213一途(4)
自分が全く考えたこともない言葉が、なぜか空の明るみに引きずられるように流れてくる。梨南はただ、それを筆記するだけ。とめどもなく言葉が溢れる。
《今お話することはできませんが、私は立村先輩の将来について不安を感じています。これから先あの人がどういう道を選んでいくのか、そして私と同じように道を踏み外さないか、それだけがきがかりです。何事もなければそれに越したことはないのですが、私の中でシュミレーションする限り無事に終わるとはどうしてもおもえません。かといって青潟にいない以上、私はなにもできません。静内さんを通して見守るだけです。静内さん、どうか私に、立村先輩のその後の様子を伝えてください。あの人が無事に青大附高をまがりなりにも卒業し、唯一人波にできる語学能力で青潟大学へ進学できるかをどうか見守ってください。繰り返しになりますが私とこのような繋がりを持っていることは絶対に誰にも伝えないでください。私は六年間、つまり立村先輩が大学を留年せずに卒業するまで絶対に会わないと約束したのです。特別な感情のありなしに関わらずです。たとえ立村先輩が道を踏み外して退学させられたとしても、私は、ただ見守るのみ、六年後を待つだけです》
━━なに書いているんだろう。
本当は立村先輩のもとに今でも飛んでいきたい。言葉足らずだった駅ホームでの別れ、あの時伝えきれなかったことをすべて訴えたい。なぜ立村先輩がこれから先死に物狂いで勉強しなくてはならないのか、伝えても差し支えない程度に説明したい。このままだと自分の二の舞になる、いや学校側の動きによってはなんの罪がなくとも追い出されるかもしれない。そのことをとくと語りたい。
━━手紙で、電話で、方法がないわけじゃないけど、私は立村先輩と約束したことを守りたい。六年後までは絶対に会わない。互いに心変わりしたらもう連絡しない。これをどんなことがあっても守りたい。
梨南が立村先輩の身に迫った危機を伝える方法は二通りある。
ひとつは、花森さん経由で。
ただ花森さんのルートだとどうしても学校を迂回して話を進めることになる。学校の中でどうなっているかを確認することは難しい。
そしてもうひとつ。
梨南はそれを、静内さんに託す。
《静内さん、私は自分の経験してきたすべてをこれから定期的に手紙に綴り送ります。これからすむ寮でどのくらい郵便回収がなされるのかわかりませんが、できる限り書ききって送ります。その上でもし、立村先輩、その他霧島くん、関崎さんの動きに変化がありましたら、どうか手紙で送っていただけると助かります。私はそれを読んだ上で、可能な限り静内さんをサポートいたします。私は静内さん、あなたの味方です。心から、関崎さんにあなたの一途な想いが伝わることを願ってこれから文通させていただきます》
季節の挨拶も含めてしたためたのち、梨南は分厚くなった便箋を封筒に押し込めた。多目に切手を張っておこう。これは約束した一通目、これから寮に入ってゆっくりできるようになってから、また一通、続けて書こうと思う。まずは静内さんが一番知りたいであろう、関崎さんとの出会いを綴ろう。関崎さんがどれだけ梨南の目に輝いて映っていたのか、苦手な女子に対しても誠実に接してくれていたのか。すべてさらけ出そう。静内さんの話を聞く限りだと関崎さんもまんざらではなさそうだし、少し気になる清坂先輩の動きについても情報をもらえれば分析できそうな気がする。
できればはるみに霧島くんが無用なちょっかいを出さないか、それも教えてもらいたいが、そうするとかつて梨南がはるみに対して感じてきたことも書かねばならないだろう。今ならわかる。書き出して改めて気づく。はるみは、小さい頃から本当にかわいかった。梨南のほしいものをすべて持っていた。母に禁じられていたファンシーグッズをたくさん持っていて時おり他の女子にわけてあげていた。じいっと見つめていた新井林に微笑みかけて、奴が真っ赤になって隠れてしまう姿も何度となく見てきた。周囲の女子たちがはるみに憧れているのを、なんとかして追っ払いたかった。そういうことだった。
━━霧島くんと私は、同じだったんだ。大好きだったはるみにふられてしまったのが、どうしようもなく苦しかった、そうでしょう?
