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4 帰り道


 ──誰にも言ってないのに。

 梨南の知る限り来年の受験についても、その先の去就も、今の段階では誰ひとり伝えていないはずだった。どこで立村先輩が嗅ぎつけたのかその理由を本当は知りたい。でも聞き方によっては自分が落とし穴にはまる可能性もある。切り出し方に迷った。

 しばらく無言で隣り合っていた立村先輩は下唇を軽く噛むようにし呼吸を整えていた。やがて梨南に向かい、

「今年の夏頃に決まったのか」

 とだけ尋ねた。

「なぜそれを」

「杉本がそんな素振りしてたから」

 まさか。誰にもそんなこと伝えてはいない。

「立村先輩にお話したことは私の記憶する限りございません」

「杉本自身は言わなかったけど、ヒントになることはいっぱい話してくれたよ」

「例えば」

「夏休み、一緒に行っただろ。子辺の修道院。あの辺りとか、あと青潟東高校の下見に行った時とか。なんとなく」

 ──立村先輩に限ってその程度の認識で感づくほど賢くはないわ。

 三年間立村先輩と語り合う機会を得て観察してきたけども、決してこの人は他の男子たちと比較して勘の鋭いところはない。情報を集めて吟味してという形で物事を推し進める。だから評議委員長としても……半期だけだが……それなりの成果を納めることができたのだろう。しかし、上に立つものはやはり直感が必要なはずだ。立村先輩にはそれが欠けている。

 となると、誰かスパイらしき存在でもいたのだろうか。

「別に私はどこかに行くなどとは申しておりませんが」

「言ってないよ確かに。それに、噂もそれなりにあったからさ」

「噂とはどこから」

 出処によってはこちらから確認せねばなるまい。できるだけ穏やかに問い詰めた。

「嘘か誠か確認する必要がございます。どこから出てきたのかおっしゃってくださいませ」

「それ関係ないだろ。俺が知りたいのはやはり、噂通りのところに行くのかってことだけ」

「なぜそんなにお知りになりたがるのですか」

「それはさ」

 口ごもった立村先輩の側にバスが止まった。すぐに立ち上がりふたりでまた歩き出した。自転車を押しながら、立村先輩はまた言葉を飲み込んだ。梨南の質問に答えようとはしなかった。


 横断歩道でいったん停止した。立村先輩はまた肩で呼吸したあと梨南に別の問いかけをした。

「修学旅行の時の噂で妙なこと言われてないだろうな」

「平気です。誤解する人間も多々おりますが最初からわかっていたことです。私は嘘も言わない限り否定もしないので勝手に思い込んでいる者はおります」

 答えた後でなぜか喉が詰まりそうになる。風邪だろうか。明日からマスクをして通った方がよさそうだ。

「変なこと言われたら言い返せよ」

「それはしない約束ではありませんか」

「でも程度によるだろ」

 立村先輩が話している内容は梨南も把握している。修学旅行中に梨南が真夜中布団に粗相をしたという噴飯ものの噂を何者かが流し、潔白であることを梨南自身が証明したにもかかわらず学校側の陰謀により無理やり黒にされようとしている。現在進行形の展開であることも今はまだ立村先輩に伝えたくない。

「私が処理できることはすべて片付けております。ご心配は必要ございません」

「その言い方、なんとかならないのかよ」

 かすかに機嫌を損ねたのか、吐き捨てるように立村先輩がつぶやいた。それでいい。ちょうどいい。梨南とのバランスは優しすぎないほうがいい。

「それと、例の家庭教師ごっこのことだけど」

「私は遊びでしているつもりはございませんが」

 まずい、このことに触れられると梨南としては決して言いたくない事実を伝えねばならなくなる。決して立村先輩を間に挟みたくない。現段階ではどんなことがあっても梨南ひとりで処理しなくてはならないこと。

「とりあえずは順調と申し上げればよろしいでしょうか」

「とりあえずか」

 どことなく立村先輩も事情を把握していそうな口ぶりでつぶやいた。嫌な予感がする。やはり送ってもらうべきではなかったのだ。誰ひとり梨南を襲う男子など存在するわけもないのだから、ひとりで帰ると言い張ればよかったのだ。何も怖いものなどなにもない。

