202氷らせた春(11)
上総が霧島と、それなりに話のできる関係に戻ったことを狩野先生は知っているのだろうか。その辺りどこまで杉本が話していたのか今になってはわからない。
「杉本さんを通じて、立村くんがさまざまな面において霧島くんを気にかけていたことは聞いていました。その上で確認させていただきます。霧島くんを取り巻く最近の噂については耳にしていましたか」
「はい」
隠すこともない。ただ用心は欠かさない。
「そうですか。そのことについても霧島くんとお話しましたか」
「それなりにはしました」
━━聞きたくないことまで聞かされたけどな。
狩野先生の問いは、具体的にいつということを追求してこない。意図的なのか、それとも単純に忘れているだけなのか。聞かれないことは無理に答えない。胸を撫で下ろす。生徒会とのお茶会騒ぎなんてばれたら火消しが大変だ。
「では、彼、つまり霧島くんが最近流れている噂についてどのように認識しているかも把握しているということですね」
「はい」
━━だからそれで今頭痛めているんだよ。反省させようがないぞあいつ。あの時はさすがに俺の前で頭下げたけど、心底反省なんてあいつしないだろ。どうすればいいんだよ。
狩野先生は用心深い。露骨に話の内容を振ってこない。さすがに話しにくいのだろう。佐賀はるみに対してのしつこすぎる行動や、それにともなう嫌がらせのようなもの。しかも学校側ではいろいろなしがらみがあって杉本のように追い出すこともできない。被害者たる佐賀はるみもすることはひととおりしでかしているので、かばいかたにも注意が必要だ。
「このままだと、霧島くんはどうなると思いますか。正直なところを伺いたいのですが、いいですか」
「厳しい立場におかれると思います」
理由を告げねばならないのだが、正直な感想というとそれにつきる。どうするんだあいつ、本当にこの学校であと一年どうやって乗り切っていけるのか。しかも生徒会長としてどんな顔して全校生徒に振る舞って見せるのか。
「厳しい立場、ですか」
「生徒会長で目立つ立場にもいますから、噂をもろに受けてしまうんじゃないかなと、そんな気がします。ただ、彼本人はあまり周囲を気にしないタイプなのでなんとかなるのではないでしょうか」
密かに思う。あの図太さは羨ましい。
「立村くんとは反対ですか」
「そう思います」
少し笑いがこぼれた。
「そう感じているのですね。僕も霧島くんと何度か話をしましたが同じ印象を受けました。噂についての真偽を問うのは別として、彼は自分が正しいことをしたと信じています。悪いのは相手側だとかたくなに信じています。相手が傷つくにはそれなりにされるだけの理由があるのだと、言い切っています」
━━どういう意味合いで言ったんだろうな。
今の話だと霧島が狩野先生にどこまで話をしたのかが見えて来ない。佐賀はるみの浮気を発見して、それをネタにしてお近づきになろうとしたら深い関係になって、調子に乗ったら新井林に乗り込まれたという泥沼恋愛に過ぎない。そこに杉本が絡んできたり、どんぐり眼野郎がにらんでいたりと話がこんがらがってきてはいるのだが、どちらにせよ教師にありのまま話すことのできる内容ではないだろう。
「先生、霧島くんからはどこまで、耳にされてらっしゃるのですか」
恐る恐る探りを入れてみた。狩野先生は首をかしげた。
「本人から聞いたことはわずかです。しかしそれ以上に相手側からの話も耳にしていますので、おおよその成り立ちは把握しています」
「このままでは、霧島くんは杉本さんと同じことになる可能性がありますか」
「杉本さんと同じ、とは」
「つまり、青大附高に進学できない恐れがあるのではということです。僕の知る限り、霧島くんに関する噂が真実であれば、杉本さん以上にこの学校においておくわけにはいかない内容じゃないのかなと思います」
━━霧島の認識がどうであれ、行動した事実は事実だよな。佐賀さんが霧島を誘っていちゃついたとか、その気にさせたとかは別としても、結果として霧島は脅迫という罪を犯したわけだ。杉本どころの話じゃないだろ。全くどうするんだよあいつ。俺がかばえると本気で思っているんだろうか、狩野先生は。
