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第三話

 一緒に下校することになった。妄想の中でしかできなかったことが急に現実になっていく。森崎さんが学校から飛び降りた衝撃で、今まで止まっていた歯車が動き出した。そんなイメージが浮かぶ程、進展は速かった。今日初めてまともに会話できたばかりなのに、もう家に泊めることになっている。

「よかったよ。話し相手がいないと凄く暇なんだもん」

 階段を下りる時は非常にぎこちなかった足取りが、平坦な道を歩いている時は無軌道だ。伸びをする森崎さんは少しだけ浮いていて、足を動かしていないのに前に進めていた。

 アニメみたいなことになってる。

 浮遊している人間を実際に見ることになるなんて。周囲に人がいないのを確かめてから話す。

「森崎さんって、こんなにはっちゃけてたんだね」

「ん?」

「もっと大人しいタイプだと思ってた。なんて言うのかな。委員長を決める時に、押し付けられて仕方なくやる羽目になるようなタイプっていうか」

 教室内で会話しているところをあまり見たことが無い。授業中に当てられた時だってはきはきと答えはしない。彼女は「そうだね」と苦笑していた。

「怖かったんだよねえ」と森崎さんは言った。もう着地して、歩く振りもしている。「盛り上がってる会話とかさ、傍から聞いてると馬鹿らしいって思うことって無い?そういうこと意識しちゃうからさ、テンション上げられなくて」

 なんかわかる。同じ友達と話す時でも、教室にいる休み時間と男子しかいない体育の授業中と下校中とではテンションが違う。今だって見知らぬ人に見られたら、虚空に話しかける危ない人と思われそうだ、と警戒している。

「わかるけど、気にしすぎでしょ、それ」

「ですよねえ」

 赤信号。車がいなくても止まってしまう。こういう時に信号を無視して渡る人がいると、正しいことをしているはずなのに損しているようで悲しくなるよね、と言おうとしたら森崎さんは横断歩道の白い所だけを踏むようにして渡っていた。半分くらいで止まって、こちらに振り返る。

「偉いね」

 大きく手を振りながら言ってくる。車が走ってくる。どうしたってぶつからないのだろうが、森崎さんは何歩か下がって車を避けた。見送ってから、森崎さんは大声を出した。

「私、信号無視したの、初めてかも」

 ドラマだ。それに対して何も返せない俺はやっぱり現実に生きている人間だ。何気なく通ってきた通学路。今まで気に留めなかった建物が、森崎さんがいるせいでくっきりと見える。もしかしたらあれらも幽霊だったのかもしれない。

 信号が青に変わると、森崎さんはこちらに戻ってきて、行儀よく横断歩道を渡った。

「もう人の目なんて気にならないはずなんだけど、やっぱりこっちの方が落ち着くね」

 真面目な顔から少しだけ頬を上げて微笑む。控えめな笑顔。それは間違いなく彼女が友達と話している時に出てくる表情だった。死んでも俺の好きな森崎さんのままだった。

 駅に着くと森崎さんは触れそうで触れない距離で俺の前を歩いて改札を抜けた。反射的に鼻が動いた。意識すればわかる程度に漂っているシャンプーの匂いは彼女のものだろうか。それとも神経質になっている鼻が遠くの匂いを捉えたのだろうか。

「死んでから犯罪しまくりだよ、私」

 元の距離に戻っても、まだ匂いはあるような気がするのだが、もはや錯覚なのか区別ができない。

「犯罪ねえ」

 普通に応じてしまった。人いる。迂闊だった。匂いに気を取られているからだ、と自分を責めるのと、森崎さんが「あーあ」と言うのが重なる。

「今の独り言の危ない人って思われちゃったかもよ。しかも犯罪って」

 俺の後悔とほとんど同じ内容でからかってくる。止めようにも止められない。本来なら自分で後悔していたことを彼女が言ってくるので俺は代わりに、人がいっぱいいる中で会話する手段がいるな、ということを考える。携帯を出す。「これで会話すれば人がいても大丈夫」と入力する。これで画面を森崎さんに見てもらえば。そう思うのだが、彼女は口を閉じて周囲をきょろきょろと見ていた。

