3 夜道の答え
ふたりきりで歩くのは久しぶりだった。
立村先輩の歩く方向についていく形で梨南は寄り添った。人気の少ない道を選んでいるような気もするがまだ七時過ぎ、心配することもないだろう。自転車を押しながら立村先輩はマフラーのみ首に巻いている。コートが本当は欲しい時期なんだろう。
「先輩そんな薄着で寒くないのですか」
「どうせ自転車乗れば同じだし」
言葉少なに答えた。遠回りして帰ることを提案してきたくせに、自分からはなかなか話そうとしないのが珍しい。いつもだったら立村先輩は梨南にあれやこれや質問を浴びせかけてくるはずだ。やれクラスの連中と上手くやっているのかとか妙な噂は無事七十五日過ぎて消え去ったかとか桜田さんとは普通の友だち付き合いしているのかとか。今に限ってただ黙ってうつむいているだけなのはなぜだろう。
心持ちゆっくり歩いていく。ショールだけだとやはり寒い。明日からは薄手でもいいのでコートを出そう。母は秋冬のコートをどこにしまっていたのだろうか。たぶん衣装部屋のどこかにうもれているはずだ。あとで出しておこう。
「杉本、聞いていいか」
道を曲がり車の通り過ぎる音以外聞こえなくなったところで立村先輩が切り出した。やはりタイミングを測っていたのだろう。頷いた。
「どうぞ」
「俺に言いたいことないのかなとか」
「先ほども申し上げました。お誘いいただきありがとうございます」
ぴしゃりと答えた。礼儀はわきまえているつもりだ。立村先輩はうつむいて微かに笑った。
「そんなことじゃないってさ。話したいことあるんじゃないかなとか、思ったんだけど」
「私が何を先輩にお伝えしなくてはならないのでしょうか」
「一ヶ月近くも話してなかったんだからいろいろあるだろ」
「具体的におっしゃっていただきませんとわかりませんが」
探りを入れてきているのはわかる。梨南は立村先輩の顔をじっと見つめたままきりかえした。確かに高校の合唱コンクールが終わってから立村先輩と時間を共にすることはほとんどなかったから、最近梨南がどういう過ごし方をしているのか話す機会はなかった。語るべきことがないとは言わない。ただどう伝えるべきなのかその加工方法に迷っているだけのこと。
立村先輩はしばらく首をひねっていた。腕時計を見てため息を吐いた。
「もう時間遅いよな」
「このままですとだいたい七時半に家につきます。先輩はもっとお時間かかるはずです。最近は男女ともに痴漢の危険性が高まっていると新聞にも載っております」
「俺が襲われるってことはまずないと思うけどな。まあいいか」
ゆっくり、ゆっくり歩く。何かを言いたそうなのは立村先輩の方であって梨南はそれを待つしかない。こちらからはっきり立て続けに伝えてもいいことなのだが、聞きたがっているかどうかもわからない。梨南としては出方を待つしかない。
「なら具体的に聞くけど、いいか」
「私は隠すことなどなにもございません」
「だよな、お前は嘘を吐かないもんな」
つぶやいて立村先輩は立ち止まった。バス停のベンチが空いていた。腰掛け、梨南を隣りに呼び寄せた。バスそのものはまだ運行しているが待ち人はいなかった。
「お疲れなのですか」
歩き疲れるほどの距離ではない。梨南が呼びかけると立村先輩はかぶりを振った。そのまま梨南の顔をじっと見つめた。真剣な眼差しで少し怖かった。
「来年、青潟東、受験するのか否か、イエスかノーで答えてほしい」
──青潟東。
青潟市内のトップ公立高校名を立村先輩は口にした。
青潟には東西南北それぞれに公立高校が存在している。だいたいが「東西南北」の順通りのランク付けで、青潟東高校は青大附高とほぼ同格の進学校として扱われていた。もちろん公立高校なので校風の違いがあるといえばある。どちらかいうと青潟東高校は生徒自治の自由さが幅広く知られている。特に枠組みはないが生徒たちのやりたいことを積極的に学ばせてもらえる、ある意味大学に近い風土の学校と呼ばれている。私服通学が認められているというのもひとつだろう。話によれば私服通学も生徒たちが真剣に先生たちと討論した結果勝ち取ったものという。青潟の高校で私服が許されているのは東高のみだ。
青大附中から公立高校を受験するのであればそれは当然青大附高と同ランクの東高校を選ぶのは当然のこと。梨南も最初から選択肢はそれしかなかった。しかし、
「二者選択ですか」
「とっくに答え出てるだろ」
「百パーセントではありません」
言い返しつつも、その誤差はほんのわずかという現実を見つめることになる。嘘はつけない。立村先輩の言う通り梨南は本当のことしか口にできない。
立村先輩は畳み掛けた。
「公立入試は三月だろ。あと半年もない。杉本に限って準備してないわけないと思うんだ」
「当然のことです。試験は全力を尽くします」
「けどそれを受けるかどうかも断言できないなんてことあるのか」
「それは」
断言したい。本当であればはっきり言い切りたい。三月の公立高校入試には必ず受けにいくと。夏休み立村先輩と向かった青潟東高校の校門をくぐり、予定通り桜の咲く時期にはお気に入りのワンピースで入学式に望みたい。それが自然な未来のはずだった。
「イエスかノーか、どちらなんだよ」
「百パーセントなんてありえません。立村先輩もおっしゃったではありませんか。どんなに望んでいたとしても絶対にありえないことなんてない、お忘れですか」
「そりゃそうだけど。でもそれとこれとは話が別だよ」
梨南から目をそらさない。少しでも弱みを見せたら突き進みたいそういう目つきだ。負けてはならない。
「それが立村先輩とはどう関係あるのですか」
「質問返しするなよ。俺の質問にだけ答えればすむことだろ」
「答えられません」
「それはなぜ」
問い詰められた。嘘を言いたくない、それだけを伝えたい。でも結論がすでに目の前にぶら下がってることも梨南は理解しているつもりだ。そこまで頭が働かない人間ではない。
「受けるかもしれないし受けないかもしれません。状況が変わる可能性はおおいにあります」
「それは結果であって予定を聞きたいだけなんだけどさ」
「予定は」
言葉に詰まる。なぜ今、立村先輩は梨南の油断した部分を突いてくるのだろう。うっかり椅子に持たれてうたた寝してしまった失態もさることながら、梨南が答えに困ることばかりを胸ぐらつかみそうな勢いで問いかけてくる。自分が弱くなるのが分かる。追い詰められる。いつもならそういう時立村先輩がかばおうとしてくれるのに今は違う。ふたりきり、たった一枚のショールでしか身を守れない。
黙りこくる梨南を射るように見つめていた立村先輩の口から、もうひとつの質問がこぼれた。かすれた声だった。
「来年、青潟から出て行くんだよな」
息を呑む梨南に立村先輩は絞り出すように答えた。うつむき直した。
「答えなくていい、もう知ってる。まだ誰にも言ってないんだろ」
ためらうようにもう一度梨南へ顔をあげた。
「はい」
梨南の口から、自然と答えがこぼれた。