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16 学び舎それぞれ(2)

「杉本さん今日も例の教室なわけ?」

「そうよ」 

 短く答え、周囲の冷ややかな視線を振り切るように梨南は生徒玄関を出た。桜田さんを含めて青大附中の迷惑分子ふたりと見られていることはもう慣れているので何も感じない。たとえ誰かが、

「あの女子な、修学旅行で寝小便して布団を隠して旅館から弁償しろって言われたんだぞ」

 とありえない噂をささやいていたとしても無視しておけばいい。世の中いまだに頭の固い人間が多いもので、最初に流されていた噂をそのまま信じているようだ。梨南はもう言い訳する気などないので言いたいように言わせている。

「E組だったっけ? 離れ小島でしょう。超つまらないんじゃないん?」

「いいえ、意外と面白いわ」

 嘘ではない。しっかり伝えた。いつものようにパーマをそのままふわふわかけたままの桜田さんは肩をすくめた。

「次期生徒会長も来ちゃってるんでしょう」

「何が目的なのかわからないけれども、勉強したいだけなのなら害なさそうよ。私も霧島先輩の弟さんである以上は妙なことは言えないし」

「ああ、あのすっごくきれいな先輩でしょ! 可南に行った人」

 桜田さんと仲良くなったのは四月に入ってからだからそれほど付き合いが長いわけではない。霧島ゆい先輩とのつながりについては梨南が話した以外のことを知らないままだろう。西月先輩についてもほとんど知らないだろう。あえて何も言わずに置いた部分もある。

「それにしてもねえ、久々でみんな喜ぶよ。りんりんもあっこも。私もたまにあのふたりに勉強進んでるー? とか電話掛けたりしたんだけど、やっぱ杉本さんがいないと今ひとつのりが悪いみたいでさ。先生たちに嘴挟まれて思い切り白けてたみたいだしねえ」

「当然ね。先生たちの一方的なやり方でやる気が出るわけがないわ」

 梨南は言い切った。桜田さんが小学校時代から付き合いのある女子友だちをなんとしても公立高校に合格させるため実施していたひみつの家庭教師ごっこ。ごっことは言いたくないくらいのオリジナル教科書もこしらえ、梨南もその手伝いを自信持って行っていた。青大附中では不良扱いされて見捨てられ寸前の桜田さんが、物を教える才能はぴかいちであっという間に仲間ふたりの成績は急上昇。最初予定していた公立高校を一ランク上げて受験できそうなところまできた。それが夏休み前の現状だった。

 その後青大附中の先生たちに嘴を突っ込まれ、わざわざ「あおがたいこいの家」でそれぞれの保護者先輩たちまで招かれた上で公開授業までさせられ、この二ヶ月はそれ以上の活動をほぼ停止するよう言い含められていた。厳密に言えば梨南側の進学状況に大きな変化が訪れたので身動き取れなかったと言うべきかもしれない。

「杉本さん、それで先生たちと揉め事片付いたの?」

 人通りが少なくなったところで、桜田さんが声を潜めて尋ねてきた。

「一応は。父がきちんと学校側と言うべきことを伝えてくれて、現在にいたるというわけ」 

「E組に行くということも? 私わかんないんだけど、出て行くってのは杉本さんの意思なの? それともあの馬鹿担任の意向なわけ?」

「私と父の意思、と言ったほうが正しいわね」

 このあたりの事情を逐一説明するのは骨が折れる。梨南も本来であれば桜田さんすべて話しておきたかった。後日どんどん洩れ出るであろう梨南に対する不名誉な噂にさらなる輪をかけた内容となる前に。しかし桜田さんも、この辺りのややこしい事情を受け入れてもらえるほどの余裕はなさそうだった。いや、聞いてもらわないほうがかえっていい。桜田さんとは気楽にのんびり、過去なんで関係なく語れればそれでいい。

