03
「なんなんだよ!あいつは!」
智明の怒鳴り声が、昼休みの中庭に響いた。周囲にいた生徒達はちらりと智明を見るが、さして興味が惹かれたわけでもなくすぐに自分たちの時間へと戻っていく。
智明は他人の目をはばかることもなく怒りをあらわにしていた。握りしめられた焼きそばパンが悲鳴を上げている。
話し合いの末、大輝に謝ろうと決めた昼休みからずっと、望と智明は大輝に歩み寄っていった。それをあからさまに避けている様子の大輝に、二人は未だに謝罪の言葉を伝えられないでいた。
話しかけても反応がない、休み時間は何処かへと姿を消してしまう、目を合わせない。まるきり子どもの喧嘩のようにしか周囲には見えなかったのだが、当事者である望と智明は必死だった。どうにかして仲直りをしようと試行錯誤で挑むのだが、その努力をあざ笑うかのように大輝は二人と関わろうとしてこない。そんな状態が三日目に突入し、ここに来て智明の我慢の限界が越えてしまったのだった。
「俺たちも悪かったと思ってこうして譲歩してやってるのに、あいつのあの態度は何なんだよ!?」
わなわなと震える手の中にある焼きそばパンが、望は気がかりでならない。だが今それを言える雰囲気ではなかった。
望は、智明のような怒りを持ってはいなかった。あるとすれば寂しさに近い感情だった。あからさまに背中を見せられ拒絶されている現状が、息苦しいほどにつらく感じてしまう。あれだけ近くに感じていた大輝の存在が、今はとても遠くに感じてならなかった。
どうすれば元のような関係に戻れるのか、考えれば考えるほどにまずは話が出来る状況を作らなければならないと結論に達する。その状況を作るのにはどうしたらいいのかは、全く分からなかった。いいアイデアも浮かばない。それは智明も同じのようで、だからこそ苛立ちを募らせているのだろう。
「くそっ」
智明はつぶれかかった焼きそばパンを無理矢理口の中に押し込んだ。詰め込みすぎて咽てしまった智明は手元の喉に詰まったものをお茶で飲み下していく。それでも咳き込む智明の背中を、望は擦ってあげた。
苦しそうに、喉のつまりをとろうと智明は自分の胸を軽く叩く。その手が不意に止まった。視線を遠くへと向けている。望は智明の視線を追うように周囲を見回した。
渡り廊下の真ん中辺りで、一人の男子生徒が立ち止まっていることに気付く。望には見覚えのない顔だった。その男子生徒は自分たちを見ているようで、だが望と視線が合わないので智明を見ているのだと気がついた。
望が智明を見ると、智明は険しい表情で男子生徒を睨んでいた。ふんっ、と鼻を鳴らして盛大にそっぽを向く。
望は智明と男子生徒とを見比べた。智明に顔を背けられた男子生徒は、肩を落として校舎へと消えていってしまった。
「なあ、さっきのって」
「岡田とか言う馬鹿野郎だ」
むすっとした表情で智明がいた。
岡田、と望はその名前を口の中で繰り返した。
「あっ、まさかお前に告った先輩か!?」
望の張り上げた声に、智明は仏頂面で頷いた。
なるほど、と望は思った。好きだった相手にここまで嫌いですといった態度を見せられると、誰であっても肩くらい落とすだろう。
望には、男同士で恋だ好きだと言い合うことがいまいち理解仕切れていなかった。だが、先程の岡田の姿を思い出すと、さすがに哀れに思えてきてしまう。
「智明、さっきのはやり過ぎなんじゃねーの?」
もう少しやり方というものがあるだろうと望は諭す。
「何言ってんだよ!いいか、望。今回の面倒ないざこざは全てあのバカ田が原因なんだぞ!あのバカ田が俺に告ったりなんかしなければ、こんな事にはなっていないんだ!」
ただの八つ当たりとしか思えない言い方だった。しかも名前まで勝手に変えられている。やはり岡田を哀れに思ってしまう望だったが、智明の言うことに反論することも出来なかった。少なからず望も思っていたことだったのだ。あの告白の騒動が無ければ今この場所には大輝もいたのではないかと思ってしまう。
つらつらと考え込んでいる望を、智明は同意してくれていないのだと思いこんだ。自分は間違っていないのだと言うことを強調するように声を張り上げていく。
「それに、お前だって一度告られてみれば分かるぞ。マジでやばいって。明らかに俺を押し倒す気でこられたら鳥肌立つぜ、吐くぜ、絶対に」
智明は自分の腕をさすった。
