34 最後の対峙(3)
生徒たちが先生たちの制止にも関わらず罵声を飛ばしたり悲鳴を上げたりしているのになぜか壇上の校長先生およびはるみの表情は落ち着いていた。そばにいる菱本先生も梨南を止めようとはしているが強引ではなく、むしろ覚悟をしていたかのようにも見えた。それが梨南には不可解だった。
──しかも、私を壇上にあげようともしない。
見下ろす視線、確かに穏やかではあるが、決して同等の扱いをしようとしない。
──この学校が、私に対する意思だ。
「私が言いたいことはひとつです」
マイクなんて誰も持ってこようとしない。そんなものいらない。梨南は真正面から校長先生を見据えた。身体中の力を目に込めた。
「もし佐賀さんの模範生徒表彰が正当なものとするならば、もうひとりきちんと表彰されるべき人がいます!」
「どういうことでしょうか」
校長先生の隣りにいるはるみが何かを口にしようとしたのを、いつのまにかその隣りにいる桧山先生に止められている。
「私は決して校長先生が仰ったことを否定するわけではありません。なぜならその場にかつて私もおり、クラスから外されていた他校の生徒たちの存在をじかに知っていたからです」
また背中でうおおとざわめきが起きる。はるみに対してのものと違うのは、憎しみ溢れる野次の連続だから。さっきまで隠れていた、
「ねしょんべんたれの癖に、最低だな」
「きたねえ女」
「死ねばいいのにな」
「早く消えろよこの学校から。どうせ追い出されるくせに」
「専門学校進学おめでとうございまーす!」
ありとあらゆる罵倒が飛び交う。言い返す暇などない。梨南はそのまま言葉を発砲した。
「時系列で申しますと彼女たちと知り合ったのは夏休みよりはるか前、佐賀さんが協力などをなさったのは九月のはずです。この段階で私ともうひとりの人は彼女たちの自宅で手作り教科書を用意してひとつひとつ勉強を教えていました。目的はひとつ、彼女たちの受験勉強を手伝うためです」
校長先生は頷きつつ梨南の言葉を促した。
「確かに彼女たちの勉強が遅れていたことは事実です。同時に私と彼女とは懸命にその差を埋めるべく努力を重ねてきました。途中でこの学校の先生たちに誤解され、いわゆる不良扱いされたこともありましたがそれは仕方ないことです。私と彼女の、この学校における立場がそうさせたのですから」
梨南はそこまで言い切り、校長先生に問うた。
「この点をまずご存知ですか、校長先生。お答えいただけますか」
隣りで菱本先生が、
「杉本、もういいだろう。あとで俺が全部聞くから、とりあえず教室に戻ろうな」
なだめようとする。もう信じない。誰も、みな裏切るのだから。
校長先生は頷きつつ、それでも返事をしない。このまま続けることにする。
「夏休み中にこの学校の先生たち、厳密に申しますと退職された駒方先生の前で私と彼女とはすべての授業を公開して見て頂きました。場所は『あおがたいこいの家』にて、大人の方も複数、高校の先輩たちもふたり、客観的な視点から見ていただいた次第です。その上で私たちのしていることが決してシンナーや不純異性交遊といった誤解を招くことでもないということを証明し、さてこれから全力を尽くそうと思っていた矢先でした」
不思議だ。生徒たちの騒ぎとは打って変わって教師たちの態度はみな冷静だ。もちろん梨南を取り押さえる準備、はるみを守ろうとする桧山先生、さまざま配備はされている。しかし梨南の出方はすべてお見通しといったこの態度がいまだに溶けない。少しあせりを感じるが続ける。叫ぶしかない。
「私と彼女はなぜか九月以降二ヶ月間、その生徒ふたりとの接触を禁止されました。理解できなくもありません。私はご存知の通りこの学校を追い出される身の上です。不名誉な濡れ衣も後ろのどなたかが叫んでいる通りかけられたまま卒業する予定です。いえ、もしかしたら卒業間際で退学になるかもしれません」
菱本先生が肩に手を置く。なれなれしい。振り払った。校長先生が首を振って菱本先生を制する。言いたいこと言わせてはもらえそうだ。
「その二ヶ月のうちになぜか佐賀さんが割り込んできていました。なぜなのかはいろいろ憶測が飛び交っていますので控えます。気がつけば私ともうひとりの彼女は蚊帳の外に追いやられ、佐賀さんともうひとりの別の学校の生徒、校長先生の仰ったもうひとりの他校生徒との手で話が進んでいたようです。その後何度も接触を試みましたが私はすべて拒絶されています。迷惑なんでしょう。よくわかります」
皮肉を込めて言い切ってやった。
「私は決して、自分自身がパイオニアの役割を果たしたと誇るつもりはありません。私がいわゆる札付きの人間で高校の推薦すらもらえない役立たずということは理解しているつもりです。そんな人間がこの場で模範表彰の対象になどなるわけはありません。ですが、もうひとり、少なくとも私以外にもっと高く表彰され、かつオリジナル教科書というアイデアを自分自身でこしらえた女子がひとりいることをわかっていただきたいのです。決して、佐賀さんひとりが立てた手柄ではないのです。最終的に追い出された立場ではありましたけど、大切な友だちの進学を手助けしたくて精一杯努力していたひとりの女子の名も知っていただきたいのです」
振り返り、その人の名を呼ぼうとした。とたん、後ろから、
「杉本さん、もういいよ」
狩野先生が、桜田さんを連れて梨南のそばに立っていた。その桜田さんは涙を浮かべたまま、首を何度も振り目を伏せた。
「私、あやまらなくちゃいけない。ずっと嘘言ってた。ごめんなさい」
──桜田さん?
