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211一途(2)

 《私はこれから、青大附中で過ごしてきた三年間の出来事を可能な限り書いて静内さんにお送りしようと思っています。いろいろなことがありました。私にとっては楽しい出来事などほとんどなく、九割がたは戦いの日々でした。本当であれば唯一救いになったであろう関崎さんという人も、卒業間際で実は私と違う世界の人なのだと思い知らされました。》


 薄々わかっていたはずだった。とどめを刺されたのはあの歌声だったけれども、本当はもっと早く、気づいて処置をすべきだったのだと。気づくのが遅すぎた。すべてにおいて、梨南はほしいものに気づくのが遅れてしまっていた。とりかえしのつかないところまで進まないと、気づけなかった。

 切なくはない。まだ朝の闇のまま。明かりをつけたまま書き続けよう。


《本来であれば私は、もっと早い段階で関崎さんが自分と合わない人なのだと気づくべきでした。そのチャンスは今思えば何度かありました。同時に関崎さんは一瞬たりとも私に振り向きはしませんでした。もちろん他中学、かつ一学年上であることも関係していたのでしょうが、私に興味を示すことは一切ありませんでした。》


 本来気づくべき場所は、二年前の水鳥中学交流準備会の用務員室だった。

 体調を崩して横たわっていた梨南に、関崎さんは真心込めて向き合ってくれた。受け入れられないともたしかに話していたはずだ。それを聞かず、ただひたすら関崎さんが進学するであろう青潟東高校への受験を目指した。合格のごほうびには関崎さんの愛情が得られると勝手に思い込みガソリンにした、その結果が今の有り様だ。


《私がなぜ、この学校を去る前に関崎さんと会おうとしたのか、それは静内さんにお話しをした通りです。好きになってほしいと思ったことが全くないとは言いませんが望みがないことも承知していました。目的のお話をした後、関崎さんは私に、なぜ本来好きになるべき相手にやさしくしないのか、そうしない限り私を軽蔑するといった意味のことをおっしゃいました。》


 もっとたくさん話してくれたはずだが、一言でまとめるとそういうことになる。


《軽蔑されたくない、それだけが私の望みでしたのでしかたなく関崎さんの指示に従うつもりでいました。そして、餞別にいただいたのがあの、モルダウの流れでした。あの歌声は、音楽の耳を持たない私にとっても素晴らしいもの、と思えました。一方でその歌声は私からかけ離れた世界のものとも感じました。私はかえってから、オペラ関係のレコード、および切り抜き、すべてを段ボールにし舞い込みました。近い将来処分することになるでしょう。青潟に戻れればの話ですが》


 今度、夏休みには一日二日戻ることになるだろう。その時にすべて、古物商の人たちに任せればいい。父ともそう話していた。


《箱にまとめ、がらんとした部屋の中で過ごすうちに、私の中で明らかな変化が起きました。今までは音楽が好き、オペラが好き、クラシックが好き、そう信じていたのに、音のない生活に馴染んでしまったのです。絶対にあり得ないことはさらに続きました。あれだけ想っていたローエングリン様の姿が、壁に張ってあった切り抜きをはずしたとたん一瞬のうちに思い出せなくなったのです。私の家にはテレビがありません。ラジオもそれほどつけたいとは思いません。ひたすら本を読んだり、さまざまな問題について頭を悩ませたり、マイコン雑誌をひもといたりするだけでした》


 今座っているこの部屋にいる時のように。

 静かでなにも聞こえない。まだ香澄さんは眠っているようだ。

 朝の五時を少し回ったところなのだから当然か。


《明確にいつ、心がわりしたのかは私にも把握できません。

 関崎さんのことを諦めようと覚悟したのはたった一日だけ。部屋のレコードや切り抜きをすべてはずした瞬間、私の心から関崎さんの想いは溶けてしまいました。あの素晴らしい歌声も、男子として理想のふるまいも、全く思い浮かばなくなってしまいました。いったん正式に振られただけで、こんなにあっさり片付くものなのでしょうか。私の二年間の想いとはそんなに軽いものだったのでしょうか。二年間、この人に愛してもらうために私はなにを犠牲にしてきたのでしょうか。青潟東に進学するなどと言わなければ、もしかしたら青大附高にエレベーターで上がっていたかもしれません。結果的には関崎さんと顔を合わせることにはなっていたかもしれません。そして、私は、立村先輩と過ごすはずだった三年間も失ったことに今の今になってはじめて気づいたのです》


 こういう明確なものではない。文章にしてはじめて気づいた気持ちもある。万年筆は止まらない。梨南が思っていなかった言葉を綴っていく。


《未来だけはありません。私は、この三年間で本当であれば手に入れられたものをすべてどぶに捨ててきたことに気づいてしまったのです。関崎さんの言葉と歌声でやっと目が覚めましたがそれはすべて遅すぎました。

 立村先輩がどれだけ私のことを大事に思っていてくれていたか、私を見守ってくれていたか、それを知らないほど私はばかではありません。受け入れなかったのは、周囲からの、所詮私は立村先輩レベルの人間で十分なのだとせせらわらわれるのが耐えられなかっただけです。覚悟さえできていれば、いえ、立村先輩のよさを誰よりも理解していると開き直れればすべてが変わっていたはずです。今私がここにいるのは、三年間立村先輩を傷つけてきた罪を償うためといっても、過言ではありません》

 


 

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