208氷らせた春(17)
━━またわけわからないこと言いやがって。
生徒会連中ににらまれたまま居座る度胸もなかったので、上総は霧島を追いたててて外に出た。まだ桜のつぼみもふくらんですらいない。
「そんなにあせらなくてもいいでしょう」
「お前がそうでも俺はたまったものじゃないんだよ」
この白狐の思考回路についていけない。してやったりとばっかりにお澄まししているのか、それともばか正直なのか。美里の前で生徒会長面して言い放った意図を知りたい。
━━清坂氏の立場もわかってるから、とりあえずふたりだけで話をさせるというのも手だとは思ってたんだけどな。一対一だったらあいつもそれなりになんかかしら言うだろうしな。俺はさっさと席を離れて遠くで様子見するつもりだったのに、せっかく腹の底ぶちまけるチャンスを捨てるなんて、やはりおかしいよな。
きっと日曜日の出来事および後処理で美里の苦労は並々ならぬものがあるのだろう。学校側で霧島に、決して佐賀はるみに近づかないよう言い含め、その代わりに通常通りの学校生活を送らせるといった手はずを整えたにもかかわらず、あっさりひっくり返してしまったのだから。佐賀はるみはこれで完全な被害者と相成った。美里も女子としては、佐賀はるみの肩を持たざるを得ないだろう。どこまで事情を把握しているかどうかはわからないにしても、だ。
「先輩、どこ行くのですか」
「自転車置き場だけど」
「もうお帰りになるのですか」
「当たり前だろう」
さすがに朝からいろいろあって疲れた。自転車よりもこういう時は汽車のほうがよかったのかもしれないとふと思う。
霧島はひょいと上総の顔を下から覗きこむようにして様子を伺い出した。こういうところがさらに霧島という人間をわからなくする原因だ。単純に見下しているのかそれとも甘ったれているのか、わからないことがよくある。今がちょうどその時だ。
「霧島、何言いたい」
顔は見ずに上総は尋ねた。
「いえ、立村先輩がまた僕を誤解しているかと思いまして」
「いやいい、いつものことだから」
またため息をつく。このやりとりで結局なんにも片付いていない。
空をまた見上げる。そろそろ杉本も学校のオリエンテーションだかなにかに参加しているのだろうか。寮に入る準備中なのだろうか。そして、
━━さすがにもう、お父さんの話は、聞いているよな。
想いを馳せた。
霧島の言う通りだとすれば、新学期以降杉本の父親が起こした事件については尾ひれ背鰭ついた状態であっという間に伝わるだろう。同時に杉本梨南という歴代の最低女子がいたことも伝説として残るかもしれない。嫌われて当然の女子として、だ。それでも、杉本本人はなずな女学院で守られているはず、そう信じたい。六年後、上総も里美那駅を降りて杉本を迎えに行く、その日までは。
「立村先輩、やはり気になるのでしょうね」
澄ましたまま、霧島が横目で上総をにらむ。別に今はこいつのことを考えていたわけではない。すぐに意識を霧島に戻した。
「何がだよ」
「さっき、僕が清坂先輩にお話ししたことでございます」
「ごめん、忘れていたよ」
嘘ではない。しかし霧島は含み笑いをしながら上総に問う。
「隠さなくても僕の目にはみえみえですよ」
━━十分節穴だと思うけどな。
上総が黙っていると、霧島は畳み掛けるように、
「なんで僕が心にもないことを清坂先輩に申し上げたのか、その理由を考えておられるのでしょうね」
「知りたいといえば知りたいな」
考える気力がなかっただけだ。教えてもらえるならもちろん知りたい。
「そうでしょう。僕が恨みをあっさり捨てる人間ではないと、立村先輩もご存じでしょうしね」
「俺が代わりに止めを刺すと言ったからか」
もちろんチャンスがあれば、合法的、他人様に迷惑をかけることなく、かつ暴力違法行為なし、という条件付きだが佐川を叩きのめす気持ちの準備はある。
「そんなことおっしゃってましたね」
霧島は鼻唄を歌うかのように呟いた。ふっと笑い上総を見上げた。
「そんなの、できるわけないでしょう、立村先輩には無理ですよ」
━━こいつ、いったい俺の神経逆撫でして何が楽しいんだ!