「俺は年増な美人を押し倒したいんだっ。なんで好きこのんで男に押し倒されないといけないんだよ!」
「・・・その考えもどうかと思うけど。ならさ、お前が押し倒してみれば?」
「誰をだよ」
「えっと・・・岡田?」
「ありえねーよ!」
「そうか?」
「お前なら出来るってのか!?」
言われて、望は先程の岡田の姿を思い描いた。柔道部ということも会ってか、遠目でもかなり体格のいい男だった。ごついという言葉がよく似合っている。
「・・・無理だな」
「だろう」
智明のうなずきに、望も頷いて返した。
大輝ならばどうだろうか。
ふと、望はそんなことを思いついてしまった。
自分が大輝を押し倒したらどうなるのだろうか。望は想像してみる。
ベッドに大輝を押し倒し、大輝を見下ろす。ゆっくりと顔を近づけていく。キスをして、それから・・・。
(ありえねー。どうやったら俺が大輝を押し倒せるんだよ。不可能だろ)
望は頭の中の映像をかき消すように頭を振った。
大輝は望よりもひと回りも体格が大きいのだ。力で勝負しても勝敗は目に見えている。押し倒すことはもちろん、けり倒す事すら望には無理だ。それは望自身が一番身に染みて分っている。隣を歩けば、体格の差は嫌でも目に付いてしまうのだ。それに。
(あいつが女になるってのも・・・)
望は頭の中で大輝の姿を思い描く。そして街でよく見かける百合丘高校のセーラー服を着せてみた。ゆっくりと合わさっていく二つの残像。
うっ、と望は嗚咽を漏らした。
(似合わねー。・・・ってか、怖ぇーよ。マジで)
望は自分の想像力の豊かさに恐怖を覚えながら、鳥肌の立った腕を擦った。
大輝には女の役回りは想像すら出来ない。
(なら、・・・その逆ってのは・・・?)
大輝が自分を押し倒す。大輝に見下ろされ、自分は大輝を見上げ、ゆっくりと大輝の顔が近づいてきて。
(って、おい!男同士で何をするんだよ!?ヌキあうのかっ?・・・ない!絶対無い!無理!)
望は無理やり思考を止めた。
これ以上は考えられない。明らかに自分の許容量を超えているために、望むの頭はショート寸前だった。
望の心臓がどくどくと音を立てている。それを落ち着かせるように望は深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出していった。
同性愛というものに対する自分の中の偏見はどうしたって拭えない。それが大輝にも分かってしまっているのだろう。だから大輝は自分たちを避けているのではないかと思えてならなかった。
「もう、前のようにはなれないのかな」
呟いた望の言葉に、智明は黙り込む。
会話が途絶え、沈黙が二人の間に流れていく。
望は校舎を見た。
もう、前のように大輝と一緒に食事をしたり遊んだり、馬鹿な話で笑いあったりすることなど出来ないのだろうか。
そう思うと、望は一層の息苦しさを感じていた。
***
「起立っ、礼!」
学級委員長の掛け声と共に、教室内にいる生徒は正面を向いたまま腰を折った。
望もそれに習うように頭を下げる。
顔を上げると、クラス内はすでに浮き足立っていた。放課後になる瞬間というものは、毎日体感していても嬉しいものだ。机に拘束される授業から開放され、ようやく訪れた自由な時間をどう過ごすのか、それぞれが口々に相談しあっている。
そんな教室内で、望は一人沈んだままの心を抱えていた。
何をしても面白くない、授業はもちろん、智明と話をしていても心から楽しめない。一緒にいるのに目の前でため息を何度をされたら智明といえど言い心地はしないだろう。だが、今の望には沈んでしまった心をどうすることも出来ずにただ持て余していた。
「じゃあ、俺行くわ」
智明が、努めて明るい声で望に言った。
「今日もデートか?」
「おう。今日は久しぶりに美千代さんと会うんだよ」
「・・・それって確か、人妻の人?」
「そう」
智明はにやりとして言った。
「旦那が出張なんだってさ」
「旦那は働いて妻は不倫かよ」
「結婚しても刺激ってのは欲しいんだよ。特に家にこもりがちな専業主婦はな」
「お前に貢ぐ金も旦那が稼いでるんだろ。凄い世の中だよな」
「なんだよ」智明は顔をしかめた。「やけにからむじゃねーか」
不機嫌そうにして言った智明の声音に気付いて、望は自分の言った事に気が付いた。考え無しの発言を後悔しながら智明を伺い見ると、智明はそれほど怒っている様子ではなく、むしろ心配そうに望を見ていた。
