07
一日の学業から開放された生徒たちが、箍を外し騒ぎ出す放課後。
家に帰る者や、部活へ向かう者たちはそれぞれ教室を出て行った。
智明は帰り支度をしながらこれからの予定を頭の中で反芻していた。夕方、恋人の中の一人と待ち合わせることになっている。それから彼女の家に言って夕食を作ってもらい、一緒に食べるのだ。その後の展開を思い浮かべて、智明はにんまりとした。
「・・・智明」
背後から声を掛けられて、智明は振り返る。そこには、思いつめた表情の望がいた。
望はまっすぐ智明と視線を合わせようとはしない。彷徨わせた視線は、何かを探すように左右へと振られている。
智明も、望の視線を追うように周囲を見回した。
(大輝の奴は、部活に行ったのか)
目当ての男の姿がないことを確認して、智明は改めて望を見た。
「ちょっと、・・・話があるんだけど」
望はぼそぼそと言った。自分の言葉に自信がないように、もじもじと指先を弄んでいる。
智明はやれやれといった様子で深く息を吐き出した。
ここ数日、望は日増しに元気を失っているようだった。
それというもの、大輝がことごとく望を避けるようにしているからだ。
大輝が避けようとする理由は、智明にもいい加減分っていた。分らざるを得ない状況になってようやく智明は大輝の性癖に付いてもどうにか受け入れつつあった。大輝からすれば、好きな相手が側にいて、その想いが叶わないと知れば側にいることすら辛いのだろう。それは同じ男としてよく分る心情だ。だが、大輝は気付いていないのだと智明は思っていた。何とか大輝と話をしようと奮闘している望むの姿は、好きな人を追いかける女性の姿と同じだ。智明にはそうとしか見えなかった。
そうなると、二人は相思相愛なのかもしれないと智明は思い始めていたその可能性のほうが高いのだろう。それならば大輝がもう少し積極的に責めていけば望は落ちるだろう。傍から見ていると、お互い遠慮するように離れたり逃げたりしていて、とても歯がゆいのだ。早く結果を出してくれないと自分の立ち位置も微妙なものになっていて、居心地が悪くて仕方がない。
「お前ら、いい加減にしろっ」と怒鳴りたくもなるのだが、憔悴していく望を見ているととても口に出して言うことなど出来なかった。
「話って?」
身構える様子を見せないように心がけながら、智明は聞き返した。
「ちょっと・・・」と呟いて、望はうつむいてしまう。そういえば、最近望の顔もあまり見ていなかったことに智明は気が付いた。智明が目を向けていないわけでなく、望がうつむいている事が多いのだ。望らしくない、と思えばこそ、智明は大輝への苛立ちを募らせていた。
「聞きたいことがあるんだけどさ」
「・・・何?」
智明は手に持っていた鞄を机の上に置いた。話を聞く姿勢を見せる。
すぐに帰ろうとしない智明を前に、望は相談できそうな雰囲気を感じ取り少しだけ安堵の表情を浮かべた。
「例えば、さ。・・・例えばだぞっ。好きとかって相手に伝えようとするときって・・・どうしたらいいんだ?」
望の言葉に智明は目を見開いた。目の前で伺うように見てくる望を凝視する。
「それって・・・」
「朝倉に告るってことか?」
智明の言葉に重なるように、別の声が聞こえてきた。
見ると、望のすぐ後ろに敦が立っていた。
「お前、どうしていつもこういう時に沸いて出て来るんだよっ」
「人間が湧き出るわけないだろう。ちゃんと歩いて来たぞ」
敦のからかう声に、智明は額をぴくりと震わせる。「そういうことじゃない!」と怒鳴るが、敦は気にする様子は一切なかった。
智明を無視するように、望を見る。
「本気で告白するつもりなのか?」
聞かれた望は、慌てたように頭を振った。
「ちがっ、俺は・・・その、例えばって・・・どうするもんなのか知りたかったというか、その・・・」
次第に声を小さくしながら、望は言い訳のように言う。
「今までそういうことなかったし、したこともないし、だからよく分らなくてさ」
「ないって、朝倉に告白されただろう」
「あっ、あれは!勢いっていうか・・・なんていうか、こう・・・改まってするにはどうするのかなと思ったんだよ。ただ思っただけだぞ!」
必死に言いつくろう望を前に、智明と敦は顔を見合わせた。
「智明ならそういうこと多いだろうし・・・」
