20 葛湯をはさんで(3)
また一杯番茶がそれぞれ入れ替えられた。「おちうど」では無理やり追い出されるようなことはなく、長居して居心地悪くなるということはない。それは立村先輩の顔だからこそだろう。しかしこのまま遅くまでいていいのかどうか迷う。
「失礼します、父に連絡をしてまいります」
ついでに手洗いも済ませてきたかった。立村先輩は何も言わずに梨南を見送った。
手を洗い、鏡の前で自分の顔をじっと見据える。
──動揺なんてしていないから。
学校側が梨南を追い出したくてならないのは去年のいざこざも含めてよく知っている。梨南とはるみとの間に起きた出来事がきっかけですべて自分が悪いことにされ、担任からは目の敵にされ、ついでに「いじめ」の首謀者扱いをされ、お情けで三年間だけ置いてもらいその後は他の学校に追放される。その物語で間違ってはいない。
──いなくなる人間であればどんな罪をついでに擦りつけてもかまわないというわけ。
修学旅行中に起きた濡れ衣のおねしょ騒ぎだってその一環だ。結局当の本人が自殺未遂やらいろいろ騒ぎ立てた結果、彼女を守るためという理由でその犯人を梨南が追うことになってしまった。理由が理由だけにとことん戦うという選択肢もないわけではなかったけれど、本人の哀れさに軽蔑しか沸かなくなり結局受け入れた。こんなひとりで立てない相手を叩きのめしてもむなしいだけ。こちらでは認めないけれどもあえて戦うこともない。思いたい相手にはおもわせておけばいい、分かる人間にはわかるのだから。
──でもほとんどの人間は馬鹿だった。
現段階であの事件の犯人は九割方梨南なのだと思い込んでいる奴が大勢いる。冷静に見返せば梨南の潔白は証明されているのに、どうしても学校側は犯人の女子を守らなくてはならないらしくさまざまな嫌がらせをかけてくる。今回だってそうだ。本来であれば梨南と桜田さんが個人的に始めた家庭教師ごっこを、なぜ学校側で丸ごと奪い取る必要があるのだろう。
──それもよりによって、なぜはるみをあてがうんだろう。
さっきはるみは「梨南ちゃんを前から心配していて相談していた」とか寝言のようなことを話していた。ということは、はるみの偽者の友情をおめでたくも先生たちが信じ込んで、これをきっかけに仲良くしてほしいなどと一芝居打ったということか。ついでにあの、みよしさんの親子も一枚かんで、梨南と桜田さんがいない間に脚本を書き上げたとそういうわけか。
──やはり、戦わねばならないのね。
宣戦布告されたのであれば、こちらも覚悟がある。梨南はハンカチで手を拭きながら、指先をじっと見つめた。汚れなどひとつもない。
入り口の公衆電話で父の職場に連絡をした。帰りが六時以降になる場合は前もって電話をすることにさだめられていた。大抵の場合父がその場まで迎えに来てくjれるのだが今日はさすがにそういうわけにもいかない。一緒にいる先輩に送ってもらう予定ときっちり伝え、電話を置いた。少し父の様子が慌てたように感じられたがなに、どうせきちんと説明しておけばいい。誤解されるような相手ではない。万が一あの人と一緒ならば、もちろん考えないことでもないのだが。
「お待たせいたしました」
梨南が席につくと今度は紅茶が用意されていた。真っ白いカップに金の縁取りが施されているシンプルなもので、ほのかに赤く色づいている。そっと口に持っていくと、かすかにジンジャーの香りが漂った。ほかほかと身体がぬくもる。
「時間は大丈夫だった?」
「はい。父も了解してくれたようです」
あっさり答え梨南は話を整理した。立村先輩にもう少し詳しい事情を聞くべきだ。
「先輩は先ほどの推理をどのように集められたのでしょうか」
「それなりにルートがあったよ。たとえば、狩野先生とか、東堂とか、あと霧島とか」
「やはり霧島くんですか」
慌てる立村先輩が必死に首を振る。
「違う。霧島は前から俺といろいろ話をすることが多くて、生徒会の話などの流れでいろいろとであって妙なスパイをしているわけじゃないんだ。ただその話の端々で気になったことがあったというだけだよ」
