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29 最終的対話(2)

 何度も眺めた真正面の窓から見える木立。枝のみで両腕を伸ばしている。

「ここはいつ来ても変わりませんね」

「そうです。変わるのは訪れる人のみです」

 狩野先生はウーロン茶の蓋をひねり、グラスにそれぞれ注いでくれた。

「本当は温かいものが一番なのでしょうが、つい楽な方に手が伸びてしまいます。歳をとるものです」

 こげ茶のスーツに身を包んだ姿はいかにも教師といった風だった。この姿こそ普通と思いたいのだが、例外の格好をしている教師があまりにも多くて上総としては落ち着かないことが多い。今はウーロン茶の力を借りなくとも安らげる。

「今日は、期末試験でしたね」

「はい。中学も一緒と伺いましたが」

「その通りですが、数学はすでに初日で完了しています。ついでに言ってしまいますと採点も終わっています。試験三日目の放課後は、時間も余裕があります」

「それでも、まだ食事が」

「話が終わりましたらどこかで食事しましょう。ただ、今日の話は誰にも聞かれたくない内容なのではありませんか」

 その通りだ。自分の腹の虫も泣いている。しかし、この件だけは済ませておかないといけない。上総は座ったまま頭を下げ、別のかばんに入れたものを取り出した。いつでも取り出せるようにしておくつもりだった。脇に置き、改めて狩野先生と向かい合った。

「杉本さんと桜田さんの件です」

 息を整えた。ここまで言ったところで心臓が少しだけ落ち着いた。もういくところまで行くしかない。

 ──たぶん、これが最後だ。


「夏休み前に杉本さんたちのことで『あおがたいこいの家』に向かいいろいろ様子を見させていただいた時には、そんなに問題があるとは感じませんでした」

 まずは切り出した。狩野先生は頷きながら聞いている。

「桜田さんについてはよくわからないところもありますが、杉本さんに関して言えば単純に友だちを助けたいという気持ちだけで動いていて、それ以上何か責められることがあるのかというのが正直な感想です」

「立村くんは、そう感じたのですね」

 上総も頷いた。続けた。

「その後僕も杉本さんから直接話す機会があまりなかったので、流れも何も確認が取れなかったのですが、最近いろいろと気になる噂を耳にしました」

「それは何でしょう。僕もおととい立村くんから電話をいただいた時にもう少し詳しく確認したかったのですが」

 狩野先生と直々に話をしたい旨伝えた時、しつこく問われることはなかった。単純に杉本梨南のことについてと話しただけだった。こんなにすぐ時間を作ってもらえるとも思っていなかったし、わざわざ生徒相談室を用意してもらえるとも考えていなかった。

 呼吸を飲み込む。ひとつ、ふたつ、そしてみっつ。

「杉本さんたちのしたことが、なぜか、佐賀さんたちの行為にすりかわっているらしいということです」

 言い切って見る。狩野先生の表情をじっと見据えてみる。表情は変わらない。動揺したそぶりも見せない。上総の読み違いかと正直あせる。

「もう少し詳しく聞かせてもらえますか」

「僕が耳にした限りでは、佐賀さんと向こうの学校の生徒が協力し合い、手作り教科書を作成し、その上で受験勉強を手伝い、素晴らしい効果をあげたということと、もうひとつは」

 出所を突っ込まれたらどうするか迷うが、これは行くしかない。続けた。

「終業式で特別模範生徒として佐賀さんが表彰されるという話です」

 狩野先生は全く表情を変えなかった。

「もう少し、立村くんの知っていることを教えてもらえますか。どこまで事実かを確認する必要があるかもしれません」

 

 ──なんだよそれ、まさか霧島の勇み足か?

 かなり丹念に情報の裏づけを取って乗り込んだつもりだった。青大附属中・高ではいわゆる「模範生徒表彰」というものがあり、いわゆる「おぼれた生徒を助けた」とか「車にひかれそうになった幼児を身を持って救った」とか、もっと軽い内容だと「全国レベルのコンクールで優勝した」なども対象となる。上総が中学生だった頃の「模範生徒表彰」対象者はほとんどが後者の「全国大会レベル者」へのもののみでそれ以外の記憶はない。数もそれほど多くなかったような気がする。ちなみに表彰されて何かメリットがあるのか聞いてみたが、生徒たちには表彰状程度とのことであまり報われるものはない。ただ、その生徒が希望の学科に……例えば英語科とか……推薦枠が足りなそうと判断された時になんらかの救済措置が取られるケースは考えられる。外部高校進学する際の内申書にも影響する可能性もある。だが普通の生徒にはあまり関係ないことでもある。

「『模範生徒表彰』というのは全国大会にでも出場しないとなると、あと考えられるのは誰かの人助けといったものかと思われます。少なくとも僕が認識している基準はそうでした。佐賀さんが部活動や生徒会活動その他で全国大会レベルの活動をなさっていると聞いたことはないので、そうなると基準は後者になりますか」

 狩野先生は答えない。上総を促すように首をかしげた。

「もし、後者の『人助け』がメインだった場合ですが、佐賀さんがもし他中学の生徒たちの勉強を助けようとしたことを評価したというのであれば、本来もっと取り上げられる生徒がいるのはという疑問がどうしても出てきます。たとえば杉本さんや桜田さんです」

 力を込めた。

「少なくとも夏休み終わりの段階で佐賀さんがあのグループに入って活動していたとは思えませんし僕も先生たちから伺った話の内容ではそう受け止めています。東堂くんもあの現場にいましたので僕とほぼ同じ解釈でしょう。必要であれば彼にも確認を取ります」

「東堂くんにも、相談したのですか?」

 不意打ちされて揺れるがこらえる。

「彼はあまり関心がないようです」

 あっさりと答えておいた。確かにこの点だけは東堂と語っておくべきだった。何も「青大附高ファッションブック」プレ創刊に当たって結城先輩中心に三年評議委員男子たちにウェディングドレスを着せて盛り上がるだけが能ではなかったはずだ。

「佐賀さんには『模範生徒表彰』の件を除いて一通り話を聞かせてもらっています。彼女も杉本さんのことを心配して陰で行動していたことを直接伺いましたし悪意がないことは理解しているつもりでいます。しかし、仮に杉本さんたちが不在だった九月から現在まで佐賀さんが手伝い続けていたとしても、きっかけは桜田さんとその友だちの杉本さんが中心だったのですし、佐賀さんひとりだけが表彰されるのは何か違うのではと感じずにはいられません」

 ここまで一気に言い切った。片手でさっき取り出した箱をテーブルに置いた。

「これは、僕が夏休みにあの授業を見せてもらった後撮影したものです。あのふたりが手作りでこしらえた教科書一式です。『舞姫』を桜田さんが漫画化したもの、その他理科の教科書を恋愛漫画になぞらえたもの、さまざまです。僕には全く考えられない発想ですが、あのふたりは共同でこしらえて、友だちに分かりやすいよう手はずを整え教えていました。盛り上がりも相当なものでした。さらに言うなら、この写真にはすべて日付が入っています」

 あの日、「あおがたいこいの家」一階大広間でりんりん・あっこ・桜田さん・駒方先生、ついでに東堂と「みよしさんのお母さん」の目の前で一ページずつめくって撮影した写真をすべて、一冊の簡易アルバムに詰め込んでおいた。上総がそれを預かっていた。杉本も了承していた。この日がいつかくることを杉本は予感していたのだろうか。知らない、知ったことじゃない。上総にわかるのは

 ──このアルバムをひらく時が今でなくてどうするんだよ。

 一点のみだった。

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