39 歳末の闇(5)
家に到着するとすでに父が戻っていた。まだ仕事納めには早いはずなのだが。食事もかんたんながら用意されている。餃子とご飯、シンプルだ。
「今日は、確かキーボード貸してくれたお嬢さんのお宅でクリスマスパーティーだったな」
「ちゃんと保護者もいたから」
「それはわかっている。母さんが連絡取ってるからな」
いつのまにかこずえの母とも話が通じているらしい。恐ろしい話だ。下手なことは話せない。風呂より食事が先と言いたいが、こずえ宅でケーキその他いろいろごちそうになってきたこともあってまだ消化できていない。とりあえず土産のケーキをテーブルに置いた。
「どうしたんだこれ」
「お土産。時間が経ってるけど俺が食べた限り問題なかったよ」
父もすぐ箱を覗き込み、
「いいところのクリスマスケーキじゃないか。確かにクリスマスから日は経っているが」
「今のところ腹がおかしくなることないし、あとで父さん食べればいいよ」
言い捨てて部屋に戻る。やはり順番としては風呂に入ることが先決だ。急いで焚いて入ることにする。
──身体がほんと溶けるよな。
品山駅から家まで歩くうちに身体がすっかり冷え切ってしまった。湯船に浸かりすっきりした全身を横たえる。天井を見上げて脱力する。
──すべてこうやって忘れてたいよな。
こずえ宅の四人組パーティーは余計なことをすべて忘れていられた。霧島のことで多少気になることもなくはないがほんのささいなこととして置いておけたし、帰り際の美里と羽飛からもらった温かい言葉も上総の芯の部分をほんのり溶かしてくれた。ひとりになるまでは何も考えずにすんだ。
──明日で今年の講習も終わるしな。
冬休みは旅行にも行かず静かに時を過ごす予定だ。美里たちにも話した通り、年末年始には親戚まわりをしてお年玉をせしめてくるつもりだがそれほど長居するつもりはない。たぶん母の実家ではピアノをたっぷり弾かせてもらえるだろうからそれはそれでいい。また、冬休み中には例によって志遠流のお師匠様宅で初ざらいの手伝いもすることになる。いつもの流れだしまた花森なつめとも顔を合わせることになるだろう。
──花森さんか。
結局どうするのだろう。母からちらちら聞いたところによると何はともあれ私立の女子高校には進学することになったという。どこかは聞いていない。推薦をもらえたらしい。芸者修行に対する情熱が消えたわけではないが花森の将来を考えて学歴を持たせたいという大人たちの意向が影響したとも言う。たぶんそれは今度会った時に話せるだろう。
──杉本とは連絡取り合ってるんだろうな。
夏休みの段階で花森も「なずな女学院」の存在を知っていた。上総にも何度か夏休み中旅行するといったことも話していた。霧島が情報を運んできたのが夏休みも比較的早い頃。もうだいぶ話も固まっていたのだろう。上総だけがひとり、何もせず様子見してたというわけだ。身体がとろけてくると頭の思い出したくない氷も水になる。
──あと、三ヶ月か。
厳密に言うと、あと二ヵ月半。三月は中学三年、学校には半分しか出席しないはず。
前髪からたらたら水が滴り落ちた。顔をもう一度湯船で洗いなおす。
──けど、なんでだろうな。
いったん蛇口から水を出して顔を冷やしてはたと気づく。
──霧島の奴、なんで佐川書店に佐賀さんと行ったりしたんだろう。
目撃者から直接確認するわけにはいかない。あくまでも推測のみ。
──霧島はまだ、佐賀さんやあいつとの関係を知らないはずだしな。佐賀さんだってしっぽ掴まれるようなことはしないだろうし。古川さんじゃないけど、そんなことばれたら新井林がぶっ壊れるのが目に見えている。今のところ新井林は特に荒れている気配もないよ。そう考えると、ガセねたと判断していいのかな。
もう一度、今度はお湯で顔を荒い、一瞬湯船にもぐりこむ。
──たまたま佐川書店で顔を合わせただけじゃないかという気もするしな。けど、手をつないでいるって? まさかだよな。冗談でもそれはまずいよ。
元生徒会長と現生徒会長。それなりに引継ぎもするだろう。たまたまそれが休みの日に駅前でお茶飲みながらということもないとは言えない。上総も美里と付き合っていた頃に轟さんと直接会い二人きりで語らったことも何度かある。修学旅行ではこずえとふたり組んで喫茶店で休んだりもした。だから珍しいことでは決してない。ないのだが。
──本当に取り越し苦労じゃないといいんだけどな。
胸騒ぎをどうしても鎮めたい。上総はもう一度髪を洗うことにした。
「ずいぶんと長い風呂だったな。餃子冷めたぞ。レンジであっためろ」
あまり形の整っていない餃子を平らげた後、上総が部屋に戻ろうとしたところで呼び止められた。
「ああ、上総、ちょっと」
「何か」
「何かじゃないだろう。この時期の話題となると決まってるだろ?」
軽いからかい調子でソファーを指差した。仕方なく腰掛ける。こちらもまた、胸騒ぎだが予測がつかないものではない。父の手元にある封筒を凝視した。
「この封筒に見覚えあるよな」
「父さんの文字だし」
「そういうことだ。ということで封を切る」
──悪趣味なやり方だよな。
すでに結果はばれているというのに。上総は息を呑んで見守った。丁寧に封をはがした後父はにやにやとしながら細い二つ折りの書類を取り出した。
「さてと、じっくり拝見させていただくとするか」
──息子をじんわりつるし上げてねちねちつつくといったことか。
書類には「青潟大学附属高校 一年次成績表」とあり上総の名前が手書きで綴られていた。
父は言葉どおりじっくりと見入った後、
「あのな、上総」
大きなため息を吐いた後、開いたまま上総の前に差し出した。
「お前が今回期末試験でよくがんばったことは認める。本当に努力したというのはわかる」
「褒めたいのかけなしたいのかどっちだよ」
言い返すと父は額に手を当てて、
「文系一位の理系最下位というのはあまりにも親の心臓によくないと父さんは思うんだよ」
やるべきことはやった。理系最下位であってもとりあえず総合順位七十位は確保した。百番落ちからは脱出した。約束通りの結果は出した。
「どちらにせよ文系十位以内に入ったし、この前の約束通りピアノは続けていいってことだよな」
上総は言い捨てて立ち上がった。