「どしたの?」

 何度か目が合って、森崎さんは気付いた。携帯の画面を指で叩いてアピールする。森崎さんは画面を覗いて、それからぽんと手を叩いて、なるほど、というジェスチャーをした。そして親指を立てる。さらに泳ぐように腕をゆっくりと広げ、口の前で手を開閉させて、また親指を立てた。

「あなたは普通に喋りなさい」

 そう入力して見せる。

「これなら人がいっぱいいても喋れるねって言いたかったんだけど」

 わかるはずが無い。電車が来た。乗ってすぐに携帯をポケットにしまう。あまり携帯を駆使することに馴染みが無いから、ずっと握っていることに違和感がある。歩きながら携帯をいじるというのもなんだか苦手だ。いい子ちゃんを演じるのが好きなのか、不器用なだけなのか、自分でもよくわからないけどとにかく苦手。森崎さんも隣に座って静かにしていた。

 普通にしているようでも森崎さんはやはり幽霊なのだ。切符無しで改札を通る。制服は着ているけど鞄は持っていない。外に出て人が周りにいなくなってから、俺は考えていたことを口に出した。

「やっぱりこういうのって未練を解消するべきなのかな」

 人生に満足してこの世から消える。幽霊の出てくる話でなくても、それがハッピーエンドの形であることは多い。森崎さんがこうして幽霊になっているのも未練があってのことではないのか。そう思って未練が無いかと聞いてみるのだが森崎さんは「絶対にこれがしたい、ってのは無いかな」と答えてきた。

「え、マジで?」

「だって、どうしてもやりたいことがあって、それがやれることなら、自殺なんてしないでしょ?」

「まあ、確かに。そうかも」

 自殺した森崎さんが言うのだからそうなのかもしれない。というより。

「やれること?」

「やりたくてもやれないことってあるでしょ。例えば、なんだろう。魔法使ってみたいとか」

 杖を持って火球を生み出す森崎さん。確かにいくら生きていたってそのイメージが現実になることは無さそうだ。

「でも本当にそういうのばかりなの?」

 どうにも信じられない。俺たちはまだ若いのだから、その気になればやれることなんていっぱいあると思う。というよりも、高校生になった時点で何かに優れていないとお先真っ暗、だったら悲しすぎる。

「ふむ」と言って森崎さんは即答しなかった。図星なんだ。やれることがあるのに避けていた。勇気が出せないことってある。好きな人に声をかけるとか。

「それならさ」と言うと、森崎さんはすぐに俺の言葉を遮った。

「挑戦してみればいいじゃん、っていう理屈はノーサンキュー」

 森崎さんは腕でバツを作る。胸にバツを抱えたまま彼女は「死んでからじゃ遅いんだよ」と言った。

「私のこと見える人、小池君以外いないじゃん。どんな凄いことをしたって誰も気付かない。もう誰かと仲良くすることだってできないよ」

 そして森崎さんは「私はもう当事者になれないの」と言った。生きている人たちの世界に混ざることはできない。何かできるとしたら死者の世界の中。それが死んでいるってことなんだ、と。「ルールが違っていると言ってもいいのかもね。微妙に違うかなって感じるけど」とも。

 当事者になれない。ルールが違う。これまでの人生で聞いてこなかったような表現が、なかなか飲み込めない。でもそれだけ森崎さんが苦しい立場にいるってことなのかもしれない。

「まあ、死んでからじゃどうにもならないってことだね」

 空気がずっしりとしてきたところで森崎さんは軽い調子でそう言った。

「そうなのかな」

「そうなの」

 森崎さんはにこりとして憂いを見せない。俺は死ぬまでに何ができるのだろうか。

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