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100 旅じたく(2)

 霧島くんを探すのは比較的容易かった。

「霧島くん、おはようございます」

 E組の教室に入ると、すでに霧島くんはいつもの席について教科書を開いていた。中学二年であれば当然授業も続いているので普通ではあるのだが、明日卒業式を控える生徒会長、しかも在校生送辞を読み上げる予定であればそれなりの準備が必要だろう。今日の予定は卒業式予行練習、ともなると、

「おはようございます、杉本先輩」

 例の一件が起きてから霧島くんは梨南の言葉を素直に聞き入れるようになった。梨南も予想していないことではあったのだが、今の霧島くんを見る限りこれ以上状況を悪化させたくない、という切な思いに満ち溢れている。しかもそれは、大人たちに死んでも言えないことばかり。そうなると、立村先輩に多少なりともルートのある梨南にしがみつくしかないのも確かだろう。

 ━━私が霧島くんのお姉さまに可愛がられていたことを知ってだろうか。

 不思議なことはあるのだが時間がないのであまり追求はしない。

 菱本先生が来てそれぞれの教室に戻るよう指示されるまで話をする。


「手紙のことですが、渡し続けているのですか」

「効果なんてありませんよ」

 なげやりに答える霧島。

「一応、立村先輩と繋がりのある先輩経由で頼んでみましたがなしのつぶてのようです。なんなんですかねいったい」

「そうですか、返事はないのですね」

 梨南が最初に勧めたのは、とにかく詫びの言葉を立村先輩あてに手紙で書いて渡すことだった。立村先輩はいったん頭に血が昇るとなにをしでかすかわからない。近づいて無駄な説明を繰り返すよりも、少し落ち着いたところで論理立てて事情を訴えたほうがいいのではというのが梨南なりの案だった。まさかそれを素直に実行するとは思っていなかったが、やはり今の霧島には試せることはなんでもしたかったのだろう。

 次に提案したことの確認をしようとして、言葉が詰まった。

 やはり、苦しい。声を励ましつつ梨南は尋ねた。

「関崎先輩には直接相談したのですか」

 この前関崎さんに会った時、事情を把握しているようなことを話していたから、たぶん接触はしているのではと思っていた。念のため、霧島くん本人から確認したい。霧島は唇を噛み頷いた。

「言われた通りにしましたよ、電話番号調べて、電話かけて、図書館で話まではきちんとしましたよ」

「そうですか、そこまでは話がついているのですね」

 ━━本当に霧島くんは、言われること全部素直にこなしているわね。

 いつもの高飛車な生徒会長とは思えない素直さに、梨南は心中驚いた。

 ━━そこまでしてなぜ、霧島くんは立村先輩に許してもらいたいのかしら。

 ━━あの程度の先輩ならいくらでも他にいるのに。

 いつものように立村先輩をけなしたかった。と、ふと、息が詰まった。

 ━━だめ、それは許されないことだから。

 あの人にした約束がちりちりと胸の奥で痛む。

 ━━あの方は、私が立村先輩にやさしくしない限り、人として受け入れないとおっしゃった。だから、もうこんなこと考えてはいけないのに。


 梨南はあえて振りきり、霧島くんに問いかけた。

「それであれば、次の手を打ちましょうか」

「そんなものあるんですか」

 だいぶやさぐれつくしている霧島くんは、そっぽを向いたままだった。それでも面倒くさそうに身体を梨南に向ける。

「まず一点目です。私は先日、関崎先輩と話をしてまいりました」

「関崎先輩と?」

 改めて霧島が身を乗り出した。

「結論から申し上げますと、非常に霧島くんには好意的な感情をお持ちでした。同時に立村先輩とも同級生ということもあって、関係修復にはぜひとも協力したいとのお言葉でした」

 梨南にとっては正義だが、霧島くんにとっては屈辱かもしれない。通常であれば梨南もそのことを考えなくはない。ただ、今は梨南以外だれも事情を把握できていないのだから、提案せざるを得ない。ふざけるなくらい言われるのを覚悟したが、やはり霧島くんは素直だった。

「そうですか、ご協力いただけると」

「私がこの学校を去った後のことは、関崎先輩にお願いしてあります。霧島くんには生徒会長という箔もありますし、立村先輩がいろいろ文句をいったとて、うまく緩和していただけるのではと期待しております」

 ここまで伝えた後、梨南はもうひとつの策を授けることにした。

 昨夜、考えていたことをあえて伝えた。

「もうひとつは、立村先輩に対してです」

 無言で霧島はうなづく。

「立村先輩の性格上、かんたんに折れるとは思えません。今まで私は、立村先輩の気持ちを溶かすべく手紙戦法を提案してきましたが効果が薄い以上次の手を使わずにはおれません」

「早く言ってください。でないと卒業式予行練習が始まります」

「関崎先輩に手紙を書くのです」

 端的に伝えた。そんなに急がれても結論はそこだから。

「関崎先輩にですか。直接会うのではなくてですか」

「そうです、手紙だからこそ効果があると思うのです」

 ここからは説明が必要だ。

「立村先輩はああ見えて嫉妬心の固まりです。見た目は冷静ですが、いったん血が昇ったら最後、退学覚悟ですることはします。それをうまく利用するのです」

「嫉妬とは」

 くいついてくるのが梨南にも伝わってくる。

「そうです、今までずっと立村先輩にお許しを願ってきましたが、ここで矛先を関崎先輩に切り替えて、義兄弟の契りを結びたいなどといった手紙を書き続け、さらに」

 言葉を低めた。

「関崎先輩を兄として慕うふりをするのです」

「なるほど」

 霧島は大きく頷いた。すぐに把握してくれたようだ。

「もちろん、関崎先輩がそれで納得してくれさえすれば、立村先輩なんか無視して関崎先輩につけばいいことです。冷静に見る限り、関崎先輩のほうが青大附高で生きていくことを考える限り、有利だとは思います。関崎先輩は現在生徒会副会長ですから、そこから引き立てられていくことも考えられます」

 ━━かつての、本条先輩が立村先輩を面倒みたように。

 ちらとよぎった記憶を遮るように、霧島くんは呟いた。

「つまり、立村先輩が杉本先輩をひいきしたように、ということですね」


「よお、おはよう、ふたりとも揃っているな。おお、霧島、すっかり元気になっちまってまあ、よかったよかった。さあ悪いがこれからちょっと長丁場の卒業式予行練習だ。それぞれの教室にいったんもどって、それからまたここに来い。杉本もあと少しの間だが、ゆっくりみんなで語ろうな。ほんとこの教室にくると俺も楽しいよ。あとで萩野先生が来るかもしれないがまあ気にするな」

 ━━本当に、先生にあるまじきことを言う人が、一番いい教師なのね。

 菱本先生の脳天気な声を梨南は心地よくうけいれながら、横目でちらと霧島くんに合図を送った。小さくうなずく気配あり。たぶん、伝わった。

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