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04

 朝、智明が教室へと入るとそこには見慣れた光景があった。

 楽しそうに望と大輝が向かい合って話をしている。

 桂南高校へ入学してから毎日見てきた光景だ。ここ数日はまったく目にしなかったのだが、その数日が嘘のように、二人は楽しそうに話をしていた。

 智明が二人に近づくと、最初に望が智明に気が付いた。次いで大輝が智明を見る。

「はよ」

 智明が言うと、二人は同じように挨拶を返してきた。

 本当にここ数日のことがただの夢だったのではないかと思うほどに、二人は自然な態度で一緒にいた。

「ったく、ここ数日の俺の心労をどうしてくれるんだっ」

 怒っているという演技を見せながら智明は大輝の背中を力強く叩いた。「悪かったよ」と大輝は声に笑いを含ませながら言う。

 昨日の今日で一体何があったのか、智明も気になるところだった。だが、こうしてまた三人で一緒にいられることが嬉しくて、細かいことは気にしないようにしようと自分に言い聞かせていた。

 全てが元通り、そんな感じを望も智明も受けていた。


「なんだ、仲直りか?」

 1限目が終わった休み時間、敦が望のところにやってきた。すぐ側には智明も大輝もいる。

「良かったな」と言う敦に、望はニッコリと笑った。

「ああ、三浦もありがとな!」

「礼を言われるようなことはした覚えがないんだけどな」

「いいんだよ、俺が言いたいんだから」

 敦は爽やかな笑みを浮かべた。

「なら、遠慮なく受け取っておくか」

 言ってから、敦はにやりとする。

「ついでに放課後俺にマックを奢ってくれると、池戸の誠意がよく分るんだけどな」

「何だよそれ。たかりかよ」

「まっさかー。そこまで俺はずうずうしい奴じゃないぞ」

「へえ・・・」

 望の白々とした視線を受けても、敦は怯むことはない。

「ま、俺が奢ってやってもいいけどな」

 偉そうに胸を張りながら敦が言った。

「それって何か意味があるのかよ」

 お礼を強要されている人間がどうして奢ってもらえるのかと、望は敦の不可解な言動に首を捻った。

 敦は望を見やり、表情を和らげる。

「強いて言うなら、俺が池戸を誘いたいってことだな」

「はあ?」

「深い意味はあってないようなもんだ」

「どっちだよ」

 望はただ茶化されているだけなのだと結論付け、敦の言葉を適当に受け流す事にした。

 ふと気付くと、大気が敦をきつい眼差しで見ていた。睨んでいるというほうが正しいのかもしれない。敦は、そんな大輝の視線を悠々と受けていた。余裕の笑みさえ浮かべている。言葉にない会話がかわされているようで、何やら物々しい雰囲気が二人の間に漂っている。望と智明は戸惑うように二人を見比べていた。

「ま、気をつけろよ」

 敦が望を見て言った。

「何をだよ」

「人生後戻りは絶対に出来ないってことさ」

「はあ?」

「一度変わっちまうと、昔とまったく同じにはなれないってこと」

 敦の言葉に、望は眉を寄せた。

「縁起でもねーこと言うなよ」

 ようやくこうして仲直りが出来たというのに、これが壊れたらお前のせいだ、と望は敦を睨んだ。

 敦は相変わらず薄笑いを口元に浮かべている。

 敦がちらりと大輝を見た。

「まあ、お友達でいられるのもお前の努力次第なんだろうけどな」

 言われて、大輝の表情が険しくなる。

「せいぜい頑張れよ」

「お前に言われる筋合いはない」

 冷たく言い放つ大輝の言葉に、敦はへらりと笑うだけだった。

 望と智明は顔を見合わせた。一体二人に何があったというのだ。今まではただのクラスメイトとしてそこそこ仲良くやってきていたように見えたのに、今はなぜか天敵を見るような目で相手を見ている。とくに大輝は敦の事を嫌っているようなそぶりをしていた。

