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205氷らせた春(14)

「立村先輩、あなたもいい加減に正気に戻っていただけますか」

 霧島がいかにも杉本梨南そっくりの口ぶりでなだめようとするのを上総はため息と共に受け止めた。

「今さら先輩が何をしでかしたかなどとは青大附属の関係者すべてが知っていることです。それを今さら僕に説明されたとてどれだけの問題があるのですか」

「開き直るのか、いい度胸だな」

「僕が思うに、菱本先生は杉本先輩におそらく、何かを吹き込まれたのではと予想します。本日僕が講習後いきなり狩野先生に呼び出された時にその予兆はありました」

「今朝呼び出されたのか」

「はい。立村先輩がいきなり中学に現れたからでしょう。僕とそれなりの話をさせたかったのでしょう」

 よくわからないことを言うが、杉本の名前がちらと出たので用心して聞くことにする。こいつの調子は上下激しくついていけない時がある。今がまさにその時だ。

「僕も覚悟はしてましたよ」

 不意にぼそっと呟く霧島。うつむいた。陰りがある。

「たぶん、先日の生徒会経由の話がばれたんじゃないかとか」

 上総も否定はできないので黙るしかない。ばれるのは時間の問題だろう。

「ところが予想に反して、菱本先生はいきなり立村先輩の過去を丁寧に説明しだしました。繰り返しますが全部承知していたことなので驚きなどありませんが、礼儀として相づちは打っておきました。ついでに言うならば」

 またころっと表情が変わる。また高飛車野郎に早変わりだ。

「菱本先生がおっしゃるには、今一番崖っぷちにいるのは立村先輩だとか」


 ━━いったいあのろくでもない教師何考えているんだ? 

 崖っぷちという言葉をつい先ほど、狩野先生から聞いたばかりではないか。

 なによりも、今崖っぷちなのは霧島ではないか。

 霧島がしでかしたかばいようのないことを、これから上総は見守っていかねばならない。あの優しい顔が一瞬般若になるくらいの勢いで狩野先生ににらまれたのだ。どれだけのものなのか、今こそ霧島に想像してもらいたい。

 しかし言えないのが、自分もすねに傷を持つ立場というもの。

「俺のどこが崖っぷちなのか全く想像つかないんだけど」

「杉本先輩もことあるごとに心配してましたよ。先輩が青潟大学英文科にちゃんと推薦されるのかしら、されなかったらどうなるのかしら、あの先輩が入学できる大学なんて青潟にあるのかしら、などと。今僕は杉本先輩の口まねをさせていただきましたが、どうでしょう、似てましたか」

「ああそっくりだよ、張り倒したくなるくらいにな」

 杉本に言われる分には聞き流せるのだが、同じことを霧島に繰り返されるとどうしようもなく腹が立つ。その差は明確にある。

「そのことも菱本先生は把握されていて、なんとしても立村先輩を無事に青潟大学に推薦されるように持っていくか、悩んでらしたようです。感謝すべきなのは菱本先生に対してですよ、立村先輩」

「これ以上余計なことを言ったら、先に帰るからな」

 脅してみても動じない。上総がもう霧島の目線から離れられないのを知っているかのようだ。もうどちらが先輩なのかわからない惨めさったらない。

「立村先輩が無事に青大附高に進学できたのはひとえに羽飛先輩、清坂先輩、その他本条先輩のささえがあったことが大きいと菱本先生は感慨をもらしてらっしゃいました。確かにいままでの経緯からすると当然です。でもそれ以上に大きかったのが杉本先輩の存在だったとも、実感されておられたようです」

「あの野郎杉本のことまで口だししたのか!」

「だから落ち着いてください、立村先輩」

 いらいらするほど冷静に霧島は話を紡ぐ。

「杉本先輩とはE組でお話する機会も多く、そのこともあって改めて菱本先生は、学校側の杉本先輩に対する扱いに対して強い反発を覚えたそうです。これは一度ではなく二度も三度も、です。さっさと杉本先輩を悪の根元として切り捨てた狩野先生とは見方が違うのです。なぜにそれに気づかないのですか、立村先輩」

 なにも言いたくない。とことん吐き出させようと決めた。

「僕の知る限り、菱本先生は杉本先輩の数少ない理解者です。そのこともあり信頼をおいて立村先輩のことを見守るよう頼んでおられたそうです。杉本先輩もそのことをしっかりと理解し、これまでのさまざまな件に立ち向かわれておられたようです。もっとも裏目に出ることが多かったのも確かです」

「あの男に謝れっていうのか?」

「立村先輩、そんなことは一言も申し上げておりません。勘違いしないでください。僕はその話を一通りうかがい、立村先輩が現在おかれている立場と、その支えとなっていたはずの杉本先輩がいらっしゃらない現実を踏まえて、僕が何をすべきかをうかがってきたのです」

 なんだかこいつのしゃべりかたが、神がかってきているのが不気味だ。改めて殿池先生の妖しい香りがかわいいものに思えてきた。この学校全体に薬でもまかれているのではないだろうか。自分も取り込まれそうだ。

「お前が、俺に何をすべきかってことか。簡単だろう。頼むからこの一年うまく乗り切ってくれの一言しかないよ、何度も言うけど」

「何もしないで先輩、このままゆでがえるになるおつもりですか」

 ぴしゃりと撥ね付けられる。どちらが先輩なのだかわからない。黙るしかない。なんでこんなに屈辱かみしめなくてはならないのだろう。学校に戻って一言先ほど霧島を守る宣言をしたことについて撤回してきたいくらいだ。

「立村先輩、僕が菱本先生とお話したのはその件です。こう言っては失礼ですが、立村先輩は語学習得能力以外特に目だった成績ではないではありませんか。学校の方針が変わったりなんなりしたら推薦基準から外れるかもしれません。そのこともも考えたことはおありですか」

「ああ、杉本に耳がいたくなるくらい言われているよ」

「それならそれでよいのです。菱本先生に頭を下げられて僕もそれなら引き受けざるを得ないではありませんか。立村先輩をこれから全力で支えます。どうかご安心を、と申し上げざるを得ないではありませんか。杉本先輩の代わりになれるかどうかは別としても、理数に関して多少のお手伝いはまあできるでしょう!」

 校門側に人がいないのだけが救いだ。春休みでよかった。あやうく校門によりかかりそうになる。霧島のきらきらした眼差しと、それに伴う勝ち誇った口調。完全に毒気にやられた。辛うじて尋ねた。

「そんなわけで、要は霧島、お前が杉本の代わりになるということをの永遠熱血青春野郎に言いつかったというわけなんだな。どうしようもない先輩の面倒見を、頼まれたということか。そうすればなにがあっても俺はお前を邪険にしないだろうと、そういうことか」

「かなり主観が入っているようですがその通りです」

 

 



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