「悪い」と望は言った。智明の付き合いに対して完全に理解しているわけではないが、それでも言わなくてもいいことまで言ってしまったという自覚はあったのだ。しょげた様に肩を落とす望に、智明は「気にするな」と言った。
「いろいろ思いつめるなよ。考えたってどうにもならない事もあるし、時間が経てばどうにかなる事もあるんだ」
智明が大輝の事を指していっているのだと分っていたので、望は力なく頷いた。
「望はこれからどうするんだ?」
「ああ、俺は図書委員があるから」
「そっか。大変だな」
「っていっても、ただカウンターの中で座ってるだけだからさ。利用者も少ないし」
「その座ってるだけってのが俺にはどうにも我慢できないんだよな。俺、絶対図書委員はできねーよ」
智明の心底嫌そうな声に、望は少しだけ笑みを浮かべた。
ふと視線を走らせると、ちょうど教室から大輝が出て行くところだった。剣道部の部活に出るのだろう。望の席で話している二人を振り返る事もなく、大輝はそのまま教室から姿を消していった。「じゃあな」とか「またな」とかの挨拶が一切ない。朝も、言葉を交わしていなかった。
(・・・大輝と喋ってないなー)
望はぼんやりとそんな事を思っていた。大輝の声を聞くことも、ここ数日は殆どなかった。どんな声をしていただろうかと思い出さなければ分らなくなってしまっている。もしこのまま大輝と仲直りする事が出来なければ、自分は大輝の声を忘れてしまうのではないか。そんな事を考えてしまった望は、固く一文字に結んだ口の中で奥歯を噛み締めた。
「望!」
声と共に、望は智明に思いっきり肩を叩かれた。
我に返ったように、望は智明を見る。
「そろそろ行かないと遅刻だから、俺は行くぞ」
「おう」
「大輝のことは、・・・また明日にでも考えるか。どうせ今日はもう話せるチャンスはなさそうだし」
「・・・だな」
「お前も図書委員頑張れよ」
「頑張るほど仕事はないけどな」
「ははっ、そりゃそうだ。んじゃ、また明日な!」
腕時計で時間を確認しながら、慌ただしく智明は教室を飛び出していった。
その姿を見送っていた望は、ゆっくりとした動作で自分の鞄を取り上げた。
「・・・行くか」
少し気だるそうに一人呟いて、望は教室を出て行った。
「おいっ、お前!」
背後から呼び止められて、望は廊下の真ん中で足を止めた。
望の向かう図書室は、校舎の3階にある。
一年生の教室のある4階と違い、3階は2年生の教室が並んでいた。部活などをしていない望には、上級生に知り合いなどいない。普通に考えると望を3階で呼び止める者など殆どいないのだ。だが、声がすぐ背後から聞こえてきた事もあり、不信に思いながらも望は立ち止まったのだ。
振り返ると、そこには見覚えのある男が立っていた。顔をしかめて、望をまっすぐ睨みつけてくるその男を見て、望は驚きで目を丸くした。
(バカ田・・・じゃなくて、岡田栄介だっ)
智明の嫌そうに歪められた顔と共に、智明に送られた真っ白い封筒が望の頭を過ぎった。
「話がある。ちょっと来い」
言いながら、岡田は顎をしゃくった。
途端に、望は不安になった。
(告白?・・・って、それはないな)
岡田の醸し出す雰囲気は、あまり穏やかではない。それこそ「生意気だ」「目障りだ」と因縁をつけられて呼び出されているような感じを受ける。とてもこれから告白をしようという人間の出す雰囲気ではなかった。もっとも、望は一度も告白など誰からも受けたことがないので、告白をしようとする人の出す雰囲気がどういったものかは分らない。分るのは、いきなり殴られないように気合を入れなければいけないという事だけだ。
(俺、何かしたかなー・・・初対面なのに)
岡田がどういった人物かも、望は知らないのだ。あえて言うならば、数日前に中庭から渡り廊下を歩く岡田の姿を遠めに見たくらいだ。そのときの印象は、智明にふられて落ち込む可哀想な男というだけだった。
「おい!」
岡田に叫ばれて、望は慌てたように岡田の後に付いていった。前を歩く岡田の背中を見つめながら、何とか逃げ道を見つけようと視線をさまよわせる。だが、逃げられたとしても明日以降待ち伏せされてしまっては意味がない。
(しかたない、どうにかして謝りつつ穏便に・・・いっそ、智明の名前でも出すか?)
