41 山麓へ(2)
鈍行に乗り換えて一時間ほどで到着した。
「ひどい吹雪だね」
「ロープウェー動いているのかしら」
帽子を目深にかぶった。父もめがねを外し曇りを拭いている。
「結構歩くなこれは。タクシーを使おう」
梨南も賛成した。これから向かう先は徒歩で十五分なのだがさすがに視界が白一色の中、土地勘もなく歩き続けるのは厳しい。すぐにタクシーが止まり乗り込んだ。
「どちらまで」
「なずな女学院の宿舎です」
「なずな?」
聞き慣れないのか運転手さんは父から地図を受け取り、何度も確認を行った。
「ああここですか。学校になってたんですねえ」
──学校じゃないの?
梨南も、実際ロープウェーで学校構内に向かったことはあるのだが今日行く先とは全く別なのでわからない。学校と銘打ってないようではある。
「とりあえず行ってみますよ」
ひそかに不安がよぎる。見えない白い道を、車はそのまま突っ走る。
五分ほどで目的地にたどり着いたが、学校らしき建物はどこにもなく、単なる住宅地にしか見えない。降りながら、
「本当にここですか」
父が何度も確認しているが運転手さんも、
「どう考えてもここですねえ」
仕方なく地吹雪激しいその地へ降りた。
運転手さんは正しかった。見た感じどう考えても民家なのだが、呼び鈴を鳴らして迎え入れられてみるとそこは、隠れ家風のレストランだった。思わず立ちすくむと、
「どうぞ、お入りくださいな」
見た感じ二十代半ばと思われる女性が席に案内してくれた。客はひとりもいない。窓を叩くのは雪風ばかり。ばら色のテーブルかけで覆われた席は最奥のみ、その他は何もない。
「杉本、梨南さんですね」
「はい、娘の父です」
梨南が答える前に父がでしゃばって返事をする。本来であれば一礼して挨拶すべきところなのだろうが父はすっかり忘れているようだ。代わりに梨南が答えた。
「本日、なずな女学院さまからの案内でこちらへとの指示がありお伺いしました」
「はい、存じております。まずはお食事を用意しますね」
「恐れ入ります」
父がようやく落ち着いたのか、人並みの挨拶を返した。心底ほっとした。いつぞやのように教師へ食って掛かり、陰で「あの親子は完全にどこかねじが緩んでいる」とかささやかれるのはもういやだから。たとえ梨南がどんなに正しくても。
すぐに紅茶とトーストが用意された。朝一番に出てきたこともあり、お腹は空いていた。ただシンプルすぎる料理に一瞬戸惑う。この内装としつらえにはどう考えても似合わない雰囲気だったから。口にした紅茶もトーストも、普段の間に合わせという感じでおせじにもお金を払って出すものとは思えなかった。
「そろそろ、校長先生がいらっしゃいますのでもうしばらくお待ちくださいね!」
たぶんそういうことだろうとは思っていた。夏休みの面談が軽い内定のようなものとすると、最終的な入学判断を下す上で呼ばれたのではとも思っていた。もう逃げられない。最後の望みも潰えるというわけだ。梨南は紅茶を啜り、父を横目でみやった。目が合った。
「梨南、どうした?」
「なんでもないわ」
──もう私には、逃げる場所などどこにもない。
このまま梨南は籠の鳥となりロープウェーの先にそびえる「なずな女学院」にていかにも花嫁修業的な学びのもと過ごすことになるだろう。調べた限り、「なずな女学院」はいわゆる学歴に残らないタイプの学校と聞く。このままだと梨南の学歴は「中卒」となるがいざとなれば大学検定という道もあるしその辺は心配していない。そのためにE組で勉強を続けているのだから。自分ひとりで通信教育という方法だってある。
「里美那にいらしたのは何回目ですか?」
お茶のお代わりを持ってきた女性に尋ねられ父がへどもどしている間、梨南は、
「二度目です」
とだけ答えた。なぜ父がこうも自分を失っているのか戸惑う。梨南のこととなると我を忘れるだけなのか、それとも日常社会でもこのような言動をやらかしているのか。そう考えると今まで梨南が見つめてきた父の姿は、第三者からすると異様なものと思われてもしかたあるまい。
「この雪の中、大変ですね」
「二時間以上かかりました」
「ここからロープウェーだとすぐですよ」
女性は窓辺を眺め微笑んだ。髪はショートのひとつまとめ、さっぱりした雰囲気の人だった。指先だけがやたらと荒れているのが気になった。手の甲はすべすべなのに。しばらく梨南をおもしろそうに眺めていたが、
「そうだ、よかったらお茶の入れ方教えてもらえません?」
いきなり話を振られた。
「お茶の入れ方ですか。私にですか」
「ええそうなの」
いきなり言葉を崩して梨南にかがむように語り掛けた。
「校長先生から伺っておりましたけど、梨南さんはお茶やお菓子などのティータイムを整えるのが得意なんですって? 私苦手だからぜひお願いしたいんだけどどうかしら?」
隣りの父がまた口ごもりつつも、
「あのそれは、うちの娘がそれはちょっと」
──いきなり客にずうずうしいんじゃないかってことを言いたいのね。
文句を言いたそうにするのを押さえた。
「ぜひお手伝いさせていただきます。手を洗わせていただけますか」
あのまずい紅茶とすっかり冷めたトーストで客商売するのは間違いだ。梨南なら即座にもう少しましなものを用意する自信がある。どうしてこの店に立ち寄るよう指示されたのかわかるようでわからないのだが、あのまずすぎる料理で校長先生をもてなすのはやはり、人道上いけないと思う。
「ありがとう! 楽しみにしてたのよ。台所はこちらなの」
──調理場、じゃないのかしら。
ますますわけがわからなくなる。心配そうに見つめる父に落ち着くよう合図をし、梨南は誘われるままその女性の後に従った。真っ白く、果てしなく白い窓の色。本当に校長先生はロープウェーを降りて梨南たちと話をするつもりなのだろうか。信じ難い。