もう梨南には戻る場所がない。あるのはひとつ、なずな女学院という果てしない冬の季節と、六年後の再会へのはかない期待のみ。それも今手紙に書いたように可能性は限りなく低い。
━━立村先輩はきっと、私以外の人を好きになる。
それが自然なことだ。立村先輩はああ見えて意外と女子の先輩に好かれやすい。いろいろあった清坂先輩はともかくとして、友達として繋がりのある古川先輩、轟先輩、その他花森さんともそれなりに仲良くしている。今までは梨南の存在が重荷だったのかもしれないが、いなくなったらあとは自由だ。忘れてはならない。いつぞやバス停で立村先輩の名前を呼んだ年上の女性のこともある。立村先輩は、父親の見合い相手と話していたけれどもこれから先どうなるかわからない。
━━もし立村先輩に別の人が現れた時、今までの私であればはるみに対してと同じような態度をとるかもしれない。霧島くんと同じように立村先輩へきつく当たろうとするかもしれない。恨み言書き連ねた手紙を書いてしまうかもしれない。
梨南にとってはるみは、かつての大親友だった。これは事実、認めるしかない。
誰よりも大好きで、守ってあげたい友達だった。
その友達が、梨南よりも別の子のほうがいいと言って離れていった。
それが許せなかったからとことん恨んだ。
はるみは、梨南を親友ではなく、その他大勢の友達であればいいと望んだだけだった。ほんとはそれだけの話だったのだ。
それさえ受け入れられていれば、はるみはずっと梨南の、ふつうの友達でいてくれただろう。あの可愛らしいお団子髪で、梨南に微笑んでくれただろう。新井林にもこれ以上いじめないように守ってくれただろう。
霧島くんだって同じことだ。生徒会長ではつらつと活躍しているはるみに恋こがれたあげく、幻滅し、その恨みがひっくりかえって今に至る。
━━霧島くんも私と同じく、はるみに憧れ過ぎた、それだけのこと。
━━はるみが別の男子を好きだったと気づいた段階で、どうしても忘れることができなかった。それゆえに、憎しみではるみと繋がるしかなかったんだ。
でもそれは、もう終わりにしなくてはならない。
霧島くんについてもこれから先、梨南はなんらかの形でフォローしていこうと考えている。もちろん静内さんを通じてということになるだろう。同時に、あの日泣きながら助けを求めたはるみを打ち捨てておくわけにもいかない。どちらにせよ、これからはロープウェーの向こうで青潟大学附属の世界を見守るしかない。
空に朝焼けがほのあかく浮かびあがってきた。時計を見ると六時半か。思ったよりも時間が経っている。そろそろ香澄さんも目を冷まさないとまずいのではないだろうか。身支度もトランクも準備万端の梨南としては気にかかる。
窓にカーテンをかけようとして、日が昇るのをレース越しに眺めた。花ひとつない庭と真っ白い雪が一面に広がっていた。青潟を出ていく時には梅が道端で咲いていたのに、これだけ離れるとこうも違うものなのか。鏡の前に戻り、リップクリームを塗り直した。頬がかすかに赤らむ自分の顔が映っていた。
━━立村先輩は私のこの顔を、間近で見たのかしら。
食堂に向かった。思った通り香澄さんは慌ててトーストを焼いていた。紅茶はティーパック、本当にこれで喫茶店のオーナーとして成り立っているのだろうか。今度帰ってきたらどんなことがあっても手伝わねばなるまい。挨拶をし、席につき、ふと新聞に手を伸ばそうとしたら、香澄さんに取り上げられた
「お食事中はお行儀よくないわ。学校についてからも読めるじゃない」
「そうですね」
その通りなので素直に頷いた。隣で慌ただしく香澄さんが出発準備を整えつつ、
「今日は早めなのだけど、梨南ちゃんにどうしてもお話したいことがあると、院長先生がおっしゃっているの。大丈夫よ。なにがあっても、みんな梨南ちゃんを守ろうとしてくれているから、安心してね」
「オリエンテーションじゃないのですか」
てっきりそのつもりだと思ってきたのだが。香澄さんは髪の毛に櫛を通しながら首を振った。
「梨南ちゃんは遠方からいらしたから、早めに寮生活になれてもらう必要もあって、今日ひとりで来てもらうことになったみたいよ。詳しくはついてから院長先生がきちんとお話ししてくれるから大丈夫。その時新聞も読む時間できるわ」
妙にあせりがちな香澄さんの言動が気になるのだが、出発時刻も迫っているので急いで朝食を済ませた。やはりここの食事は不味すぎる。なんとかしなくては。
玄関に出て白い雪を踏みしめた。かすかに昨夜梨南が入った時の足跡が残っていたが新しい雪でふんわり覆われていた。
「梨南ちゃん、出発前に写真とってあげるわね、玄関に立ってちょうだいな」
いったん戻り、造花の隣に立った。紅白の小さな花をあしらったものが、ペーパーフラワーで飾られていた。どこかで見たことのある花だった。
「香澄さん、この花は?」
「私が作ったの。指先だけは器用なのよ。これね、想いのままに、っていう梅なの。紅白の花がつくのよ」
料理よりは遥かに上手だった。梨南はそっと覗き込んでみた。
━━想いのままに。
花森さんがあしらってくれたあの梅と一緒だと気がついた。
梨南はその花をじっと見つめ直した。思わず顔を近づけた。同時にシャッターが鳴った。香澄さんがにっこり笑っていた。
「素敵なアングルだったわ。花と梨南ちゃんがキスしているみたいよ」
はしゃぐ声に見送られて梨南は再度、外に向かった。くちづけた記憶が唇によみがえるとともに、空の白い輝きが眩しく写った。
━━立村先輩。
届くわけもない言葉を呟いた。
━━たとえあなたが別の人を選んでいたとしても、六年間の約束を破ったとしても、私はもう恨みません。絶対に嫌いになんかなりません。なぜならあなたは私を生まれてはじめて、嫌いにならないと言ってくれた方だから。私が気づくまで三年間ずっと待ち続けてくれた人だから。か弱くなった私でも、大切に想ってくれた人だから。
もう一度深呼吸し、今度ははっきり口にした。
「想いのままに」
はっきりと声が通ったのを感じた。
忘れないうちに、すぐそばのポストに手紙を投函し、梨南は待ち受けていた車に一礼し乗り込んだ。忘れぬうちに想いを空に伝えた。
━━想いのままに、私は立村先輩、あなただけを想い続けます。
━━終━━