思い至り、望は頭を振った。
(二人が付き合ってるならまだしもなー。智明の奴、バ・・・岡田先輩を振ったんだし・・・)
「逆効果だよなー」
「あ?」
突然の岡田の声に、望は吃驚して立ち止まった。
顔を振り仰ぐと、目の前にいる岡田は望に向き直っていた。周辺には人影はない。いつの間にか階段裏の死角となる場所にたどり着いていた。
(俺・・・ピンチか!?)
いっそこのまま走って逃げてしまおうかと望は真剣に悩んでいた。その考えを察したかのように、岡田は望の退路を断つ位置に身体をずらしていく。
じっとりとした視線で岡田に睨みつけられて、望は居心地の悪さと気持ち悪さを感じていた。岡田の目は決して好意的ではない。親の敵でも見るような目だった。
「・・・あの」
望は恐る恐る声を掛けてみたが、岡田にひと睨みされて口をつぐんだ。
しばらく岡田の視線から逃れるように望はうつむいたまま、時間が過ぎるのを待っていた。
「お前・・・」という岡田の声に、望は顔を上げる。未だに険しい顔つきのままの岡田は、いっそう眉を寄せて、言った。
「お前は早瀬の何なんだ?」
「・・・は?」
一瞬、望は何を言われたのか分らなかった。
時間をかけて岡田の質問の意味を考えてみる。だが、苛立たしげに「聞いてるのかっ?」と岡田に言われて、望はとりあえず答えなければと口を開いた。
「友達ですが」
それが何なのだ、と望は岡田を見る。岡田には、その目が自分を嘲笑し挑発しているようにしか見えなかった。一気に、岡田の頭に血が上っていく。
「・・・本当にただの友達なのかよっ」
「ただのって・・・友達は友達ですよ」
いったい何を言い出すのかと、望は岡田を訝しげに見る。
岡田は欺瞞に満ちた目で望を睨んでいた。その目の奥に、暗くどろりとした揺らめきを見て、望は少し背中に寒気を覚えた。周囲には相変わらず人影はない。表廊下に出る道は岡田が身体で遮ってしまっている。望は無意識に一歩後ずさっていた。
「隠すなよ」
全て知っているのだとでも言うように岡田は言った。これには望も不快感を表していく。
「一体、何なんですか」
これ以上の会話は馬鹿らしいと望は重く息を吐いた。
「俺、もう行かないといけないんで」望は付き合ってられないとばかりに岡田の横をすり抜けていく。だが、その歩みも岡田に腕を捕まれることによって阻まれた。
きつく握られた箇所に鈍い痛みが走る。望は振り返り、腕を掴んでいる岡田を睨みつけた。
「何なんですか」
「ちゃんと答えろ」
「だから、俺と智明は普通の友だちです」
望の口から智明の名前が出た瞬間、腕を掴む岡田の手に力が込められた。増していく腕の痛みに、望は顔を歪める。振り払おうともがいてみるが、岡田の手は緩むことなく、逆に一層強い力を込められていった。柔道部に所属している岡田とスポーツをほとんどしない望では、力の差は歴然だった。一回りも大きい体躯を持つ岡田には、望はどうやっても勝ち目は無い。力に訴えられたら抵抗することもままならないだろう。今ですらたいした抵抗も出来ないのだ。望の頭の中ではどうやって逃げるかという事にしか考えが及ばなかった。
「何で、・・・何でお前みたいな奴が早瀬の側にいるんだよ」
語尾を震わせて、岡田は言った。
大きなお世話だ、と望は思う。
「お前みたいな平凡な奴を、見た目も悪いし印象は薄いし」
岡田は望を上から下まで舐めるように見て、吐き出すように言った。
(俺は不細工じゃないぞ!普通だぞ!)
望は心の中で叫んではみるものの、声に出すことは出来なかった。岡田の濁った目が、恐ろしくなってくる。指先の震えを隠すように、望は手を握り締めた。
「俺は柔道部で大将をしているんだぞ。来年は部長になるんだ」
それがなんなのだ、と望は思う。だが、岡田は一人自分の世界に入ってしまったかのように話し続けた。
「俺が入ってから春の武道館ではベスト8までいったんだぞ」
自分の功績なのだと自慢げに岡田は言った。
「はるのぶどうかん?」
「全国高等学校柔道選手権大会だ。知らないのかよ」
(知らねーよ!)
「高校柔道三大大会の一つだぞ。その全国大会で俺はベスト8になったんだぞ」
(・・・それは、すげーな)
「俺がそこまで桂南の柔道部を強くしてやったんだよ」
(言い過ぎだろ。他の部員達が報われないじゃないか)
「俺は、お前みたいな何の取り柄もないような奴とは違うんだよっ」
(・・・俺が報われねーよ)
「どうして俺が駄目でお前みたいなのがいいんだよ!」
(どれだけ自信家なんだ、お前は!)