「私がいろいろな嘘八百の噂を着せられてこの学校を追い出されるのならそれはそれで受け入れるけれども、その代わり勉強に関してはしっかり補償してもらうよう頼んだということね。学校のレベル低い授業ではなく、ちゃんとした特別教材を用意してもらってその上でってことよ」

「私ならノーサンキューな内容だけど、杉本さんはそれでいいの」

「クラスの愚かな男子どもと顔を合わせて生きるよりははるかにいいわ」

 いくら三年B組の男子たちが新井林の命令のもと、梨南をいじめないよう振舞っているとはいえ、伝わってくる悪意の目線や侮蔑の表情は避けようがない。同時に女子たちの哀れみの目も、見下すように親切を押し付ける佐賀はるみの笑顔も、見たくはない。来週で生徒会長から降りようがもう関係などない。


「今日はねえ、驚いたんだけどさ。狩野先生に呼び出されてさ今日は『あおがたいこいの家』に行ってりんりん、あっこと一緒に勉強会するようにって言われたんだよね。杉本さんには話、なかったの?」

「全くないわ」

 狩野先生はすでに二年B組の担任として動いているはずだ。霧島の担任であるということも聞いている。今まで担任だった先生が体調を崩しておやめになられてから、代理で入ったとのことだったが梨南とは夏休み以降特に接点はなかった。ただ、桜田さん同様、勉強会は控えるようにとのお達しのみだった。

「で、今日は駒方先生の名前でお部屋借りてるから安心して来いってね」

「部屋を借りてる?」

 一度行ったことはあるが、その時は大広間の片隅だったはずだが。桜田が説明する。

「なんでもね、駒方先生が『あおがたいこいの家』の二階で週二回くらい絵の講師をしてるんだって。その時借りてる教室を今日は午後、押さえてあるんだって。プライバシーしっかり守られてるよねえ」

 ──受験生にとって二ヶ月間勉強できないというのは大きな浪費だと思うのだけれど。

「どちらにせよ私たちがりんりん・あっこを応援するためにやってきたことがやっと報われるってわけよね。超うれしいじゃん? 杉本さんよかったね!」

 無邪気に喜ぶ桜田さんの表情を梨南はじっと見据えた。そこに嘘は見出せない。少なくとも桜田さんに裏表といったものはない。

「そいで、新しいテキスト作りたいなっていうのと、この前うちらの馬鹿ダーリン連中のために作った制服マスコットなんだけど、あれ、受験必勝マスコットにしてりんりん・あっこにプレゼントするってのもどうだろ」

「もちろん大賛成よ。私には時間があるからいくらでも作れるわ」

 桜田さんに言われるまでもなく梨南はすでに用意していた。高校の学校祭が終わったあと、清坂先輩にかわいらしい人形タイプのものを作り上げてプレゼントしたら抱きしめんばかりに喜んでくれた。その後、立村先輩から皮肉交じりにそのことをにおわされたが一切その点は無視している。桜田さんも同じように東堂先輩からいろいろ言われているらしいが同じ態度を取っているとのことだった。

 ──そう、私にはもう、時間が余っている。


 「あおがたいこいの家」に到着した。一種の公民館なのだが、昔の大地主が住んでいたといわれる日本家屋で一階は襖をとっぱらった大広間、きしむ階段を昇っていくと和室や洋室が用意されていて地元のカルチャースクール用に用いられている。駒方先生も青大附中を定年退職した後、趣味の絵画教室をこの場で開いている縁と聞いていた。

「二階だね」

 靴をビニール袋に押し込み、入り口の来館者名簿に名前を書き込もうとしたとたん、指が止まった。待っている桜田さんが梨南の隣りで覗き込み、思わず口を押さえた。

「ちょっと、まじ、待ってよこれ」


 ──青大附中 佐賀はるみ。

 駒方先生およびりんりん、あっこ、その他数名の名前の後にしっかり記されていた。

 梨南のよく知る、はるみの女子らしい文字だった。

 


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