとに私の目指すべき道を貫きたいと考えています。例えば通信教育とか、たとえば模擬試験とかなどですが。今の世の中はレベルの高い高校、大学に進学することにより、より多くのチャンスを得られる以上私は絶対に目指し続けます。家庭的な道を選ぶことは決してありません。その上でのご配慮はいただけますか?」

「わかります。梨南さん。もちろん勉学の道を応援するつもりではいます。お父さまにもそのことはお伝えしてありますよ。ただ」

 ちっとも表情を変えず、慈愛溢れる眼差しで校長先生は断言した。

「一年山で生活していくことによって、梨南さんはかならず自分の本心が求める道に気づくことができるはずですよ。今はわからなくてもよいので少しずつ、歩いていきましょうね」


 ちょうど外の雪もやみ青空が覗き始めた。あの突風はどこへやらといった雰囲気で、香澄さんが大急ぎで外に飛び出した。窓辺から見るとさっそくスコップでもって雪かきをしている。女性ひとりで大仕事ではないだろうか。そっと立ち上がり校長先生に尋ねた。

「雪かき、お手伝いしましょうか。雪かき用スコップがあればすぐに私も外に出ますが」

「いいのよ、梨南さん」

 校長先生は押し留め、

「お伝えし忘れていましたけれども、梨南さんは週末、こちらの香澄さん宅にお世話になることに決定しています。お父さまも香澄さんの人柄についてはなんとなくお分かりになっていただけたのではないかと思いますが」

 あっけに取られている梨南をよそに、父も大きく頷き、また目をぬぐった。

「そうですね。大切な娘を預けるにあたってお世話になるお宅のみなさまとはお会いしたいと思っておりましたが、あのお嬢さんであれば安心です。おひとりでお住まいなのですか」

「ええ、去年までお母さまがいらしたのですけれども亡くなられて現在は一人住まいの身の上です。彼女のことはある意味私が母親代わりとして見てまいりましたが、まじめで心のやさしい子です。ある意味、梨南さんと同じ道を歩んできたところもありますので、最適な人選ではないかと自負しております」

「全くです」

 父の脳天気な言葉を聞き流しながら梨南は外を改めて窓辺から眺めた。雪の張り付いた窓を少しずつ強い日の光が溶かしていく。あの、あっさりしすぎたもてなし料理の香澄さんと梨南とがどうやってうまくやっていけるというのだろうか。女性にはとことん優しく接するのが梨南の日常だが、彼女とはきちんと週末コミュニケーションしていけるのだろうか。そして何よりも、彼女とどこが同じに見えるのだろうか。

 ──世の中の人たちは、私をとてつもなく無能に見ているということだけはよくわかったわ。

 もう逃れられないのなら、その網の間から抜け道を探そう。

 ──やさしい人たちには甘えない。


 雪が晴れているうちにお暇することにした。まだ今なら汽車も走っている。香澄さんには丁寧にお礼を伝えた。次回お会いするのは卒業式後となりそうとも説明を受けた。

「それでは、またね、梨南ちゃん」

「お世話になりますがよろしくお願いします」

 改めて香澄さんの顔を見つめる。この人は確かに梨南を怖がらない。梨南を見下したような態度も取らない。だがまだ信じてはならない。何度それで裏切られてきたことか思い出せばわかること。心がきゅうとひっぱられるようなぬくもりある縄に引きずられてはならない。戦おう。ただ、とことん、戦うしかない。

「梨南、よかったよ。初めてだよ。学校関係者であれだけ梨南のことをきちんと認めてくれた人たちと出会えたのは。よかった。あとでお母さんに伝えておくよ。安心して」

 タクシーに乗り込んで父が興奮気味に語り続ける隣で梨南は、冷え切った青い空を車の外から眺めた。ロープウェー一本で向かう山の向こうでの暮らしが待っている。ときめきもどきどきもない代わり、食い込むような決意のみが梨南には存在していた。

 

 ──絶対私ひとりで、青大附属の奴らを見返してやる。なずな女学院から大検取って、青大附高からは絶対合格できないような、青潟大学よりもはるかにレベルの高い大学に合格してみせる。

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