201氷らせた春(10)
同じことを以前も言われた記憶がある。
確かあの時は佐賀はるみが模範生徒として表彰されて杉本が食って掛かった件について、上総が狩野先生に抗議を申し入れるといった流れだった。狩野先生は同様に、杉本がいかに幼く、反対に佐賀はるみがいかにレベルの高い発想の持ち主かを説いていた。
━━結局杉本は、追い出されるべくして追い出されたのか。
狩野先生が示す通り、上総は杉本梨南に寄り添いすぎているから贔屓した視線で見てしまうのかもしれない。できるだけそれは避けるように心がけてきたつもりなのだがまだまだ甘いらしい。これが現実だ。
だが、とも思う。
━━だからといって杉本にありもしないことをたくさん背負わせて追っ払うってのはやはりおかしい。せめて名誉回復の機会は必要じゃないか?
たぶんこれから、霧島にいろいろと佐賀はるみの悪口を吹き込んで、とんでもない行動を起こさせた張本人としてのレッテルが貼り付けられるだろう。霧島は心底反省していたしある程度は上総もフォローができる。しかし、学内ですべてをないことにすることは、まず無理だろう。父親の逮捕という激辛調味料まで加えられてしまっている以上、杉本梨南に対するダーティなイメージを消すことは、もうできないと言いきってしまってよい。
━━いや、よくないよやはりさ。
「立村くん、少し話が飛びますがよろしいですか」
黙りこんだ上総に、なにげない顔で狩野先生は柔らかに問いかけた。
「杉本さんについては学校側も精一杯の努力を行ったことを認めてほしいとは言いません。立村くんからしたら一方的に追い出したように見えても当然です」
「ありもしない罪を被せて追い出すことも含めてですか」
「そう思われるのも仕方ありません。これは僕や他の先生たちを含む教師たちの力不足だったとも言えます。反省しなくてはなりません。杉本さんのような才能のある生徒に、ものの道理といったものを理解させるための努力が足りなかったのは確かです。それを踏まえてあえて話すならば、僕はこれ以上同じ失敗を重ねたくないと心の底から考えています」
「同じ失敗とは」
自分の声が凍りついているようだ。他人の声に聞こえる。
「もう二度と、縁あって育ててきた生徒を外に出したくない、それだけです」
━━もう二度と生徒を外に出したくない?
上総の中でなにかがちろりと燃えた。
━━狩野先生は杉本のことだけを言っているのか?
記憶によみがえるものがある。取捨選択を考える間もなく口から飛び出していた。
「先生にお聞きしたいのですが、西月さんはなぜ、卒業間際で退学といった扱いにせざるを得なかったのでしょうか」
この先生にとっての急所のはずだった。はっと、狩野先生が顔をひきつらせる。
畳み掛ける。
「僕も、あの時期は普通の精神状態ではなかったので聞きかじりの情報しか把握していません。正しいかどうかもうまく判別できていません。天羽や難波からも多少の話は聞かせてもらいました。西月さんがしようとしたことは確かに罪ですし、うちの親にばれたらたぶんゴシップ記事のネタになっているんじゃないかって気がします」
「週刊アントワネット」はそういうタイプの雑誌だ。
「卒業間際でなければ、それも仕方ないと思います。杉本さんの扱いと同じと考えるならば、西月さんは近江さんを傷つけようとする傷害未遂の罪を犯したわけですし、当然と言えば当然です。ただ、卒業式まで間もなく、さらに近江さんは襲われこそすれ怪我はしていません。近江さんも精神的には辛かったと思いますが、それも一回のみです。一瞬の衝動を押さえさせてそこから更正をはかる、まずはそこから始まるはずなのにそれをすっとばして、なぜ、西月さんだけ退学という処置をされてしまったのか、僕にはどうしても理解できません」
黙りこくる狩野先生に、ぶつける言葉、押さえることができない。
「僕も彼女とは評議委員会で一緒でしたし、天羽からも事情はいろいろ聞いていました。感情的なしこりが残っていたのは理解しています。ただ佐賀さんをいじめたという杉本さんのようなことはしていなかったはずです。むしろ懸命に近江さんに対して協力しようとしたり、きつい言い方で傷つけてきた天羽のことを思いやったりと、かなり努力を重ねていたように見えました。ありがた迷惑だったかもしれませんが、たった一回の感情の暴発だけで、よりによってなぜ卒業式前に切り捨てられなくてはならなかったのかが、何度考えても理解できません。あるとすれば、近江さんと狩野先生とは姻族と伺ってますのでそれゆえの贔屓かと思ったこともありますが、僕は狩野先生に限ってそんなことをするわけないと信じてます」
さすがにこれは言い過ぎだろう。自覚はある。
だが杉本を遥か彼方まで追いやられた以上、最後のひと刺しはどうしてもしておきたい。杉本も前から、西月さんのことについては心を痛めていた。杉本を心底可愛がって、卒業後もなにくれとなく手紙を送ってくるとも聞いた。
━━完全に、狩野先生とは縁が切れるか。まあしかたない。
狩野先生は唇を噛みしめている。しばらくそのまま手のひらを眺めていた。やがて上総に向かいいつもの柔らかい笑みを浮かべた。怒りはなかった。
「今の僕たちの関係は、教師と生徒であり、このことについて話す時期ではありません。立村くんは新学期で高校二年でしたね」
上総が頷くと、狩野先生は指を折って数えるようなしぐさをし、
「順調にいけば、二年で卒業、あと四年で大学も卒業、あわせて六年間ですね」
「はい、たぶん」
「大学を卒業してからであれば、きっと僕も君の問いに答えることができるでしょう。今は答えたくても、立場が許しません。生徒に話すべき内容ではありません。六年後、君と友情のみで繋がることができれば、いつかはすべてをお話できる日がくるでしょう」
立ち上がり、空の缶コーヒーを捨てた。
「今言えることは限られています。そのことも含めて、もう僕は教師として、同じ失敗を繰り返したくありません。それゆえに、今日僕は立村くんに教師として、たのみごとがあるのです」
「教師として?」
問い返すと狩野先生は頷いた。
「そうです。今、青大附中には、これから先退学という道を選ばせたくない生徒がいます」
「まさか」
ぴんとくるものがある。
「杉本さんも、そのことについては心を痛めていたようです。一方でここから先は立村くんの力がなくては、第二の杉本さんを生むはめになってしまう可能性もあります。もう二度と、僕は教師として同じ轍を踏みたくはないのです」
誰かはもう、言われなくてもわかっている。黙ってその言葉を待つ。
「立村くんなら、きっと彼を支えることができます。かつて本条くんが君を全力で救ってくれたように、今の君なら過ちを犯した彼に手を貸すことができます。もちろん学校側も全力を尽くしますが、それ以上に今は君の力が必要なのです」
「霧島くんのことですか」
上総はひとことだけ尋ねた。