「そうです。その通りです」
狩野先生は上総の目をじっと見つめた。そらそうとしなかった。
「ですが僕が立村くんにお願いしたいのは、その事実を分析することではありません。今回の出来事についてはグレーゾーンが多く、真実を追求すればするほど傷つく人が増えます。目に見えないところで、さまざまにです」
「杉本の件とは違って、ですか」
「いえ、同じです。今、立村くんの前に並べてある情報を取り上げるならば、霧島くんに猶予はありません。ですが、それ以外の隠された情報をもとにかんがみると霧島くんにはあと一年だけ、チャンスが生まれるのです」
「一年だけ、ですか」
初めて聞いた。息を呑んだ。
「今年の四月で霧島くんは中学三年です。卒業まで一年あります。その間に、なんとかして彼には今回の一件を自分の問題としてとらえ直してもらいたいのです。自分がしてしまった行為によって被害者がいて、その被害者の人たちがどれだけ傷ついたか、そこに思いを馳せることができるようになってもらいたい。これが青大附高に進学させるための唯一の条件です」
「極論ですが、霧島くんがそう行動させた理由が被害者にあっても、ですか」
「その通りです。先ほど杉本さんが立村くんの誹謗に激昂した話を伝えましたが、どんなにそこへ共感があったとしても、していけないことはあります。霧島くんに足りないのは、そこへたどり着く想像力です」
━━そんなむちゃだよ。俺には無理だって。
上総は首を振った。
「申し訳ありません。僕は、霧島くんに寄り添って話を聞いたり共感したりはできるかもしれませんが、先生の求めているようなことは無理です」
「なぜ?」
「今回の件だけに絞って言えば、どう考えても霧島くんが被害者じゃないかと思えなくもないので、それを一方的に相手の気持ちを汲み取れなんて言えません。もちろんしでかしたことは間違いだと思いますし、それはそれで償うべきだとは思うのですが、霧島くん自身の気持ちがなんだかないがしろにされているような気が、どうしてもしてなりません。先生のご期待には添えません」
━━当たり前だろ。あのどんぐり眼に操られた連中も辛いんだなって無理矢理想像するなんて普通できないよ。霧島の言葉を信じる限り佐賀さんだってまんざらじゃなかったようだしさ。やったことは絶対悪いし謝るべきだとは思うけど、このままだとあいつの思う壺じゃないか!さすがにそれは霧島がかわいそうすぎるだろ?
「寄り添って話を聞いたり共感、であればできますか」
「たぶん」
「立村くんであれば、それでいいかもしれませんね」
しばらく狩野先生は考え込んでいた。ふうとため息をつきつつ呟いた。
「わかりました。立村くんにはなんとしても霧島くんを支えて、来年の春に問題なく霧島くんを進学させてほしいので、思うようにしてください。ただこれだけはどうしても覚えていてほしいのですが」
上総が頷くと、
「もし、今後霧島くんが同じような問題を起こした場合はもうあとがありません。奇跡的に今は崖っぷちでとどまっている状態です。そのことをふまえてもし、立村くんだけでは難しいと判断した場合にはすぐに僕か、誰か信頼できる先生、君のお父さんでも構いません。誰かに助けを求めてください」
「わかりました」
食い入るようににらまれた。狩野先生がこういう顔をするのは珍しい。
「去年の今ごろに僕が杉本さんの件について、君にここまで話をすることができていれば、もしかしたらこの学校に彼女はいられたかもしれません。そのくらい今の霧島くんはにっちもさっちもいかない状態ということです。その点だけよく理解してください。わかりましたか」
━━なんだよこの怖い顔。
蛇ににらまれた蛙状態で、上総は頷くしかなかった。
しばらく凍りついていた上総を見て納得したのか、狩野先生の表情は穏やかなものに戻った。立ち上がり、微笑みを浮かべた。
「それでは、ここで少し待っていてください。まだ話があります」