「まあ、確かによくあるけどさ」
智明は謙遜せずに言い切った。「嫌味な奴」と呟く敦をひと睨みしする。だが、敦という男は相手にすればするほど調子に乗るだけだということに智明は最近になってようやく気が付いた。それだけ話す回数がここ最近で増えたという事なのだろう。
智明は睨む以上の反応を見せないように気をつけながら、改めて望に向き合っていく。隣りで茶化すような言葉を挟んでくる敦のことは、意識して無反応を装った。
「で?大輝にどう告白したら良いかってことか?」
「俺!そんな事言ってないだろ!例えばの話だよっ。相手だって大輝とかじゃ・・・ないかもしれないだろ」
はっきりと否定しない時点で肯定しているととられても不思議ではないのだが、そのことを望は気づいていなかった。
「分った分った、例えばってことで、告白の仕方を知りたいってことでいいんだな?」
智明の言葉に、望は頷いた。
「告白・・・ねえ」
智明は思案する。自分の知る告白の殆どは、相手にそれを言わせるように仕掛けていくのであってサプライズな言葉を贈ることも贈られることはあまりなかった。しかも、智明の相手は全てが自活している年上の女性ばかりだ。「あたしが面倒見てあげる」といった保護欲丸出しの告白が多く、望のように純粋に好きという気持ちを伝えるような告白は参考例を挙げることが出来なかった。
「あー・・・俺の場合はあんまり参考にはならないかもな」
智明のぼやきに、敦がけたけたと笑った。「相手がおばさんじゃーな」と茶化す敦の言葉に、智明が喰らい付く。
「おばさんじゃねー!」
「そうかー?年増ってことはおばさんだろ」
「一緒にするな!」
「一緒だろ」
「や・・・やめろって」
遠慮がちにかけられた望の声に、智明と敦は現状を思い出した。ようやく望の相談に乗っていたことを思い出す。
咳払いを一つして、智明は平常心を取り戻すように「落ち着け」と自分に言い聞かせた。
望の参考になるような事例を自分は持ち合わせてはいない。それでも大切な友人である望の役に立ちたいと思い、智明はありていの言葉を並べていった。参考にするのは時折見るテレビドラマの登場人物たちだ。
「好きだって気持ちを伝えればそれで十分だと思うけどな。好きですとか、好きなんだとか、付き合ってくれとか。あまり言葉を飾ったりしないほうが心に来るぞ」
言いながら、こんな事が参考になるのかどうか智明は不安だった。
望は考えるように押し黙っている。
「でもさー、インパクトってのは大事じゃね?」
敦が横槍を入れるように言った。
「インパクト?」
望は興味を持ったようで、敦を見る。
「そうそう、告白と別れは俺らにとって一大イベントだろ。ちゃんと記憶に残るように演出するってのも大事だと思うぞ」
「例えば?」
「そうだなー」
敦がにやりとする。
徐に腕を伸ばすと、敦は望を抱きしめた。
突然のことに付いていけずに、望も智明も呆然としていた。望に至っては、息をすることも忘れてしまったといった様子で身体を硬直させている。
「俺、お前のことが好きなんだ」
敦は望の耳元で囁いた。
「俺と付き合ってくれ」
望を抱きしめる腕に、力が込められる。
「お前でないと、俺は駄目なんだよ」
敦は熱っぽい声で望の名前を呼んだ。
望の体がピクリと揺れる。敦の胸に顔をつけた状態で、耳を真っ赤に染めていた。
「好きだ、望」
敦は望の首元に顔をうずめていった。
身体を締め付ける腕が、熱い。
望は硬直していた。動けばそれだけ身体を覆う敦からの拘束から逃れられなくなりそうで怖かった。
「なーんてな」
突然、敦がいつもの調子に戻した声で言った。
ゆっくりと、望を抱きしめる腕から力を抜いていく。まだお互いが触れ合った状態で、敦は望の顔を覗き込んだ。
「本気にしたか?」
敦は意地の悪い笑みを浮かべる。
望は赤かった顔を更に赤く染めて、敦を睨んだ。抗議の言葉をぶつけたいのだが、上手く声が出てくれない。
「まあ、これくらいのインパクトがあっても・・・あっ」
言葉の途中で敦が声を上げる。望の肩に触れていた自分の手を、反射的に退かした。
智明も望も、口を開けたまま正面を見つめている敦の視線を追って振り返った。
「!?・・・大輝っ」
望が叫ぶ。
教室の入り口には、部活に行ったはずの大輝が制服姿のままで立っていた。