そこまで考えて、望は律儀に頭の中でツッコミを入れている自分が馬鹿らしくなってきた。やはり、こんな事に時間を割いてやるのは勿体ない。
捕まれたままの腕が自由になればすぐにでも逃げることが出来るのに、と望は忌々しく岡田の手を見下ろした。
「何で俺じゃ駄目なんだよ」
岡田の様子を見る限り、智明は岡田の言いたいことも言わせずに、何の説明もせずに告白を一方的に切り捨てたのだろう。いきなり男に告白をされて、驚きと衝撃で相手を思いやる事を忘れてしまったのだろう。それは仕方のないことかもしれない。自分が当事者であったとしても、そういったときに冷静でいられる自身は望むにはなかった。だが、智明のしわ寄せが自分に来ていることにどうしても理不尽さを感じてしまう。
(・・・ダチの為だしな)
ここは自分が大人になって弁明をしてやろうではないかと望は思い直した。ここで智明に貸しを作っておくのも良いだろうという計算も望の中にはあった。
(男だから嫌だってのが理由だけど、でもそれを言うよりは)
「智明の好みは一貫してますよ。スタイルの良い年増女が好きなんです」
これは言い過ぎだろうと望も思ったのだが、ほとんど事実のことなので仕方がない。望は岡田の様子を窺うように見た。
「ふざけんな!」
岡田は顔を赤らめて叫ぶ。口から飛び散る唾液が目に映り、望は嫌そうに顔を歪めた。望のその表情が更に岡田の怒りを膨張させていく。
「そんなことを言ってれば俺を誤魔化せるとでも思ってるのか!?」
「誤魔化すとかじゃなくて、本当にそうなんですってば」
「なら何でお前が早瀬の側にいるんだよ!」
「だからっ、俺は友だちだから」
「俺を馬鹿にしてるのか!?」
すでに、岡田には望の声など届いていなかった。
岡田は望の腕を掴んだまま、望を壁に押しつける。空いていた右手で、望の襟足を締め上げた。
息を吸い込めなくなり、苦しくて望は顔を歪める。必死に酸素を得ようと口を開けるが、上手く呼吸が出来なかった。
「お前、目障りなんだよ。お前がいるから!俺がこんな目に遭うんだ」
(ちがっ・・・俺は)
「か・・・関係、な・・・い」
「うるせー!」
岡田はもう一度望の身体を壁にたたき付けた。その反動で、望は壁に強く頭を打つ。その衝撃に、望は目の前に火花が散ったような錯覚を受けた。
「早瀬と別れろよ」
岡田は望に顔を寄せて、声を低くして言った。
「お前みたいなのがいると、早瀬も迷惑なんだよ」
「・・・な、んで」
息苦しさの中で、望はもがく。必死に振り絞った声は震えていて、それを岡田はあざ笑う。
「お前さえいなくなればっ」
「くっ・・・」
(こいつ、やっぱりバカだ)
薄れていく意識の中で、吉乃は視界に広がる岡田の歪められた顔を見つめていた。
「望!」
名前を呼ばれた気がした。
懐かしい声だ。
突然、望の身体が突き飛ばされる。締め上げられていた首は自由になり、一気に酸素が体中を駆けめぐった。その勢いに目眩を覚えながらも、望はふらつく身体を壁に寄りかからせて倒れるのをどうにか防いだ。
涙で滲む視界の中で、望は賢明に目をこらす。
望の目の前には、男の背中があった。その背中越しに、しりもちをつき手で頬を押さえている岡田の姿が見えた。
望は目の前にある背中を見つめた。どうして、という疑問ばかりが頭の中に浮かんでくる。
「・・・大樹」
弱々しい望の声に反応するように、目の前にいた大樹の背中がピクリと揺れた。
大樹が振り返り、望を見る。目を細めて、すぐに岡田に向き直った。望からは大樹の表情は伺えない。
「何をしているんですか?岡田先輩」
「それはこっちのセリフだ。いきなり殴りかかるなんて、どういう事だよ。お前がこんな乱暴な奴だなんて俺は知らなかったぞ」
吐き捨てるように岡田は言った。ゆっくりと立ち上がると、岡田は大樹を睨みつけた。
「望の首を絞めていた人に言われたくはないですね。自業自得でしょう」
「なっ、あれは・・・頭に血が上って」
「智明にきっぱりと振られたのに付きまとって、関係のない望に八つ当たりするなんて、岡田先輩らしくないですよ」
大樹の言葉に、岡田は顔を赤らめた。
「引き際を間違えると、見苦しいだけですよ」
「はっ、お前に言われたくねーよ!お前だってっ」
