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206氷らせた春(15)

 もう、なんだか、ばかばかしくなってきた。こんなに元気一杯まくし立てるのであれば上総の存在価値なんてないではないか。もううっちゃって帰ることにした。今度は本気だ。

 上総が校門に背を向けて歩き始めると、思った通り霧島が追いかけてくる。ふり、のつもりだったが今度は本気だ。無視していくことにした。

「立村先輩、なんで逃げるんですか」

「悪いな、さすがにあそこまで言われると普通の人間は腹も立つさ」

 振り向かずそのまま歩く。

「そんな、先輩、なんでわけのわからないこと仰るんですか」

「わけわからないのはお前の方だろうが!」

 さすがに声を荒げてしまう。なにが立村先輩を支えるだ、ろくに勉強もできない情けない先輩を、自分のほうが賢いからとかいって助けてやろうだ、男子にとって「守られる」なんてことはプライドをずたずたにするもいい言葉なのに、こいつは全く気づいていないらしい。向き直って説教してやりたいが、一瞬のうちに言い返されるのが目に見えている。残念ながら上総には霧島に対して言い返すだけの賢さがない。

 ──俺が本条先輩だったらこんなに苦労はしなかったろうな。

 足を止めた。霧島が上総の腕を引っ張って話さない。振り払おうにも離れない。

「頼むから放せよ」

「聞いていただくまで離しません」

「そんなに大きい声出すなよ。目立つだろう」

「いまさらなにを怯えてるんですか、僕より先輩のくせに」

 こいつの台詞に憤っていても寿命を縮めるだけだ。あきらめるしかなさそうだ。改めて上総は向き直った。少しだけ幼い表情の霧島がいた。

 上総の顔をおそるおそる覗き込んでいる。やはり波がありすぎる。昂ぶったり落ち込んだり、それが短い周期でくるくる変わる。

「まだ僕の話は終わってないんですよ。聞いてくれたっていいではありませんか」

「聞くだけは聞く、それでどうした」 

「立村先輩、これから先、杉本先輩のお立場がどうなるかを考えてますか?」

 しおらしくなると思ったらすぐこれだ。

「立場も何も、今ここにいないんだから変わりようないだろ」

 修羅場は覚悟しているがまだ春休みだ。時間は稼ぐことができる。

「甘いことを考えていらっしゃるようですが、先輩、すでに今日の講習の授業中に、杉本先輩のお父様についての噂でもちきりだったのですよ。高校ではどうかわかりませんが、かなりのところまで情報が入り巡っています」

 春風が冷たく首筋を抜けた。霧島の顔を見つめ直した。

「杉本先輩の出身小学からは僕の代にもたくさん入ってきています。つまりご近所さんということです。更にいうなら、杉本先輩のお父様は悪い意味でいろいろと有名だそうです。左遷させられるという噂も、親御さん経由で広まっていたようですし、昨夜の夕刊を見てみな一発で事実関係を知ったらしいですよ」

「講習のときにそんな話が出たのか!」

「それだけじゃありません」

 上総の周りを霧島は一周してさらに、

「こういってはなんですが、杉本先輩に同情する声は全くと行っていいほどなく基本、ざまあみろの大合唱。どうなるんですかね。たぶんこのままだと杉本先輩の名誉回復は永遠にありませんよ。たぶん、これであいつの思う壺、でしょう」

「あいつって誰だよ」

「もちろん、青潟工業の二股野郎に決まっているでしょう!」

 ──あいつのことか!

 

 頭の中がすっきりしてくる。霧島の言う通りだ。もう杉本が青潟から姿を消しても、悪い噂だけは残る。四十九日どころの話ではない。運悪く父親の事件まで絡んできたら、もうどうしようもない。

 狩野先生の話が正しければもともとの退校理由が「佐賀はるみに対する無言のいじめ」ということなのだから、それだけでも十分すぎる。さらに修学旅行の濡れ衣や、自校他校の不良少女たちとの交流、模範生徒の佐賀はるみに楯突くといった有様。もう、ここまで学校に嫌われつくしたら、むしろイメージを良くするほうが奇跡だ。霧島を利用して佐賀はるみに恥をかかせようとした汚いやり方も、とどめを刺しているといえる。

 上総の立ち位置が変わることはない。ただ、霧島には言っておかねばならないことがある。

 


「杉本に関する噂一式、俺は否定しておく。けどそれだけだ。言いたい奴らには言わせておけばいい。どうせ杉本はもう二度と青潟には戻ってこないんだしさ」

「立村先輩、そんな甘いことでいいんですか!」

 食ってかかる霧島に、上総は首を振ってみせた。

「けど、お前は曖昧にぼかしておけよ。本当のことを主張する必要、今の段階ではない。杉本は許してくれたんだろ。霧島、お前は矢面にこれ以上立つな」

「なんでですか」

「お前がこれ以上しくじったら、それこそあいつに泡吹かせることはできない。俺もそうだし、霧島だってそうだろう? お前を散々利用したあいつをいつか、叩きのめしたいだろう?」

「それは、その」

 流石に痛いところをつかれたのか霧島は口ごもった。

「この前も話したはずたよ。いつか俺はあいつにとどめを刺すってさ。杉本は結局救えなかったけど、何らかの形で非暴力かつ関係ない人を傷付けない方法でけりをつける。そのためには霧島がこれ以上目立ってはまずいんだ。無難に一年乗り切ってくれっていうのはそういう意味なんだ」

「けどどうやって」

「わからない。けど、あと二年あれば何かヒントは見つかると思うんだ」

 本当は全く見当なんてついていない。あのどんぐり眼を叩きのめしたいのはやまやまだが、チャンスがなければそのまま見逃してしまってもしょうがない。

 ただ、霧島の手綱を引き絞って、無事に高校まで引っ張り込むことだけであればなんとかなりそうな気がする。また煩悩の泥沼で足を滑らせて血迷ったことをしでかさないように、そこからまたあいつに付け込まれないように、そして最終的には、

 ──霧島を、何事もなく、つつがなく高校生活を送らせること。

 最終目的をそこに置けばいい。

 狩野先生は霧島に反省をさせたいらしいが、そんな白狐の調教など上総の手では無理だ。丁重にお断りさせて頂く。憎みたければ憎めばいいのだ。

 ──霧島も、あの非常識青春教師に感化されて、俺を支えるとかわけのわかんないこと言い出してるけど、そんなのたまったもんじゃないよ。同じことは霧島にも言えるだろ。俺にかばわれるなんて百年早いと思ってるよ。狩野先生に話したとおり、俺は俺のやり方で、なんとしても霧島を、青大附高に連れて行く。それが、杉本の願いなんだ。

「だから、繰り返しになるけどもう二度と、佐賀さんには近づくな。何言われても、どんな噂を流されてもとにかく耐えろ。時を待とう。佐川に隙を見せないよう、今年はとにかく、様子見するんだ」

「今年は、ですか」

 霧島の瞳をしっかと見つめ、頷いた。

「もし新しい動きがあれば、そのときはまず俺が、何らかの形で話をつける。けど、それでもし俺が下手打って例のごとく野に降りたらそのときは霧島に任せる。そのことも考えると、なんとしても霧島には無傷のままでいてほしいんだ。そういう意味でなら、支えてもらいたいよ。わかるか、俺の言ってること」

「そういうことであれば、お言葉に従います」


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