いつもの高飛車な言い方にかつ、先輩を先輩とも思わないこの態度。なんとかならないものなのか。霧島の言うことも間違っていないと認めざるを得ないのが悔しいところではあるが、少なくとも今言うことではないだろう。
途中、白梅が咲き乱れる小道を通る。香りが豊かな春の空気を吸い込む。
「たぶん立村先輩は勢いで言ったことを後悔しているんじゃないかと思いまして、僕なりに訂正を加えさせていただいただけですが」
霧島は目をまっすぐ先に向けた。そのまま肩を並べて歩き続けた。
「あのあと、僕なりに考えました。僕は決して嘘を言ったつもりなどありません。感情に流され過ぎたことは認めますがあくまでも合意の上だったということだけは、絶対に譲れません」
「だからそれがまずいんだって」
言いかけた上総の言葉を遮った。霧島が立ち止まったのは真っ白い白梅の前だった。
「本当であれば清坂先輩を含む生徒会役員のみなさまの前で事実をすべてお話し委ねたい。その気持ちはあります」
「じゃあなんでさっき、清坂氏がああ言ってくれたのに断ったんだよ」
「優先順位が変わったからです」
一呼吸おいて、霧島はしっかと上総に向き直り、
「立村先輩を、このまま青大附高から青潟大学に進学させることが、僕の使命だからです」
めまいがくらっとしてきた。いったい霧島はなにを考えているのか。
━━だからなんで俺の進学と霧島の問題が繋がるんだよ。
「霧島、悪い、俺には全く意味がわからない」
「立村先輩のお考えでは僕の意識に到底たどり着けないでしょうからそれは望みません。ただ言えることは、杉本先輩同様僕も、立村先輩がこのままだとこの学校にいられないのではないかということを、自覚したに過ぎません」
「俺がこの学校にいられないかもって、だからなんでそんなどうでもいいことにこだわるんだよ。誰も彼も俺の顔を見れば勉強しろ、勉強しろ、の連呼だしさ。そりゃ俺は霧島や杉本と違ってお世辞にも成績よくないけど、それとこれとどう繋がるんだよ」
「だからお気づきになられていないことはもう責めません。僕が申し上げたいのは、自分の無実を証明するエネルギーをこれ以上消費せずその代わり、立村先輩を支える方向にすべて持っていくことに決めたということです。つまり、優先順位を入れ換えたということです」
「優先順位、って、まさか、その、あいつを」
佐川と佐賀はるみがたくらんでいることを暴露して復讐する、霧島にとっての念願を後ろに置いて、まさか上総を徹底してサポートするほうに回ろうとしたというのか。
「それはありがた迷惑のような気もするけど、きっとあの非常識青春至上主義教師が吹き込んだんだな」
「それが勘違いだというのです」
霧島は言い捨てた。
「これは僕が選んだのです。杉本先輩の姿を見て思いました。どんなに懸命に濡れ衣を晴らそうとしても、結局勝ち目はない戦いとなった以上、普通のやり方で生き延びることはできません。杉本先輩はそれをご自身で体現し、かつ証明してくださいました。僕は杉本先輩を見下したりはしません。ただ、自分は同じ轍を踏みません。それが杉本先輩とお約束したことだからです」
「霧島申し訳ない。俺は本当にお前の言う通り馬鹿なんだろうけど、言っている意味が全くわからないんだ」
ため息ついて、霧島が呟く。
「立村先輩がこういう風なお方だから、僕は先輩の面倒を見なくてはならないと言っているだけなんですが、どうして理解してもらえないんでしょうかね」
しばらく霧島は梅の花を見上げていた。男子が花を眺める光景は非常に珍しく、上総も口を開かずにいるしかなかった。