桜田さんは狩野先生に促されるようにしてそのまま壇上へと上がっていった。校長先生が微笑み迎え入れ、はるみがかすかに頷いて隣りに来るように誘うのが見えた。立ちすくむのは梨南だけだった。校長先生はふたりを見つめて大きく頷いた。そのままマイクの前に立った。
「杉本さん、あなたが何をおっしゃりたいのかはよくよくわかっていました」
勝ち誇ったように、穏やかに。
「確かに杉本さんは一生懸命にその他校のお友だちを助けようとしていましたし、ここにいらした桜田さんも同様です。この点については事実です。少なくとも夏休み前まではその通りです」
その上で微笑みをまたひとつ、ふたつ、増やした。
「ですが今回の模範生徒表彰の範疇からは残念ながら欠けています。先ほど、佐賀さんを紹介する際に私は申し上げました。『よりよい方法はないかを自分だけではなく他の先生たちに相談してベストなやり方を模索したところにあります』と。どういうことかおわかりですか?」
「自分たちだけではなく、大人を混ぜ込まないと認められないということでしょうか?」
「その通りです。杉本さんは聡明ですね」
皮肉たっぷりの褒め言葉を投げ返してきた。
「お話を伺う限りだと、私たちは杉本さんたちの行動には危険性を感じるものが確かにありました。善意をこめての行動とは確かに受け取れなくもないのですがその一方でこのままだと視野が狭まってしまうだけなのではと思えなくもなく、それは決して褒められることではない、むしろ危険があるのではというように感じました」
後ろから拍手が聞こえた。誰がたたいたのかはわからない。
「その点、佐賀さんは聡明でした。佐賀さんは生徒として出来ることをすぐに判断し、その上でもっと素晴らしいことに応用できないか、それを多くの先生たちそして仲間たちに相談したのです。その上で今まで存在したオリジナル教科書を改良して、一部ではなくもっとたくさんの生徒たちに届ける方法を模索しました。私もオリジナル教科書を初期のものから拝見させていただきましたが確かに桜田さんの作ったものは楽しく面白いものでした。しかし、多くの人たちに届けるには物足りなさを感じたのも事実です」
突然誰かが、
「あの売春女があ?」
叫んで先生たちに注意された。
桜田さんはずっと梨南の顔を見ずにうな垂れている。ひとり堂々と前を向いているはるみとは対照的だった。生徒たちもどうやら桜田さんが「オリジナル教科書」の作成者であり梨南と一緒に協力した生徒のひとりと認識できたようではあるが、軽蔑の眼差しは消えていない様子だった。場合によってはあとで叩きのめす必要がある。
「今回、模範生徒表彰を行うに当たってすべての面で基準を満たしていたのは佐賀さんひとりのみでした。杉本さんも桜田さんも、ご自身で理解できるでしょう。なぜ基準を満たさなかったのか」
「よく理解できます。さまざまな濡れ衣をかけられておりますので」
一矢報いたつもりだったがすぐに反撃された。
「基準とは、まわりの生徒たちと思いやりを持った行動をすることをはじめ、先生たちとの協力、同時に人をいじめたりしない、故意に傷つけたりしない、その点が非常に重要です。杉本さん、あなたに対して私は、これらの点においていまひとつ、学ばねばならない点が多いのではという判断を下さざるをえませんでした」
「別に私が模範表彰してほしいわけではありません。話をそらさないでいただけますか」
「そして桜田さんです。本来であれば」
校長先生は口元にたっぷりしわをこしらえて語り続けた。
「桜田さんにもこれから学んでほしいことがたくさんあります。しかし、この点について佐賀さんより強い推薦があり、後日なんらかの形で労いの機会をもてればと考えてはおりました。桜田さんはその後、佐賀さんと協力していろいろな手伝いを続けていたと伺ってます。ある意味佐賀さんは他校の生徒さんだけではなく、桜田さんをも救ったようなものです。桜田さん、そうですね?」
桜田さんは顔を俯けたまま頷いた。下で見上げている梨南を見ようとはしなかった。
「よく、おわかりですか」
壇上から見上げる三人三様の表情を梨南はじっくり観察した。
校長先生の、梨南を哀れむような視線。
はるみの、慈愛感じさせるようなしたたかな眼差し。
そして桜田さんの、ずっと目線を挙げようとしないおびえた表情。
──裏切られることには、慣れている。
心の奥に書き込んだ。
「先生方のご意向はよく理解できました。お時間をいただきありがとうございます」
梨南は一礼をし、まっすぐ三年B組の列へ戻ろうとした。菱本先生が首を振り通路脇から出るように促ししかたなくそちらへ向かった。と同時に罵倒と笑いと拍手が体育館内を埋め尽くした。通り過ぎる梨南に対して、
「ざまーみろ!」
「よくぞ言ってくれた校長先生感謝!」
「ばんざーい!」
「死ね死ね死ね!」
小声ながらもつぶやきあう男子連中の声も聞き取れた。注意する先生たちの言葉も力はなかった。梨南は一切目もくれずに歩き続けた。いつのまにか菱本先生により体育館からも出るように促されたのは不本意だったが歩くしかなかった。
──人間は裏切るもの。
とっくに知っていたにも関わらず、信じてしまった自分が憎い。
血まみれの自分の心臓を、梨南は感じた。