そこまで言って、岡田ははっとしたように口を噤んだ。少し血の気が失せたように顔色を悪くして、視線を大樹から逸らす。
「岡田先輩」
大樹に名前を呼ばれて、岡田の身体がビクついた。
「今回の事がばれると、先輩も大変でしょう。部活の方にも大きな影響が出る」
「なっ!?」
「二度と望に近づかないでください」
「・・・」
「お願いします」
大樹がわずかに頭を下げた。望にはどうして大樹が下手に出ているのかが分からなかった。
岡田の視線が、大樹から望に移される。まだ憎しみの篭もった視線ではあったが、望は岡田の目を怖いとは思わなかった。しめられた首をさすりながら、望は大樹の背中を見た。今までずっと横に並んでいたので気付かなかったが、大樹の背中がこれほど大きいものだったのかと望は驚きを隠せないでいた。
「・・・くそっ」
岡田は唾を吐き出すように呟いて、望達に背を向けた。そのまま何も言わずに足早に立ち去っていく。
ようやく張りつめた空気から解放され、望は安堵するように深く息を吐き出した。
「望」
見上げると、すぐ側に大樹の顔があった。何故か傷ついているような表情で大樹は望を見つめている。
「大丈夫か?」
「あ、ああ」
小さく望が頷く。大樹の目が、望の首元に向けられた。そこには、襟足をしめられた痕が赤く線のように残っていた。
大樹の表情がいっそう曇っていく。ゆっくりと、大樹の指がその痕をなぞっていった。優しくかすめていく大樹の指先に、望はくすぐったさを感じた。望が身じろぐと、すぐに大樹の手が離れていく。それが少しもの寂しい。
それでも大樹が側にいることが嬉しくて、望は笑みを浮かべた。
「ありがとな。助けてくれて」
乱れた制服を直しながら、望は大樹を仰ぎ見る。まっすぐな視線が大樹の目とぶつかった。大樹の目の奥に自分の姿を見て、望の心は弾んでいく。
「ほんと、大樹が来てくれなかったどうなっていたか。俺絶対にもうだめだって思ったもん。いきなり首しめられてさ。息できなくて」
その時のことを思い出したように、望の身体が震えた。
怯えていることを隠すように、望は言葉をまくし立てていく。
「でも、大樹が何であそこで頭を下げるんだよ。悪いのはあのバカ田なのに。向こうが謝るべきだろ」
そう言えば謝罪の言葉がなかったと、今更になって望は怒りをあらわにしていく。
「岡田先輩は、普段はあんな事をするような人じゃないんだ」
「は?だって俺は殺されかけたんだぞ」
望は大樹のまっすぐな視線に射られるように見られて、口ごもる。
「それはまあ、・・・言い過ぎだけど、でもさ!」
望は大樹の制服に手を伸ばす。自分の味方になって欲しくて、望は大樹に詰め寄った。大樹ならば絶対に自分の味方になってくれると信じていた。だが、大樹は望の手から逃げるように一歩後ずさる。
「大樹?」
「俺、部活があるから」
それだけ言うと、大樹は踵を返して歩き去ってしまった。
「大樹!」
叫んだ望の声は、大樹を呼び止めるだけの力もなく、むなしく廊下にこだまするだけだった。
「・・・なんで?」
一人、図書室へ向かう道すがら、望は何度もそう口にしていた。
ようやく話が出来ると思ったのだ。ちゃんと話せば、以前のように仲のいい友人に戻れると思っていたのだ。
だが、大樹は近づいては来ない。先程は助けてくれたのに、また自分を遠ざける。
どうしてこんな風になってしまったのか、と何度も繰り返し望は自問していた。
「やっぱり・・・」
望は足を止めた。足下を見つめたまま、自答を待つ。
(ホモとかゲイとかってことを気にしてるんだよな、大樹は)
そもそもの事の発端が岡田の智明への告白だったことを望は思い出した。先程の八つ当たりも重なって、望の中での岡田への怒りが膨張していく。
(あいつさえいなければ)
その思いに行き着いてしまった。だが、すぐにその怒りは鎮火する。今更言ったところで、時間を戻すことは出来ないのだ。
「どうすればいいんだろう」
望は重い足取りでまた歩き出した。
校舎内の人影はまばらで、たどり着いた図書室には4人の生徒の姿が確認できるだけだった。どれも見知らぬ顔ぶれに、望のテンションも下降の一途を辿っていく。
自分だけがひとりぼっちのような錯覚に陥ってしまう。それが無性に寂しくて、苛立たしい。
