43 山麓にて(4)
父の隣りでいい子にしているしかなく、校長先生の言葉をじっと受け入れるしかない。
雪の止む気配は全くない。
校長先生はもう一度ジンジャーティーを口にして、言葉を続けた。
「近年、女性の社会進出が目覚しいと言われています。もちろんそれは望ましいことですし私も、向いている女性にはどんどんそちらの方向に進んでほしいと願っています。実際私もこのような形で多くの親御さまとお嬢さんとお会いし、お話することもあります。その時に親御さまがどんなに強く良妻賢母の道を望んでおられたとしてもそのお嬢さんの適性が異なるようであればあえて入学を控えていただくようご提案もいたします」
──じゃあ私は?
言葉を飲み込む。言えない。喉がつまる。隣りで父は感心したように頷き、またお茶を飲む。
「この学校は確かに一般的な学歴には残りませんし、大学進学を目指すのであれば大検を受けていただく必要もあります。梨南さんはその辺も心配なさっておられるのでしょう?」
「はい。将来はそれなりのきちんとした仕事について、男女平等の環境できちんと評価されたいと考えております」
やっと自分の意見を伝えられた。夏休みにも繰り返したことだけど、半年近くたてば考え方も変わると思われているのかもしれない。否定はしっかりしなくては。」
校長先生はやわらかく微笑んだ。
「そのようなお仕事に向いているお嬢さんもたくさんいらっしゃいました。たいていは夏休みにお時間をいただいてゆっくりお話させていただければだいたいのことは私にもわかります。その上でなずな女学院への進学をお勧めするか別の進路をお考えいただくかを判断いたします。梨南さん、私は夏休みの段階ですぐにあなたがこの学校で幸せになる経験ができるはずと判断しました」
「どうしてでしょうか? 私は子どもの頃から男性に頼ることなく自立した人生を歩みたいと思っておりました。夏休みに校長先生とお話しさせていただいた際にもそのことは明確にお伝えさせていただきました。明らかに私は、なずな女学院の良妻賢母を目指す教育には不向きな性格かと思われます」
「そう思われるのも無理はありません。お父さま、どうお感じですか?」
父に話を向けると、なんとも言われぬとろんとした眼差しで、
「先生がおっしゃったとおりでございます。親ばかになりますがこの子は天使です。社会の不条理な扱いにこれ以上耐えていける性格ではありません」
「お父さま!」
思わず立ち上がる。すぐに父が肩に手を置いて座らせる。
「梨南、驚くのは無理もないよ。お父さんも最初は梨南が賢すぎる子だから馬鹿なクラスメートや教師連中が意地悪をするんだと思っていた。今でも本心はそう思っている。でもね、あの学校は梨南にとって居心地が悪すぎたんだ。もっと、梨南がおっとりと過ごしていける学校の方が幸せになれるんだよ」
「だから私は、青潟東に」
言い返しかけた梨南に校長先生はそっと割って入った。
「梨南さん、よろしければもう少し、理由を聞いていただけないかしら」
──しまった、はしたないことをしてしまった。
人前でみっともない親子喧嘩をしそうになってしまった。見苦しいもいいとこだ。こんな人間死んでしまったほうがいい。あとで自分を殺そう。
「失礼いたしました。お見苦しいところを」
梨南は座り直しじっと校長先生を睨み返した。
「梨南さん、あなたは青潟大学附属中学にて優秀な成績を収め、おそらく青潟市の公立トップ高校にも難なく進学できるだけの実力をお持ちです。成績表だけではなくいろいろな部分でそれは強く感じます」
──感じる?
たくさん成績という資料があるのだから「判断」ではないだろうか。もうここで取り乱すのは避けたい。
「そして、青大附中は自由な校風で知られています。やりたいことがたくさんあって自分で構成し、膨らませていける生徒にとっては楽園のような環境です」
──私がそうじゃないと言うのかしら?
こらえる。ここで爆発してはならない。
「その一方、受け入れる枠が広すぎて本来であれば箱庭ではぐくまれるべき個性が育ちにくいところもあります。たくさんの人々と個性をぶつけ合い磨き合っていくことは理想ではありますが、その方法が向かないタイプの生徒さんもたくさんいらっしゃいます」
「個性をぶつけ合うのが学校という環境ではありませんか」
「もちろんそうです。自分と同じタイプの人たちだけでは均一化するだけですからね。理想はもちろんそうなのですが、そのやり方で足を踏み外してしまったり自分をいじめてしまい傷を負ったまま社会に出てしまうケースもたくさん存在します」
たとえば、と校長先生は続けた。
「成績から考えますと梨南さんは入学試験でも高い得点でもって入学なさったことでしょう。一時期青大附中の選抜傾向が個性的な生徒優先だったこともないわけではないのですが、梨南さんはちょうどその端境期にいらっしゃいましたので純粋なる成績で選ばれたはずです」
──だから立村先輩が入ることできたという理由かしら。
記憶に保存したくもないものが勝手に浮かんだ。すぐ消した。
「よく成績で輪切りするとか、偏差値で人格を判断するなとか言われますけれどもそれは成績のよい子どもたちにも言えることです。梨南さんは非常に学業面での成績は素晴らしく、恐らくそのことから青大附中の生徒として自由奔放な学校文化にもなじめるだろうと判断されたのでしょう。もしこのまま公立高校を受験なされば、これこそまた成績で判断される形となります。さらに大学進学も同様に進んでいき、いざ就職を迎えた段階で立ち止まらざるを得なくなります」
「どういう意味でしょう?」
意味が分からない。なぜ立ち止まる必要があるのか。成績のみで一流大学に入学し、さらに優秀な成績でもって一流企業なり研究者なり馬鹿な男子たちを蹴散らして進んでどこがいけないというのだろう。
「社会では、成績というものさしが一瞬のうちに機能しなくなってしまうのです。就職試験ではもちろん高く評価されるでしょうが、仕事での評価は実績の他コミュニケーション能力を始めとする表に出にくい実力が求められてしまいます。もちろん血のにじむような努力を重ねていきますし、手抜きもしません。苦手なことも必死に耐えます。痛々しいほどに自分をいじめて適応しようとします。それで乗り切れる人もいます。それはそれでよいことかもしれませんが」
「乗り切れなかった人、は」
梨南が小声で尋ねると、それまでずっと黙っていた香澄さんが、そっと目頭をぬぐった。じっと梨南を見つめてはっきりと答えた。、
「身体と心を壊してしまうの。私がそうだった」
「ありがとう、香澄さん」
言葉を失った梨南の前で、校長先生は香澄さんにやさしい声でお礼を伝えた。梨南の隣りで父も鼻を啜っている。もう包囲されてしまっていることに梨南は今更ながら気がついた。
──もう、逃げられない




