35 歳末の闇(1)
霧島から電話をもらったのは終業式の夜だった。
「立村先輩、ただいまお時間よろしいですか」
やはり来るだろうとは思っていた。期末試験後向こうが懸命に上総を探していたらしいとは聞いていたものの、なかなかその時間が作れなかった。南雲の下宿で自宅に帰るための大掃除手伝いに駆りだされたこともあり、結局帰ったのは八時頃だった。
「ごめん、なかなか連絡取れなかったよな。悪かった」
「緊急事態をお伝えしたいと申しますになぜこうも遊びまわっておられるんでしょうか」
──生徒会長とは違うんだよ。
言い返したいのを我慢する。霧島もいざ生徒会長に就任してみると思ったよりも自由がきかなくなったようで、かつてのように高校まではせ参じることが少なくなってはいた。それはそうだろうと放っていたのだが、最近は電話もかかってこなくなった。ひとり立ちしたんだろうと冷めた気持ちで見ていたりもした。
「悪かった。それで緊急事態とは」
「この電話では簡潔に申します。杉本先輩のことです」
まさに「緊急事態」赤ランプ点灯の言葉を霧島は発した。
「杉本になにかあったのか」
「はい。恐らく大事件と言ってもよいかと思います」
「詳しく頼む」
「心得ました」
霧島も声を潜めて語り出す。周囲に気取られないようにしたいのだろう。幸い電話のそばには父もいない。上総は受話器を持ったまましゃがみこんだ。
「先日お伝えしました『模範生徒表彰』の件ですが、本日の終業式で初めて全校生徒に発表となりました。それまでは一部の関係者にしか知られておらず、当日判明したことでしたのでみな驚きのほうが大きかったようです」
もっともだ。上総も霧島が情報を持ってこなければ知らなかった話だ。ちなみに霧島が得た情報源はなんと佐賀本人だったという。悩みを相談されたのだそうだ。鼻の下を思い切り伸ばして自慢された。
「そうか。それで」
「その際に杉本先輩は周囲の制止を振り切って校長先生の前に飛び出し、本来表彰されるべき人物が他にいるのではないかと全校生徒の前で糾弾されたのです」
「それ、本当か!」
まずい、声がいきり立つのが分かる。父に聞かれたらことだ。自分で口を押さえる。
「生徒会長たる僕の言葉を疑われるのですか」
「生徒会長なら疑うが霧島なら疑いたくないよ」
「とにかく、あの時の杉本先輩は圧巻でした。先生たちも最初は取り押さえるつもりでおられたようですがあえてそれをやめさせ、言いたいことを一通り言わせるといったスタンスで対応なさいました」
「お前当然それ見てたんだな」
「当然でございます」
霧島はつらっとして言い放った。
「正直僕も驚いた部分がありましたが、諸事情を知るゆえに仕方ないことだろうとも感じておりました。同時に先生たちも見事なスクラムかと感じ入った次第です」
「なんだそのスクラムってさ」
「つまり、我が校の教師陣は前もってこのようなことがおこるであろうことを予測し、ありとあらゆる準備を重ねておられたのだということです。通常であれば杉本先輩にあれだけ好き勝手に言わせておいて黙っているということは考えずらいでしょう。ましてや相手はあの佐賀先輩です。何をされるかわからないと、桧山先生ももちろん考えておられたでしょうしああそうでした思い出しました」
「何、思い出したんだよ」
霧島がふっと、何かに気がついたような声を挙げた。。
「そうです。僕も不思議に思っていたのですが、菱本先生は杉本先輩を見張れる位置にずっとスタンバイしておられました。つまり、今回の発表が行われるにあたって杉本先輩のアクションを危惧しておられた可能性が高いということです」
「あいつがかよ!」
まずい、つい自分の本音が中学時代に戻ってしまう。思い出したくもない青春熱血教師、さっさと宇宙の塵になってくれと思っていたあの元担任が、よりによって杉本の見張り役か。E組担任とは名ばかりで要するに杉本の手と足ついでに口もふさごうとするための看守のようなもの。断じて許すわけにはいかない。
「立村先輩、落ちついてください」
情けなや。後輩になだめられるとは。