険しい顔で望と敦とを見比べる。望と視線が合うと、大輝はすぐに目を逸らした。そして踵を返して立ち去ってしまった。
「大輝っ」
望はもう一度大輝の名前を叫んだ。だが、大輝の姿はすぐに消えてしまった。
望は立ち尽くして、大輝のいた入り口を食い入るように見つめていた。
一方の敦は、ばつが悪い取ったように頭を掻きながら、立ち尽くす望を伺うように見る。智明は責めるような視線を敦に送っていた。悪ふざけが過ぎたのだ。智明は余計に現状を悪化させただけの敦に「どうしてくれるんだ!?」と目で訴える。それだけでは怒りが収まらずに、智明は敦の脛を蹴り上げた。
ようやく望が重い腰を上げたところだというのに、目標物の大輝が逃げ出してはただの空回りで終わってしまう恐れがある。
未だに立ち尽くす望を見て、智明は望の腕を掴んだ。同時に、敦の拳が望の頭に振り下ろされた。
ゴンッという音が立ち、望の頭が揺れる。
そこでようやく望が我に返った。痛む頭を抱えながら、恨めしそうに敦を見やる。
敦は憮然とした表情で望を見ていた。その目は、真剣な色を帯びている。
「お前は何をやってんだ」
呆れたというふうに敦が言う。その言葉をそのまま返したいと、智明は心の中で毒づいた。だが、成り行きを見守るように進言はしない。
「朝倉が好きなら追いかけろよ」
敦の言葉に、望の瞳が揺れる。
「好きなんだろ?」
聞かれて、望は唇をかんだ。
「時間が経てば経つほど、誤解は解きにくくなるぞ」
誤解を作った張本人は平然とした様子で偉そうに言い放った。
「でも・・・」
望の足は、地に張り付いたように動かなかった。
「何を言えばいいのか・・・」
分らないのだと望は言う。その言葉に、敦は見せ付けるように大きなため息を落とした。
「くだらない事をぐだぐだと考え込む前に、思ってること全部ぶちまけて来い!」
敦は偉そうに胸を張った。
「あいつはお前よりも頭がいいから、お前の言いたいことをちゃんと汲み取ってくれるさ」
「・・・でも、分ってくれなかったら・・・」
望はこれ以上大輝に背を向けられる事が怖かった。今更自分が何かを言ったところで何が変わるのだろうと思うと、どうしてもしり込みしてしまうのだ。
望の言葉を、敦は鼻で笑う。
「それなら、あいつが分るまで言い続けろよ」
簡単なことだと敦は言う。
「これが最後のチャンスだぞ!」
敦の力強い声に、望ははっと息を呑んだ。
(これが、・・・最後)
頭に浮かぶのは、やはり大輝の背中だ。先ほどの姿と重なって、それがどんどん遠くへと離れていってしまう。
(嫌だ!最後なんて・・・冗談じゃない!)
沸き起こった感情は勇気に似た、だがそれとは別のものだった。自分の言葉を聞こうともしない大輝への腹立たしさに近いのかもしれない。
その感情が、足踏みしていた望を奮い立たせていく。
望は強い視線で、誰もいない教室の入り口を見据えた。
つい先ほどまで大輝がいたそこを見て、望は拳を握る。
「行って来い!」
声と同時に、望は敦に背中を叩かれた。
「駄目だったら俺が拾ってやるから」
「・・・それはいい」
「ははっ、ここでそんな憎まれ口利けるなら大丈夫さ」
敦がシニカルな笑みを浮かべる。
敦なりの優しさで自分の背中を押してくれているのだろう。望は敦を、そして智明を見て、大きく頷くと走り出した。
望の走る足音が、次第に遠ざかり消えていく。
敦と智明、二人が残された教室には、奇妙な静寂が生まれていた。
二人は無言で望の出て行った入り口を見ていた。
「どうなるのかな」
ぽつりと、智明が言った。敦に対しての言葉ではない。だが、側にいた敦は智明に答えるように静かに言った。
「さあな」
「上手くいくと思うか?」
「いずれはくっつくだろうさ」
今でなくても、それは必ず訪れるであろう近い未来。敦は確信を持って言い切った。
「だがまあ、朝倉はあれで結構腑抜けだからな。時間はかかるかもな」
「ははっ、言えてる」
智明と敦は視線を交わして笑いあった。
「付き合いだすまでにどれくらいだろうな。来月・・・まあ、ひと月は現状維持が妥当なとこじゃないかな」
「そうか?俺はもっと早いと思うけどな。結構とんとん拍子に話が進むかもしれないし」
「それはないって」
「いやいや、大輝だってやるときはやるぞ」
「池戸に関してはどうかなー」
