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32 最後の対峙(1)

 あの日から立村先輩は一度も姿を見せなくなった。

 ──あれだけわけのわからないことを仰るのであれば私もきちんと伝えて当然。

 梨南もしばらくは気にせずにいたのだが、終業式を迎える頃まで影も形も見せないとなるとやはり、何か異変が生じたのではと思わざるを得ない。

 ──悪い病気にかかったのか、期末試験で救いようもない点数を取ったのか、それとも。

 立村先輩という人はいったん思い込むと周囲がいくら止めようとしても無駄、絶対に自分の意思を通す。いや、「意思」という表現は美しすぎて何か違う。「わがまま」とか「だだをこねる」とか「すねる」とかの方が近い。今まで電車鳩のように梨南のもとへ通い詰めていたにも関わらずある時からぱたりと止まったとしたら、それは何かに熱中しているからである可能性が高い。

 ──ピアノ? それとも規律委員会? でも桜田さんが言うには高校の規律委員はいまひとつ盛り上がりに欠けるとも聞いていたけど。南雲先輩が副委員長になり「青大附中ファッションブック」復刊に向けて立村先輩も引っ張ってきて準備しているとは聞いたけれども。

 実際会ってはいないのだが、桜田さんが東堂先輩を通じて情報を集めてくれてはいる。頼んだわけではなくそれなりに聞き流しているが、自分なりにポイントを押さえている。生きてはいるということだ。それならよし。いつぞやのように血迷って電車までひっぱっていかれたならたまったものではない。心中が美しいなんて思わない。


「よお、おっぱよお!」

 歳を考えぬ明るい声で菱本先生が教室……もちろん教師研修室のE組だが……に足取りも軽く入ってきた。終業式くらいはそれぞれのクラスで過ごすものかと思っていたが菱本先生の指示もあってこの場所に集合することになった。仲間はひとり、霧島のみ。

「おはようございます」

 丁寧に起立・礼を行い梨南にも、

「杉本先輩おはようございます」

 会釈のみを。梨南も返し席についた。

「さてと今日は終業式なんだがしばらくは冬期講習もあることだし、E組の授業は今年とりあえず終了となるわけだ。だがなあ、なんか寂しいだろう。せっかくだし何かお楽しみ会でもするか? この三人で」

「あまり楽しくありませんが」

 梨南はきっぱりと告げた。お楽しみ会はクラスの親睦を図るために行われるものだが、毎日同じ顔をつき合わせているこの三人でこれ以上どうやって盛り上がれというのだろう。勉強の面ではE組に移動させられてから格段に充実度が上がった。むしろこのクラスで卒業まで進みたいと思う。霧島も最初はいけすかない馬鹿男子かと思っていたが想像以上に聡明で、むしろ生徒会長として振舞う姿自体が仮面なのではとすら見直している。せめて外見がもう少し立村先輩ムードからかけ離れていればまだ別の感情もわいたかもしれないが、いかんせん梨南の好みからは外れている。だからこそ気楽でくつろげる。

「僕も本日は生徒会最後の集まりがございますので」

 微笑みつつ霧島も答えた。

「そうか、あっさり振られてしまったが、まあ別の機会もあるさ。それに来年は来年で面白いこともたくさんある。俺もいろいろ考えておくから楽しみにしてろよ」

 ──もう私には成績の内申などどうでもいいのだから。

 公立高校を受験する身であれば本当は毎日、過去問題を解きまくったり参考書開いたりとしていればいいのだろうが、もう梨南にはそのチャンスも皆無と化している。

「杉本、来年はどういう勉強をしたいんだ? もう好きなことをしてもいいんだぞ」

「はい、大学に進学するまでの勉強を今のうちに行いたいと思います。おそらく向こうの学校に入ってからは、まともな授業を受けることはほぼ難しいと思いますので」

 梨南は言い切った。まだ書類選考のみ。一応建前上の面接試験は二月だが、もう学校側からは内定の案内が出ている。たぶん学力増強への期待は得られないだろうし、そもそも学校法人というよりも専門学校扱いとも聞いている。となると、学歴はどういう扱いになるのだろう。ちゃんと高卒資格を取ることすら不安が残る。

