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16 学び舎それぞれ(1)

 菱本先生のE組管理能力は悪くなかった。教え方もそうだが梨南や霧島に対する態度も決して不快なものを感じさせなかった。

 ──立村先輩が話していたのとは大違いだわ。 

 すでにE組流しが始まり一週間が経つ。家庭科や体育などどうしても三年B組で受けねばならない授業以外はすべてこの、教師研修室にて勉強することになる。勉強といってもいわゆる席についてひたすら先生の話を聞くのではなく、カセットテープやビデオを用いてひたすら見入るのみ。ただし聞きっぱなしで終わるのではなく、疑問があればその場で止めて菱本先生に尋ねる。菱本先生もすべてがわかるわけではないのでその場ですぐ、他の先生なり大学なりに問い合わせて答えを調べる。その繰り返しだった。いわば、生徒と先生というよりも、年齢の離れた生徒たちが同じ教材を使ってディスカッションしていくような感じだった。

「このやり方は僕に合っています」

 つんと澄ました口調で霧島も感想を述べた。

「集団でまとまって同質の授業を受けるにしても、質問のタイミングがなかなかつかめないのが問題でした。しかもその質問によって授業が延びることを是非としない先生方が多い以上生徒側で遠慮をしなくてはなりません。僕にとってそれは非常に退屈です」

 ──否定はできないわね。

 梨南なりに頷きたいところだが相手が霧島だ、用心せねばなるまい。今日も菱本先生の専門である歴史の授業ビデオと通信教育用のテキスト教材を手に質疑応答を行っていた。勝手が違うのか最初は菱本先生も戸惑っていたようだが、やっと慣れてきたのかふたりに楽しげな声をかけるようになった。

「本来、教室でも同じような盛り上がりでもって勉強してもらいたいんだが難しいところではあるよな。俺からするとこの三人で勉強しているのは中学というよりも大学のゼミナールに近い感覚なんだ。まだお前たちには早いんじゃないかという気もするんだがな。本当はもっとたくさんの仲間と」

 言いかけた菱本先生を梨南は遮った。

「仲間ではないので先に進んでいただけませんか」

 一時間前はくだらないクラスロングホームルームで、新井林と佐賀はるみの一方的な学校祭総括を聞かされうんざりしていたところだったのだ。どうせ梨南はいっさい関わらなかったからどうでもいいのだが。

「わかったわかった。ところで霧島、今回の実力試験は英語の成績が満点だったみたいだなあ。すごいぞ」

 一学年下だと、霧島の成績が学年トップというところまでは聞いていても具体的な点数がいくつかまでは知るよしもない。霧島は冷ややかに笑いつつ答えた。

「はい、勉強の方法を変えました」

「どんな風にだ?」

 興味津々といった風に菱本先生は身を乗り出した。

「上級生の先輩から勉強方法を詳しく聞き参考にいたしました。たくさんの先輩たちからご意見を伺い、ようやく僕向きの方法を見つけることができました」

 ここで霧島はちらりと梨南に目線を送った。意味はある。こもっている。知らんぷりを決め込んだ。

「上級生か。それはすごいな。特に誰の意見が役立った?」

「菱本先生はご納得なさらないかもしれませんが、立村先輩のご意見が一番でした」

「立村か? あいつがか?」

 つらっとした顔で言い切った霧島に、菱本先生はまたもうれしそうな表情を隠さない。梨南の知る限り菱本先生と立村先輩とは三年間天敵だったはずなのだが。少なくとも立村先輩はまだ菱本先生をとことん憎んでいるはずだ。

「お前のことをあいつが気に入っているとは聞いていたが、そうか、お前みたいな勉強家にも立村の頭ははそれなりに役立つのか」

「はい、立村先輩は英語のみですが非常に優れた能力をお持ちです。それ以外の、たとえば数学や理科に関しては対して見るものもありませんので切り捨ててもいいと思いますが」

 ──全く持って正しい認識だわ。

 梨南と同一の価値観ではある。菱本先生は首をひねっている様子だった。

「杉本、お前はどう思う?」

 いきなり話を振られた。もうすでに菱本先生は歴史の授業を進める気もないらしい。

「英語限定であれば確かにとは思います、ただ」

 そのまま霧島と同意見とは思われたくないので自分なりの見解も付け加えた。

「立村先輩の勉強方法は天性のものなので私とは合いいれないところもあります」

「たとえば?」

「一週間、その国の言葉を学ぶためにカセットテープを聞き続け辞書と文法書だけでマスターするということは、おそらく通常だと難しいでしょう」

 とっくに梨南も立村先輩から英語の勉強方法について聞いていた。霧島と違うのはこちらから問い合わせたのではなく、一方的にぺらぺらまくし立ててきたから聞いただけのこと。梨南からしたら同じやり方で数学も勉強すればいいのにとちらと思っただけだった。

「まあなあ。俺も新婚旅行でハワイに行く前、それなりに英語勉強したんだが結局日本語だけで全部通じちまったからなあ」

 結局は無駄話で終わったとはいえ、それなりに収穫はある。通常の授業だとこうはいかない。教師側の脱線話など全く得るものなしと梨南は思っていたが菱本先生および霧島のみの少人数だとそうでもないらしい。

 ──今度立村先輩とお会いした時に聞いてみたほうがいいわ。

 最近立村先輩は用もないのによく顔を出してくる。捕まえることに苦労はないがその前に霧島が割り込みどこぞへ連れ出していく。頼みもしないのに霧島が事後報告してくるのだが、そろそろ高校の生徒会役員選挙が行われる時期とのこと。梨南と話したがっているのは立村先輩のほうなのだから用があればこちらから連絡しなくても勝手に来るだろう。


 E組での授業も終わり梨南は荷物をまとめた。菱本先生に頭をきちんと下げ教室を出ようとした時、霧島に呼び止められた。

「杉本先輩、よろしいですか」

「何か」

 廊下に足を踏み出す前に、菱本先生の前で、

「今日は高校においでにならないほうがよさそうです」

「私は行くつもりなどありませんが」

 きっぱり答えてやる。勘違いしているのかもしれないがあくまでも梨南を追ってくるのは立村先輩のほうであって追いかけているわけではない。

「もともと今日は別の用がありますから」

「それならいいんですが、実は」

 菱本先生にも聞こえるように霧島は言い放った。嫌がらせに近いものと判断した。

「生徒会役員選挙改選に伴う候補者締切が本日とのことでかなりの騒ぎになっているようです。立村先輩にも頼まれております。杉本先輩には高校に近づいてもらいたくないとのことでした」

「ご忠告恐れ入ります、私はもともと高校に立ち寄る気はありませんので」

 ──関係ないわ。

 ちらと霧島に目線をやり、あらためて菱本先生に一礼した後梨南は教室を出た。青大附中の生徒会役員選挙改選も来週のはず、霧島もこのまま素直に信任投票で生徒会長を勤めることにほぼ決定している。知ったことではない。もしかしたら自分がその座を譲る相手だったかもしれないと考えれば多少のことを思わなくもないがもう関係ない。今の自分がすべきことは別のこと。これから、桜田さんと共に出かける場所が重要なのだ。

 待ち合わせは生徒会玄関前のロビー。一階だとその点すぐにたどり着けるからありがたい。すでにロビーの柱回りにある椅子で待ちくたびれている桜田さんを見つけて梨南は足早に駆け寄った。



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