 分けが分らないまま、望はただ成り行きを見ているしか出来なかった。

「席に着けよ」という教師の声で、とりあえずこの場は強制終了される事となるまで、二人のにらみ合いは続いていた。


 授業中、ちらちらと望は大輝の様子を伺っていた。特に変わった様子はない。今日の朝はここ数日続いていた白々しい雰囲気が一掃され、これまでの仲の良い友人という関係に戻れたと思っていた。

(これで良いんだよ)

 望はこれ以上考える事をやめるように、軽く頭を振った。余計な雑念を捨てようと自分に言い聞かせる。

 そうしてまた大輝の様子を伺うように見ると、不意に、大輝と目が合った。

 大輝は口の端を上げて笑む。

 その表情を見て、望は不自然にならないように心がけながら黒板に向き直った。

 どうしてだか、大輝の顔を直視できない。

 無理やり向けた視線の先、黒板にはすでに理解不能な数式が嘉吉慣れられている。しばらくにらめっこをしていた望は、どうにもそれらの数式が理解できずに、諦めてペンを置いた。分らないところは後で大輝に聞けばいい。そう思うと今授業に付いていけなくてもそれほど焦る気持ちは生まれなかった。

 持つべきものは友人だ、と望はほくそ笑む。

 望はまた、大輝を盗み見るように目線だけを大輝に向けた。大輝はまっすぐ前を向いている。それが少し寂しいと思っている自分に気付き、望は戸惑いを感じてしまった。

 やはり、何かが自分たちの中で変わってしまったのかもしれない。

 それが何なのかが分らない。


(俺・・・なんか変だ。疲れてるのかな)

 望は言い知れぬ心のざわつきを意識的に無視するように、もう一度ペンを握りなおした。真っ白いノートを見下ろして、よしっと自分に気合を入れた。


***


「ようっ」

 片手を上げて敦が望の前に立っていた。

 放課後の図書室。望は図書委員の仕事を真面目にこなすために入り口近くにあるカウンターの中でぼんやりと時間をやり過ごしているときの事だった。

 図書室には三人ほどの生徒がまだ残っている。内二人は休む暇なく勉強をしているようだった。もう一人は机に突っ伏している。一時間ほど前から殆ど身動きしないので、熟睡しているのだろう。それくらいなら家に帰ってから寝ればいいと思うのだが、名前も知らないその生徒へ忠告をする事など望にはできなかった。いびきをかくことがないのでとりあえず放っておいてある状態だ。