望は首を手で擦った。ゆっくりと指先で、痕があるだろう箇所を撫でていく。
心配をしてくれていたはずの大樹の顔を思い出した。それはすぐに、視線を逸らし背中を見せる大樹の姿に塗り替えられていく。
「分かんねーよ、馬鹿」
望は図書室のカウンターに突っ伏した。
下校時間となりようやく図書委員から解放された望は、忘れ物を思い出して教室へと戻っていった。
自分の席から明日提出用の英語のプリントを取り出すと鞄へとしまう。
さて帰るか、と望が席を立ったときだった。
「まだいたのか?」
がらりと、教室のドアが開けられて、望は声を掛けられた。勢いよく振り返ると、入り口にクラスメイトである三浦敦が立っていた。ゆっくりとした足取りで、敦は望に近づいてくる。
「・・・なんだ、三浦か」
期待はずれというように、望はぼやく。
「ずいぶんな言い方じゃねーか」
敦はへらりと笑う。
この敦という男は、常に顔に笑みを貼り付けているような男だった。言うことも半分は冗談が混じっている。クラスメイトの大半と仲良くしているが、誰か特定の深い付き合いをしている友人というのはいないように望は感じていた。広く浅く、という言葉を実践しているようだ。
「図書室に見に行ったらもう鍵が閉まってて誰もいないし、靴はあったから探したぞ」
敦の言葉に、望は首をかしげた。自分は敦に探されるような事をしただろうか。考えても思い浮かばないのでとりあえず本人に聞いてみることにした。
「何か用か?」
「いや、とくに何も無い」
「何だよ、それ」
望は笑う。だがこれ以上の会話が続かないのでさっさと帰ろうと歩き出した。「じゃあな」と敦の横を通り抜けたとき、背後から敦に声をかけられた。
「そういや、お前らまだ喧嘩してるのか?」
言われて、ぴたりと望は足を止めた。敦は大輝の事を言っているのだとすぐに分かり、望は顔を曇らせる。
そんな望を、敦は何か含むような笑みを浮かべながら見ていた。
「今時ゲイなんて珍しくもねーだろう。そこらにいる女の子なんてこの手の話は涎垂らす程好きだぞ」
「何・・・言って・・・」
望の心臓が波打つ。喧嘩していることはクラス中が知っていることだとは分かっていた。今まで始終一緒に連れ立っていた三人が突然二人になったのだ。不信に思わない者などいないだろう。だが、何故敦が大輝の性癖を知っているのか。そのことが望を不安にさせていった。
「まあ、今のは言い過ぎだけどな」
敦はニヤニヤとした顔つきで望を観察するように見ていた。
「でもさ、たかだか恋愛対象が同性だってだけじゃねーか。それだけで朝倉の人間性を否定しちゃ可哀相だろう。お前の男としての器の狭さが露呈するだけだと思うけどな」
敦の説教じみた物言いも、望の耳には届いていなかった。ただ、どうしても聞きたいことだけが頭の中で渦のように巻いている。
「お前・・・」
戸惑いながらも、望は言った。
「知ってたんだ」
「あ?ああ、朝倉がゲイだってことか。まあ、見てれば大体察しはつくよ」
敦の言葉に望むなうなだれた。自分は全く気付かなかった。学校で一番仲の良い友人だと自負していたのに、だ。
「そんなに気にするなって。あいつも上手いこと隠していたからな。気付いていたのは俺くらいなんじゃねーかな。ほら、俺って感受性豊かだから」
敦の冗談も今の望には笑えなかった。自分と敦とを比べて自己嫌悪に落ちていく。
背中を丸めて黙り込んでしまった望を見て、敦はどうしたものかと頭を掻いた。慰めればそれだけ望の気持ちは沈んでいってしまうだろうと分っていた。
敦は周囲を見回す。教室内には、望と敦以外は誰もいない。
ふと、敦は教室の入り口を見た。目を凝らせば僅かだが、人影が見える。うつむいている望はそれにまったく気が付いていないようだった。
敦は口の端を上げた。しょげている望の肩に、優しく自分の手を置いた。
「気付けば良いってもんでもないだろう。大切なのはどう受け入れてやるかだと俺は思うけどな」
「三浦」
「俺の場合は誰がどんな趣味していようが気にしないけど、それってつまりはその相手のことがどうでも良いってことだろ。池戸がここまで思い悩むのは、朝倉の事を大事に思っているからなんじゃないのか。友達としてさ」
敦の言葉に、望は少し考えるようにして小さく頷いた。
