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40 山麓へ(1)

 父に付き添われて山麓の街へ汽車で二時間かけて向かった。それほど遠いわけではないのだが、最寄駅に特急が止まらないため途中からタクシーか鈍行移動となる。いつもなら父の車ですぐに着くはずなのに、今回に限っては汽車を利用するようにとの指示が出ている。

「梨南、疲れただろう?」

 やさしく父が微笑む。梨南を責めたことも、叱ったこともない人だ。

「大丈夫」

「さすが僕のお姫さまだ」

 ──やはり普通の親の褒め方とは違うのかしら。

 最近になり少しずつだが梨南も、父の言動が一般的親の像と異なってることを自覚し始めた。それまでは純粋に梨南のことを信じてくれている完璧な父でしかなかったのに。

 雪が激しく降り続く。窓辺の景色も白一色。何も見えない。最後の特急駅まであともう少し。乗り換えるかタクシーを選ぶか迷う。

「梨南はどうする? タクシーにするか?」

「普段の天気ならそれでもいいけど、車が止まってしまったら大変だし待ち合わせ時刻に間に合わないと失礼だわ」

「では鈍行に乗り換えるとしよう」

 荷物を網棚から下ろし、父は梨南の分をまとめて抱えた。

「しかし、遠すぎるな」


 去年の夏に一度、見学がてらに向かったのが最初だった。山麓駅からロープウェイを使い「なずな女学院」の校舎まで向かい、そこで校長先生らしき人と一時間ほど対話をした。父もその時は寄り添っていた。その後別室で父への説明が行われたようだがその内容を梨南は把握していない。いわゆる合否判定のようなものも梨南は受け取っていない。ただ、気がつけば父や先生たちの、いかにも当然のごとく公立高校進学を行わない方針に戸惑うだけだった。

 何度も父を問い詰めた。職員室で事情を説明するよう訴えた。

 しかし、

「学校側ではご両親の意思を尊重しているのだから、自分で確認しなさい」

の一言で逃げられ、父にいたっては、

「これが梨南にとって一番幸せな道なのだから、安心してほしいんだ。あんな人間性を認めない最低な学校に無理やり入れてしまい梨南を苦しめたお父さんが悪かったんだ」

 手を着かれて頭を下げる始末。自分の娘に土下座するその姿が醜くて、それきり何も言えないかったというのもある。

 ──母は、もう。


「お母さまにはどう連絡を」

 短く尋ねた。

「まだ気持ちが落ち着かないようで、もうしばらくしてから会いに行こう。きっと梨南のことを心配しているよ」

 ──いいえ。

 父の言葉の不確かさを知るゆえに、梨南ははっきり否と答える。

 ──もう二度と私と会いたくないとまで言い切ったお母さんには、私も会うつもりなし。

 ──私がお母さんの心を病んだ張本人なのだから。

 ──どんなに私の考えが間違っていなかったとしても、それが現実。

「梨南、今のうちに聞いておきたいんだけどいいか?」

 口調はやさしく、それでいて不安ありげに父が尋ねる。

「はい」

「去年、梨南を家の途中まで送ってくれた男の子がいただろう?」 

 ──そんなことか。

 ばかばかしい。隠すこともない。聞かれなかったから言わなかっただけのこと。いい機会だしきちんと説明しておこう。

「私から半径一メートル以内に近づきたがる男子生徒は数えるほどしかいませんので絞り込まれてるけど立村先輩のことかしら?」

 父は笑った。梨南の頭を撫でた。

「お父さんもその半径一メートル以内に入ることを許された男子ということでいいのかな」

 黙る梨南に父はゆっくり問いかけた。

「梨南はまじめでいい子だから心配していないんだが、世の中は狼だらけだからやはり気になるんだよ」

「狼になる素質があれば別だけど、今のところ立村先輩にその才能はないみたい」

「狼になる素質? なんだろうなそれは」

「いわゆる『送り狼』という言葉」

 父は笑いをこらえるのに必死なようで俯いて何度も頷いた。

「梨南みたいな可愛い子に『送り狼』にならない男子のほうがお父さんはおかしいと思うな。梨南は自分のことを低く見積もっているようだけどとんでもない。青潟の男子中学生はみな梨南の能力と価値にめろめろだよ」

 ──歯の浮くようなお世辞とはこのこと。

 かつては父の不思議な褒め言葉を真に受けていた。うれしいと思っていた。今はそれがすべて、子どもたちのこしらえる折り紙での飾りつけにしか見えない。きれいだし、嘘はないし、心は癒される。でもすぐに破れる。

「まあ、青大附属の連中はほとんどが人格破壊者の集団であることが判明したことだし、梨南がこれ以上いじめられる必要もないというわけだ。いつか笑ってやりなさい」

 ──ここは真実かも。

 あえて相槌は打たない。すべてと断言はできない。父の言い方だと梨南を守ってくれた女子生徒たちもその中に含まれるわけだから。少なくとも梨南を愛してくれた人が全くいなかったとは言えない。たとえ『送り狼』の才能がない立村先輩であっても。

「あの男の子のお父さんに会って話はしたよ」

 父はにこにこしながら続けた。

「梨南の可愛さに見とれてしまうのは人間として仕方ないから、しばらく距離を置いてもらったほうがいいねえと話したよ」

 ──そういうことか。

 初めて腑に落ちた。ここ最近立村先輩が青大附中校舎に顔を出さないのがなぜなのかわからなかったのだが、親の命令であれば仕方あるまい。別に梨南は立村先輩がいなくてもどうでもいいし、むしろせいせいする。わけのわからないことを言われたり、頼れとか言いつつ肝心要のところで突き放したりするし、当てにならない人が側に寄ってこられても困る。

「お父さま、ご安心を」

 梨南なりに答えを伝える必要がある。何も「不純異性交遊」などをするわけではない。立村先輩などとは、考えるだけでもぞっとする。

「学校内で礼儀を保った会話が交わせる数少ない人であることは認めます。ただお父さまが想像しているようなことは一切ございませんし私がさせません。もし、私が立村先輩とそのようなことが万が一あるとすれば」

「すれば?」

 おもしろそうに父は梨南の顔を覗き込む。

「十中八九ありえませんが、お父さまを通じて正式にお見合いを申し込んでこられた時です。さすがにその時は釣書を読みながら私も真剣に考えざるを得ません。世の中では下品な付き合いがはやっているようですが私は筋の通ったお付き合い以外一生するつもりはありません」

 当然のことを伝えた。どこかの元生徒会長とどこかの元評議委員長のように抱き合ってほっぺたを摺り寄せたりするようなことは決してしない。人間としてのルールである。

 父はこらえきれず笑い出した。膝を何度も叩いた。梨南をそっと傍らに引き寄せ何度も髪の毛を撫でた。


 

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