 敦はカウンターに肘を置き、望の方へと身体を寄せてきた。

「暇そうだな」

 眠気の混ざる望の目を覗き込み、敦がにやりとする。

「お前もな」

 望は馬鹿にされているらしいことにむっとしながら受け答える。

「今日はバイトがないからな、暇なんだよ」

「三浦、バイトしてるんだ」

「ああ」

「何やってるんだ?」

「・・・店員」

「何の?」

 望の問いかけに、敦の顔から笑みが消えていった。ふいっと顔を背けて、ボソリと呟く。

「花屋」

「・・・は?」

 敦はがなるように繰り返した。

「花屋だよ!何か文句あるのかよ!」

 突然の敦の豹変に驚いたように目を丸くして、望は「へえ」と声を漏らした。

 花屋か、と呟くと、じろりと敦に睨まれる。

「なんでまた、そんなところに」

「親戚がやってる店なんだよ。いいだろ、別に」

「俺、何も悪いとかいってないだろ」

「似合わねーとか思っているだろ」

「それは・・・まあ」

 望に言われて、「やっぱり」と敦はふてくされたような顔をした。

 どうフォローをしたらいいのかと考えてしまう。そっぽを向く敦が子供っぽくて可愛いとすら思えてしまい、これだけは絶対に言ってはいけないことだと自分に言い聞かせた。

「いいんじゃないか、花屋。うん、楽しそうだし」

「池戸、お前適当に言ってるだろう」

「いや、・・・まあ、えっと、智明とかに言ったら喜んで買いに行きそうだな。常連客になるかもしれなし」

「早瀬の奴が花なんて買うのか?」

「結構買うみたいだぞ。なんでも、女に渡すプレゼントで一番お手ごろなんだってさ。ほら、あいつが付き合うのって年上ばかりだろ」

 話に聞く限り、年上というだけでは割り切れない年齢も多少混じってはいるが智明はそれもまた魅力的なのだといっていた。望には理解できない世界だ。

「物を用意するよりも小さな花束を贈ったほうが喜ばれるんだってさ」

「そんなもんかね」

 理解しきれないといった様子の敦に、望は苦笑する。

『花束も大きかったり豪華だったりすると効果が半減するんだ。学生の俺がない小遣いから頑張って用意したっぽい位の小さいやつの方が効果的なんだよ』と得意げに語っていた智明を思い出す。そうやって高校生の智明に手玉に取られる女性が世の中にはいるのだ。それも一人二人ではないところが、信じられない。智明が凄いのか女性たちが騙されやすいのか、そこら辺は分らないが望からすれば分らないほうがいいのかもしれないと思ってしまう。

「早瀬は今日も女のところか」

 敦の言葉に望は頷いた。

「あいつは忙しい奴だな」

「まあな」

「時間の使い方が間違っている気がするんだけどな」

「ははっ、確かにな」

 望と敦は目を見合わせて笑いあった。


 本の貸し借りを行うカウンターを占領するわけにもいかなかったので、望は敦をカウンターの中へと誘い入れた。二人で並んで座りながら、他愛もない話を重ねていく。

 よく見るテレビ番組や、好きな本、雑誌、音楽。話していくうちにお互い似たような趣向を持っていることに気が付いた。共通の話題があれば、それに付いて語り合う。持ち合わせる感想も似ていればそれだけ話は盛り上がっていった。


 キーンコーンカーンコーン。


 チャイムの音が図書室内に響き渡る。そこでふと、ここが図書室である事を望は思い出した。自分が図書委員として放課後の図書室の守番をしていることも同時に思い出す。ついつい仕事を忘れて話し込んでしまったと、望は少しだけ反省をした。

 改めて図書室内を見回すと、室内には望と敦以外の人の姿が見当たらなかった。

 いつの間にか、利用者全員が帰ってしまっていたらしい。

 窓から差し込む夕暮れの赤い光が、図書室内を情緒的に照らしている。

 壁にかけられた時計は5時半を過ぎたところだった。下校時刻だ。

 望はゆっくりと立ち上がる。室内をもう一度見回して、誰もいないことを確認した。

 振り返ると、敦も立ち上がっていた。自分の鞄を手にとって、望にも鞄を差し出してくる。

「帰るか」

 敦の言葉に望は頷いた。

 窓の戸締りを確認した後で、カウンターの隅においてあった鍵を取り上げた。

「そういえばさ」

 敦は思い出したように口を開いた。

「池戸って今まで付き合った子とかいるのか?」

 突然の敦の質問に、望は思考が一瞬停止してしまった。すぐにむっつりとした表情で敦をねめる。

「どうなんだ?」とさりげなさを装いながらも尚も聞いてくる敦に対して、望はもごもごと口を動かした。

「・・・いねーよ」

「ん?」

「いないよ!悪いかよ!」

 開き直ったように叫ぶ望を見て、敦は嬉しそうに笑った。それが望には馬鹿にされているのだとしか思えずに、苛立ちと恥ずかしさで逃げ出したい気分にさせていた。

「なんで急にそんな事・・・」

「いやー、ほら、早瀬も朝倉もモテるだろ。池戸もあいつらに女を紹介してもらっていたりするのかと思ってさ」

 確かに、智明はモテるといってもいいのだろう。望が知る限りで智明から女性の影が切れたことがないのだ。しかも、一人に特定された事すらない。だが。

「・・・大輝は」

 そこから先の言葉が、望には出てこなかった。

「朝倉もかなりモテるだろ。他校にもファンはいるし、剣道でもそうだけどあいつ目立つからな」

 朝倉の言葉に、望は力なく頷く。望も大輝にファンの女の子たちがいることは知っていた。手紙を受け取っているところも何度か見ている。だが、大輝に女性の影がちらついたことは今まで一度もなかった。