言い合った末に、二人は言葉を切ると無言でにらみ合った。
「賭けるか?」
にやりとして敦が言う。
「望むところだ」
智明が鼻を鳴らす。
「ひと月以内にくっつく方にビックマックセットだ」
自信満々といった様子で智明が言った。釣られるように敦が口を開く。
「じゃあ俺は、一ヶ月は進展なしにレッドホットツイスターセットだ」
「ケンタッキーの?奮発するなー」
智明は感心するように言った。たかが40円の差額なのだが、高校生にしてみれば手痛い出費という事なのだろう。
「それでもあの二人がくっつくっていう意見は変わらないってことか」
智明の言葉に敦が笑う。
「池戸の様子を見ていたら、そうならないと思うほうが無理だろう」
「だよなー、どう見たって恋する乙女って感じだもんな」
「気付いていないのは当事者だけってな」
「さっさと大輝に教えてやれば早期解決しそうなんだよなー」
「余計な手出しは無用だぞ」
釘を刺すように敦が言う。智明は大きく頷いた。
「お互いにな」
智明はちらりと敦を見る。
「それはそうと、お前はいいのかよ」
智明の言葉に、ようやくといった様に敦が顔を向けてきた。
「何がだ?」
「望のことだよ。お前、好きなんだろ?」
智明は探るような視線を敦に向ける。敦は目を細めた。
「ああ、友人としてな」
静かに言われたその言葉に、智明は「へぇ」と中途半端な返事を返す。
「そんなことより、お前、もしあの二人がうまいことくっついた時どうするんだ?」
「どうって、何がだよ」
智明は顔をしかめる。自分が未だにゲイに対しての偏見を拭えずに差別を擦るのではないかと敦が思っているのだと智明は感じた。それが自分への評価の低さに思えて、心外だと憤慨する。
「俺はどんなことがあってもあいつらのダチでいるつもりだ」
見縊るな、と智明は敦を睨んだ。
「そうじゃなくて、ラブラブバカップルになった二人とこれからも一緒に飯を食うつもりなのかって聞いたんだよ」
「飯?」
何故そこで食事の話が出るのだと、智明は首を傾けた。だが、ここまで来ると敦がまったく関係のない意味不明な言動をするような男ではないという事が分っているだけに、智明は敦の言葉を真剣に考えてみた。
想像してみる。明日、晴れてカップルとなった二人が並んだ場面を智明は頭の中に思い描いた。大輝がどう変わるのかは想像できなかったが、望は180度態度を変えるだろうことは容易に想像できた。嬉しくて、恥ずかしくて、照れくさくて、それでいて横にいる大輝が好きだと全身で訴えるような目をしているはずだ。まともに恋などしたことがないであろう望は、きっと大輝との恋におぼれていく事だろう。大輝は随分と前から望のことが好きだったはずだ。それならば、望のそんな姿は男としては嬉しいはずだ。
そこまで考えが行き着くと、同時に智明は頭の中に重い鉛を詰め込まれたような疲労感を感じた。
「・・・マジかよ」
ややあと、掠れた声で呟くと、智明は頭を抱えた。
友人がゲイであろうがなかろうが、智明にとっては友人以外には成りえない。そう割り切れたはずだったのだが、現実問題、目の前で男二人にいちゃつかれたとき自分は平常心を保てるだろうかと思い悩んでしまう。二人のそういった姿を想像しただけで疲れが3倍増しになるのだ。
「・・・無理かも」
つい、智明の口から弱音が吐き出された。先ほどの決意などかけらほどしか残っていたに。そのかけらも、少し風が吹けば飛んでしまう程度だった。
苦悩する智明の姿を見ていた敦は、けたけたと声を立てて笑った。
「面白くなりそうだし、俺もこれからはお前らのところに割り込もうかな」
敦の言葉に、智明は顔を歪めた。
敦が側にいると、多分大輝はいい顔をしないだろう。すでに敵と定めている感じがしてならない。望を間に火花を散らすといった構図が大輝の中では出来上がっているようだった。もしかしたら間男のような存在として敦の事を認識している可能性もある。敦は当然、それを利用して遊ぼうとするはずだ。平穏な学校生活を送る為には余計な争いごとを持ち込む敦は側にいないほうがいいだろう。かといって、望と大輝がいちゃつく姿を一人で見るのは精神的にあまりにも負担が大きすぎる。
智明はどちらを選ぶ事も出来なかった。
「よろしくな」と勝手に仲間入り宣言をした敦を前に、智明は激しく悶絶していた。