 

「杉本、これだけは言っとくけど」

 横断歩道を渡り切った後、立村先輩はじっと梨南を見据えた。人通りも多いとまでは言えないがそれなりにすれ違いも増えてくる。車の流れもほんの少し激しくなる。ヘッドライトが明るい。

「学校祭終わったら俺も少しは暇になるし、これからちょくちょく中学に用事あるから行くけどその時何か変わったことがあったら、必ず最初に俺に言ってくれないかな」

「なぜ立村先輩なんかにお伝えしなければならないのですか。意味がわかりません」

「別に杉本がわからなくてもいいんだ。ただ、何もないってことはないだろ」

 隙のない厳しい眼差しだった。

「それになぜ立村先輩が中学に用事を作る必要があるのですか。いくら立村先輩が現在帰宅部生活を謳歌なさっていらしたとしても、学業が優先ではありませんか。英語科はただでさえレベルが高すぎて立村先輩の能力ではついていくのも大変でしょうに」

「否定しないよその点は。けどさ、俺なりに用事があるんだよ、いろいろと」

 動じず立村先輩は続けた。

「二年の霧島知ってるだろ。霧島さんの弟。あいつにいろいろ用事頼まれているし狩野先生にも呼び出されることが多いし、この前本条先輩と会ってそのことも今度駒方先生に報告しなくてはならないしさ。用事こう見えていろいろあるんだよ」

「菱本先生は?」

 わざと言ってやる。天敵だということはよく梨南も理解しているつもりだ。

「なんであいつのことを持ち出すんだよ」

「いえ、実は現在臨時で三年E組が私専用に用意されまして、現在菱本先生が担当してくださってます」

 だから言いたくなかったのだ。立村先輩の表情がみるみるうちに硬直し、言葉を失い倒れそうになっているところを見れば誰でも後悔するはずだ。立村先輩があまりにも梨南を責め立て過ぎたからしかたなく応戦しただけのこと。

「なんであんな奴が出てくるんだよ!」

「私も存じません。学校側の都合でしょう。今年は菱本先生も担任持ってなかったようですし、手がたまたま空いていたのではないですか。もっともE組が復活しましたのは今月からですので、菱本先生がどのような対応をなさるのかはわかりかねます」

「杉本、いいか、あんな奴のことは絶対に聞くなよ。無視しろ、とことん知らんぷりを通せ。でないとあいつのせいで」

「立村先輩ほど私は愚かではありませんので対処方法は存じております」

 切り返す。それが精一杯だ。梨南の目の前に広がった現実をどう説明すればいいのかわからない。立村先輩とバトルを三年間繰り返してきたという菱本先生がなぜよりによって梨南のE組専任となったのか。梨南の方こそ説明してほしい内容だ。しかしE組を臨時で梨南専用に復活させなくてはならなかった理由であれば、致し方なく語るしかあるまい。だが今は言いたくない。どうしても口にしたくない。

「なんでよりによってあいつなんだが。せめて狩野先生とかさ」

「狩野先生は二年の担任を二学期から担当してらっしゃいます」

「知ってるよそのくらい」

 しばらく言い合いを続けていくうちに住宅街へと入り、やがてうっすらと十字架の浮き彫られた三角屋根の我が家へとたどり着いた。

「ここまでにしていただけますか」

「わかってるよ。けど、気をつけろよ」

「何をですか」

 立村先輩は梨南の全身をまじまじと見つめ口ごもった。

「お前のこと変な目で見ている奴がいたら、何がなんでも最初に俺に報告しろよ」

「憎んでいる目の持ち主は学校内ほぼ全員ですのでそんなこと報告していたら日が暮れてしまいます」

「そういうわけじゃないよ。また、明日」

 そこまで早口でつぶやき、立村先輩は背を向けて自転車に乗り込んだ。手を振ったりはしなかった。全力で一目散に漕ぎ始めた姿を見送りつつ梨南はそういえば立村先輩がさっきからちらちらと胸元を睨みつけていたことを思い出した。

 ──こんな贅肉を見て楽しいなんて立村先輩はやっぱりどこかおかしいわ。


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