 自分が知らないだけなのか、それとも大輝がゲイだからなのか。それは望には分らない。

「大輝に・・・彼女っていたのかな」

 不意に疑問に思ったことが口を付いて出てしまった。望は慌てて口元を手で押さえたが、敦にははっきりと望の声が聞こえていた。

「いただろ」

 当然のことのように敦が言う。

「でもっ、あいつは・・・」

「中学のときにも何人かいたんじゃないかな。今はどうか知らないけど」

「え、・・・中学?」

「俺、朝倉とは同じ中学出身だから。噂は幾つか聞いてるんだよ」

「え!?・・・そっか、大輝と同じ中学だったんだ」

「殆ど話したことはなかったけどな」

「・・・へえ」

 知らなかった、と望は思った。それが何故だか疎外感を感じてしまう。

「しかし、そうなると池戸はまだ童貞か」

「は!?なっ・・・なにを」

 さらりと言われた言葉に、望は顔を赤くして口を金魚のように開閉する。

 敦に笑われて、望は更に顔を赤く染めていった。

「悪いかよ!」

 恥ずかしさを隠すように望が怒鳴った。

「悪くないって」

 敦は楽しげに声を弾ませる。

「むしろ良いかも」

「は?」

「いやいや、こっちの話し」

 忍び笑いを浮かべたままの敦は、それ以上の説明をすることもなく、望に背を向けた。図書室のドアにゆっくりと手をかける。

 未だに小刻みに肩を揺らす敦の背中を、望は力いっぱい睨みつけていた。


 がらり、と音を立ててドアが開かれる。

 敦は一足先に廊下へと出ていた。その後を追うように望も図書室の外へと歩き出る。

 廊下へと足を踏み出して、望は立ち止まった。

(・・・あれ?)

 僅かな疑問が胸の奥に浮かび上がる。

「どうした?」

「・・・いや」

 望は首を傾げる。はっきりとしたことが言えずに、敦には何でもないと言った。

 だが、なぜだか次の一歩が踏み出せない。

 何が気になるのか、望は視線を周囲にめぐらしていく。特に変わったものはない。望と敦以外の人影は見当たらない。

 では何だ?

 望は自分を落ち着かせるようにゆっくりと息を吸い込んだ。

 かすかに、見知った匂いが・・・する気がする。

 だから何なのだと、望は自分に聞いてみた。だが、答えは何も返ってこない。

 ただ、頭に思い浮かぶのは大輝の姿だった。

 見た限りここには大輝の姿はない。先ほどまでいたとして、自分に声を掛けずに帰ってしまうような薄情な男ではない事を望は知っている。

 やはり気のせいだと、望は思った。

 急に黙り込んでしまった望を心配するように敦が顔を覗き込んでくる。

「大丈夫か?」と気遣う敦に笑みを見せ、望は歩き出した。その横を敦が歩く。

 二人は並んで昇降口へと歩いていった。


 望と敦が昇降口へ向かうために階段を降りていく。

 それを見届けるようなタイミングで、物陰に潜んでいた大輝が姿を現した。

 二人の後ろ姿を、大輝が見つめていた。

 敦よりも5センチほど低い望の背中を食い入るように見る。

 握り締められた手に、いっそう力が込められた。

「・・・望」

 搾り出すような大輝の声は、誰に聞かれる事もなく、人気のない廊下に伝わり、消えていった。

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