嘘言っている、と喝破したいが今はこらえた。
「そういえば立村先輩は今年に入られてから霧島くんとお話なさることが多いようですが何かきっかけでもございましたか」
「たまたまだよ。ただ、単純に話してみたら気が合っただけで。先入観とっぱらったらいい友だちになったとかそういうだけ」
なんだかごまかされてような気もするが今確認すべきはそこではないので飛ばす。
「その事情を確認なさったのはいつ頃ですか」
「そんな前じゃない。学校祭終わってからだよ」
「それまでは全くご存知なかったのですか」
「まあ、そうだな。第一杉本とほとんど話すること自体なかったし」
その通りだ。合唱コンクールが終わるまで立村先輩とは連絡をほとんど取っていなかった。梨南たちが家庭教師ごっこから引き離されていてかつ、進路を押し付けられていた時期とちょうど重なる。
立村先輩はさらに言い訳を続けた。
「高校のほうでもその後すぐ生徒会役員の改選とかいろいろ準備があってさ、明日のうちに信任投票が行われるんだ。ちょうど改選の発表があったあたりに急にいろいろ情報が入ってきて、それでまあいろいろと」
かなり言葉を濁しているが、事情を知ったのがここ一週間前後というのは確かなようだ。立村先輩なりに早めに対応しようとしてくれたことは認めよう。
「恐れ入ります。立村先輩なりの努力はありがたく受け止めます」
立村先輩はほっとした表情を見せた。
「ですが、桜田さんはそのことを全くご存知なかったのはなんででしょう」
「俺もそれが疑問なんだけど、きっとふたりに気づかれないように向こう側の学校の人と佐賀さんがつながって行動していたんじゃないかと思うんだ。詳しいことはもっと確認しないとわからないけどさ。杉本たちが知らない間に狩野先生や駒方先生が協力して佐賀さんとその相手の人とを挨拶させたり、それこそ『あおがたいこいの家』に呼び込んだりして相談していたのかもしれない。学校側からしたら生徒会長が他校の生徒と協力して、勉強が苦手な生徒の手伝いをしようとしていたほうが見栄えがいい。全校生徒のまえで褒め称えることもできる。でも杉本と桜田さんだと」
「私だと、どういうことになりますか」
立村先輩はしばらく俯いたまま言葉を捜していた。やがて顔を上げた。
「なんでこんなすごいことが出来る生徒を青大附中は追い出そうとするのか、まず追求されるよな、外からいろいろと。入学してからずっと学年トップの成績を保っているいわば学校の誇りといってもいい生徒を、よりによってなぜ他の学校に押し出したいのかが周りからみたら不思議だよ。俺も第三者だったら絶対そう思う」
「いじめの首謀者で修学旅行ではとんでもない粗相をした人間だそうですから学校側も言い訳つくのではないですか」
皮肉たっぷりに言い返すと立村先輩は首を振った。
「誤解されやすいことをしていたお前も悪かったと思うけど、根本的には違う」
「どういうことですか」
「学校側は杉本に、すべて都合の悪いことを押し付けて青潟から離れた場所へ追い出そうとしているだけなんだ。杉本は悪くない。むしろ褒められて当然のことをしているよ。桜田さんの友だちも杉本のことを慕っているってこの前一緒に行ってみてよくわかったしさ。さっきも一通り佐賀さんから事情はきいたけれども杉本をここまで貶める必要があるとは全く思えない。だから、ここからの話なんだけど」
立村先輩は唇をひきしめるようにし、言葉をつないだ。
「あと二日くらい待ってもらえれば俺の方も少し落ち着くと思う。それがすんでから、俺が預かっている例のアルバムを持って直接狩野先生たちに談判に行こう。あの先生が何も分かっていないとは思わないし事情があるとは想像がつくけれども、少なくとも杉本が蚊帳の外扱いされるようなことだけは絶対に避けたいからさ」
──信じてもいいのかしら。
信じたくても裏切られた記憶しかない。
──立村先輩はいつも私を守りたいと言ってくれる、でも口先だけだとわかっている。私ひとりで戦うしかない。どんなに血まみれになっても。
言葉には出来ず、梨南はただ立村先輩の真摯な眼差しを見返すのみだった。




