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第八話

 自分の体がすり抜けるのが嫌みたいで、森崎さんは人にぶつからないようにしている。だから俺たちはすぐには帰らず、昨日のように教室から人がいなくなるまで待った。放課後になると、まだ日が沈んでもいないのに一日が終わったような気分になる。楽しみは学校にいる時ではなく家にいる時にあるというのに。

 一日とは時間ではなく、やるべきことの量で決まるのかも、なんて。そんなわけはない。今日の楽しさよりも明日の辛さが見えちゃうから、一日の終わりに感じるんだ。

 そう考えると、なんだか自殺してもいいのかなっていう気の迷いが生まれてくる。勿論本気でしよう、なんて思わない。だけどいつまで経っても金太郎飴のように面倒な日が待っているような気がするのだ。人間はそこに希望を見出していかなければならないのだろうけど、可能な限り停滞していたくなる。

「帰ろっか」

 森崎さんが言った。教室にいる限り日は暮れないんじゃないかと思っていたけど、俺は「うん」と答えて立ち上がる。

 廊下にあるのは一人分の足音だけで、やたらと耳に入ってくる。階段を下りる時はそれが大きくなって。自分の足音はうるさかった。どうにかならないものか。視線が自分の足に固定された。

 森崎さんは俺に同調しているみたく下を向いて歩いていた。自分の靴の音に車の音が混ざってくる度に、何かを話さなくては、と思うけど、当たり障りの無い雑談さえ出てこない。

 駅まで会話は無かった。

「ごめん。私のしてることってよくないことだよね」

 突然森崎さんが口を開いた。

「死んでるのに、小池君に付きまとって、迷惑かけてる」

 周りには人がいる。喋れないタイミングでそんなことを言うなんて、ずるい。急いで携帯を取り出すが、森崎さんはそれを見るつもりは無いらしい。「今までごめんね」と言って去ろうとする。逃がしてたまるか、と思った。空いていた左手で、森崎さんの腕を掴んだ。当然ながらすり抜ける。まるで森崎さんの腕を握り潰しているような格好になった。しかし引き止めるにはそれで十分だったようだ。

「ごめん」

 繰り返すように言って、森崎さんは大人しくなった。周りにはどんな風に見えたのだろう。恥をかいちゃったな、と心の中で呟く。でも結構どうでもいいことのように感じられた。生きている赤の他人より森崎さんを優先できたことが妙に誇らしい。テストで満点を取った時のような。

 去ろうとして失敗した森崎さんはさっきよりも深く俯いていた。話しかけてくれないかな、という期待を抱いているような沈黙とは異なる、威圧さえ感じてしまいそうな強い無言の中で俺たちは帰った。

「正座」

 部屋に入ってすぐにそう命じる。森崎さんは「はい」と大人に叱られる小学生のように従った。

「一人だと頭がおかしくなりそうって言ってたじゃん。何馬鹿なことしようとしてるの」

 親に聞かれたくないから声を抑えようとしたが、苛立っていたからか、効果はあまり無かった。森崎さんは「でも」と言った。

「でも、私死んでるし」

「関係無いでしょ、そんなこと」

「関係あるよ」

 顔を上げて、反発してくる。むすっとした顔、目に力が込められていて、睨みつけられたように感じた。それで即座に「関係無い」と言い返すことができなかった。

「死ぬって、普通そういうことでしょ」

 生きている人とは離れ離れ。もう会うことはできない。死とはそういうものだという理屈はわかる。だけど納得できそうにない。森崎さんが幽霊として現れてこなければ。あるいは彼女の姿を見ることができなければ、諦めていたのだろう。それなら、もう何も伝えることはできないのだから。そうだ。これは未練だ。未練を抱えていたのは森崎さんではなく。

「死んでるってだけで諦めるのは、無理だよ。こうやって話すこともできるのに。俺は森崎さんと一緒にいたい。俺、森崎さんのこと好きだ」

 床に膝を着けて、彼女と同じくらいの高さになって言う。

「でも、やっぱり生きている人と一緒の方がいいよ。それに、私よりいい人なんていっぱいいるでしょ」

 これが恋愛対象として見られていないために出てきた言い訳であるなら仕方ないのだけど、きっとそうじゃないと思った。

「優れてるとか劣ってるとか、そういう見方で人を好きにはなれないよ。わけもわからず好きになったんだ。だから死んでいたって、価値が変わるわけじゃない」

「本当にいいの?」

 引き出せた。理性の中に閉じこもっていた彼女を。

「勿論」

「自殺する時に、こういうの諦めてたのにな」

 笑う。力の無い笑いから切なそうな表情が少しずつ漏れてきて、しかし決壊せずに彼女は自分の頬に手を当てた。

「泣きたいのに、涙出ない。不便だなあ、これ。キスもできないし」

「してみようよ」

「え?」

「キス」

 顔を近づける。互いの唇の位置に細心の注意を払って、キスの振りをする。触れているか触れていないか。そんな距離で何秒か留まる。口先がじんと痺れたような気がした。錯覚に過ぎない。だけど人間のいい加減さが今は嬉しい。

「どうだった?」

 離れて、聞いてみる。

「なんか不思議な感じ。感触無かったけど、どきどきしてる」

 そして「もう一回して」と言ってきた。高揚しているのはこちらも同じで、もう一回で済むはずがなかった。

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