「杉本先輩の名誉のために申し上げておきますが、彼女の言い分は確かに筋が通っておりました。決して自分のことを認めてほしいのではなく、いっしょに行動された桜田先輩のことも模範生徒表彰の対象にすべきと訴えておられたのですからね」
「桜田さんだけか。杉本だって当然それに」
「いえ、杉本先輩は自分などどうでもいいという意味合いでおっしゃいました。ご自身は所詮学校内の札付きであり対象外であることは承知の上で、それでもオリジナル教科書を作成したきっかけの桜田先輩はもっと高く評価されるべきという主張をなさってましたよ」
──桜田さんは、確かにそうだな。
杉本の性格から考えて確かにその発想は考えられる。自分の味方になってくれた桜田さんのことをもっと高く評価してやってほしい、たとえ過去に中学生売春などやらかした過去があったとしても、それ以上に友人を助けようとて努力したその結果をも認めてやってほしい、そう思う気持ちはいたいほどわかる。
「それで学校側の対応は」
「そこです。立村先輩、驚かないでいただけますか」
霧島はわざとらしく膨らませるような口調でゆっくりと、
「僕もこの件が終わった後直接佐賀先輩に確認しましたが、すでに桜田先輩は佐賀先輩と友情関係が生まれていたとのことです。ついでに申し上げるならば、佐賀先輩の取り持ちによって、他中学にいらしたお友だちともよりを戻したとか。つまり、何もご存知なかったのは杉本先輩だけだったのです。桜田先輩もすでに、寝返っていたのです」
上総の反応を待つかのように、伝え終わった後じっと黙った。
──どういうことだ、それは。
頭の中がぐるぐる回る。
「霧島、俺の脳のキャパシティが足りないせいか理解ができないんだが」
もう一度上総は問うた。
「つまり、桜田さんも模範生徒表彰の対象となったのか」
「厳密に申し上げますと、違います」
霧島も注意深く説明しなおしてくれた。
「模範生徒表彰が佐賀先輩なのは決定事項で動かせません。しかし佐賀先輩はすでに前もって先生たちに、なんらかの形で桜田先輩と杉本先輩も評価してほしいと伝えておられたとのことであります。学校側の対応としては杉本先輩は論外としても桜田先輩についてはいざ表彰の舞台において、佐賀先輩の提案を行わせることによって壇上に上げるつもりではいたようです。そしてそのことは、桜田先輩も認識してらっしゃいました」
「杉本のいない場所でか」
上総の言葉に霧島は一言、
「その通りです」
とだけ答えた。
「となると何か。杉本はひとり蚊帳の外にいたというわけだな」
「そうです、校長先生からは杉本先輩がなぜ選考の対象外となったのかという理由と、今回佐賀先輩が高く評価されたのかについて逐一説明がありました。そちらはみな納得できる内容であり、最終的に杉本先輩はそのまま引き下がり幕となりました」
「お前、同じクラスなんだろ」
念のため確認した。どうしても聞きたいことがあった。
「その後、杉本の様子はどうだった」
「いえ、僕はそれから一度も杉本先輩にお会いしておりませんのでわかりかねます」
霧島は淡々と述べた。
「杉本先輩は式典が終わる前にお帰りになりました。その後の状況ははいかんとも」
上総は受話器を握り締めた。そのままカーペットにへたり込んだ。霧島がまだ受話器の向こうでしゃべっているのを聞くともなしに聞いていた。
「これは噂なのですが、その件について菱本先生が抗議をしていたらしいという話も流れてきているのですが、まだ確認が取れておりませんのでまたはっきりしましたらご連絡いたします。立村先輩、聞こえてらっしゃいますか?」
「ああ、聞こえてる。連絡助かった」
「もう少し詳しいお話がご希望であれば『おちうど』にてよろしくお願いいたします。ではご機嫌よう」
一方的に切れた霧島からの電話。上総はゆっくりと受話器を置き、両手でそれを押さえつけた。この結末を、上総は期末試験後のあの場所でもっと早く予測できたはずだった。なのに何もしなかった。ただ逃げ出しただけだった。
──また、裏切られたのか。
佐賀さん、桜田さん、そして上総に。