 菱本先生は言葉をつぐんだ。ほんのわずか、考えこむように下を向いて、

「勉強はもちろん大切なんだがな、青潟にいる間にもっと楽しめることを俺も考えていくから、その路線で行こう。それと霧島、お前はもう少し先に進んでみるか」

「当たり前です。それでよろしくお願いします」

 ──差別だ、絶対許せない。


 もう梨南が青潟から離れた山の上の女子学校……女子高校でもない私塾……へ進学することは学年全体に伝わっているようだった。E組に隔離されていることもあり直接には伝わってこないし、数少ない接触メンバーたちからも問われたりはしない。ただなんとなくすれ違う生徒たちの、なにか軽蔑しきった眼差しをがっちり受けることはある。

 父も、菱本先生も、殿池先生も。

「この選択肢が一番これから幸せの近道になる」

 と繰り返し伝えてくれるが、梨南には全くそう思えない。

 夏休み前から殿池先生より父が提案されていて、実家で療養している母とも相談を重ね、本人の意思が届かないところで決定し梨南の前に提示されたのが八月半ばのことだった。一度、見学といった形で父に連れられてロープウェーで昇る山の上の学校まで向かい、ふもとの民宿で一泊したのが今思えば実際の面接試験だったのだろう。おとなしく振舞ったのがよかったのか、えらく気に入られて山を降りた記憶がある。そこのあたりで覚悟はしていた。

 ──私はもう、青潟東高校の受験すら許されない。永遠の世捨て人になるのだ。

 一年前の梨南ならためらうことなく両親を説得し、当時正式な担任だった桧山先生に猛烈抗議し、場合によっては教育委員会をも動かすことを真剣に考えていただろう。しかしたよりの母はすでに心を痛め過ぎたあげく梨南から気持ちが離れ実家で療養している。梨南を丸ごと信用してくれていたはずの父も、気がつけば青大附高の先生たちに全力で説得され害獣扱いされた娘を山の上に追いやることに賛成してしまっている。

 ──お父さんは私のせいで閑職に追いやられたとも聞いているし。

 梨南が青大附中を卒業した段階で青潟以外の場所へ転勤するらしいとも聞いている。確実に梨南が影響しているというわけではないかもしれないが、他の生徒達がつぶやく噂を重ねてみるとその可能性は高い。青大附属にはそれぞれ有力者の家庭の子どもたちが多く、そこから情報を仕入れていくうちに自然と人間関係、さらに職場環境へ影響を及ぼすケースは多いとも聞く。

 少なくとも大切な人ふたりをを梨南は不幸にしている。証明されている以上梨南には言い返すすべなどなかった。


「じゃあこれから終業式だ。とりあえず元のクラスに混じってこい。それで終わったらすぐE組に集合だ。杉本が嫌がるのは申し訳ないんだが、うちの嫁さんがなぜひクリスマスプレゼントをって言って聞かないんで渡したいものがあるんだ。じゃあ行って来い」

 さすがに終業式だけはE組経由で向かうことはできない。荷物を置いたままそれぞれの教室へと向かった。三年B組の教室前ではすでに全員が整列しているのが見えた。梨南はそのまま黙って最後尾についた。男子連中は梨南をちらと見てすぐに無視し、女子たちは、

「よかった、杉本さん間に合って」

 笑顔で迎えてくれた。全く交流がないわけではないのだが、みな仮面をかぶったような対応しかしないのは担任の桧山先生がとことん叩き込んだからだろう。もう杉本梨南は三年B組において「許されざる罪を犯した者」であり、クラスの恥であり、それゆえに追われた身であることを。

 ──私はちっとも悪くない。でももう、私は言い訳などしない。私が正しいことをわかる人はみな理解してくれている。あの方も。


 つぶやいた言葉がなぜか弱く心臓あたりを流れ落ちていく。

 梨南はそのまま静かに列に従い階段を下りた。先頭率いるのは新井林と佐賀はるみ。ふたりから梨南の姿は決して見えなかった。



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