そんな望の姿に、敦は優しげな笑みを浮かべる。
「友達にそこまで大切に思ってもらえる朝倉が、少し羨ましいよ」
二度ほど軽く望の肩を叩き、敦は望から手を離していった。
爽やかな笑みを浮かべている敦をみやり、慰められてしまった自分を思うと望は気恥ずかしさを感じていた。いつまでもうじうじと思い悩んでいた自分がとても子供のようだ。目の前にいる敦が、同い年にも関わらず自分よりも随分と大人に感じていた。
恥ずかしさを紛らわすように、望は少し膨れた面をした。
「お前って、良い奴だったんだな」
わざとそっけない物言いで望は言った。敦は気を悪くした様子など見せずに短い笑い声を上げた。
「なんだそれ。今知ったみたいな言い方だな」
「今知ったんだよ。三浦ってもっと薄情な奴かと思ってた」
言ってから、望ははっとする。また言わなくてもいいことを言ってしまったと、ばつが悪そうに敦を見た。敦はただ笑うだけで望の言葉を気にしてはいなかった。
「ははっ。確かに俺は薄情な奴だと自分でも思っているけどな」
「でも、こうして俺の相談に乗ってくれてんだから言うほどじゃねーんだろ」
「・・・池戸限定でな」
「は?」
敦はにやりとする。
何を言われたのか分らずに、望は呆けたように敦を見た。いつもの軽い冗談でからかわれているのだと思い至り、望は「何言ってんだよ」と言いながら呆れたように肩をすくめた。敦へ向けていた視線がそれたために、望は敦が教室の入り口をちらりと横目で見たことに気付かなかった。
敦は望との距離を縮めるように一歩前へと出る。
「俺、結構お前のこと気に入ってるんだよな。何処をどう見ても平凡なのに、なんていうかほっとするっていうの?」
「・・・俺に聞くなよ」
「一緒にいると楽なんだよな、池戸って。だからずっと側にいたいとか思っちまう」
「え・・・ちょっ、三浦?」
すぐ間近にある敦の身体に、望は戸惑っていた。
「俺もさ、まさか自分がこんな事を考えるようになるとは思わなかったけど、俺は池戸の特別になりたいんだ」
「・・・何言って・・・」
「大勢いるダチの一人じゃなくて、本当のお前の特別ってやつにさ、なりたいんだよ。俺じゃあ無理か?朝倉の代わりにはなれないか?」
初めて見る敦の真剣な表情に、望は言葉を詰まらせた。自分が女であったなら、告白をされていると思っても不思議ではない状況だった。つい最近ゲイの存在をリアルに感じてしまっただけに、望は敦から告白を受けているのではないかという気にさえなってきてしまう。本当のところはどうなのか、望には分らなかった。確かめようにも、墓穴を掘ってしまいそうで怖くて敦に聞くことなど出来なかった。
二人は、誰もいない教室で少しの間見詰め合っていた。
徐に、敦が近づいてくる。望は身体をのけぞるようにして距離を置こうとした。だが、敦はそれよりもさらに近づいてきた。徐々に顔が寄せられる。敦の真剣な眼差しから、目が逸らせない。
お互いの息が感じるほどの距離まで敦が迫ってきていた。
自分の心臓の音が大音量で聞こえている。
(・・・やば、い?)
望は逃げることも出来ずに、敦の目を見ていた。
ガタッ。
突然の物音で、望は我に返った。
こわばった身体を無理やり動かして、一歩後退する。敦から少し離れてから、深く息を吸い込んだ。ゆっくりと息を吐きながら視線を泳がせる。
敦はにやついた顔で、教室の入り口を見ていた。
望も敦の視線を追うように教室の入り口を見る。そこには、大輝がはかま姿で立っていた。ひどく不機嫌そうな顔で望と敦を睨んでくる。その視線の険しさに、望は身体をびくつかせた。大輝の怒りの込められた目を、望は初めて見た。
怯えを見せる望をいたわるように、敦の手が望の肩に置かれた。
大輝の手が、ピクリと震える。
「サボりか?」
敦が聞いた。大輝は敦を睨む。ちらりと、望の肩に置かれた敦の手を見やり、一層顔を険しくさせていった。
敦は何が楽しいのかにたにたと笑いながら大輝を見ている。
大輝は敦から視線を逸らした。
「忘れ物をとりに来たんだよ」
小さく呟いた大輝の声に、「あ、そう」と敦はそっけなく答える。
「じゃあ、俺帰るわ」
いきなりそう宣言をして、敦は望から離れていった。側にある机の上に置かれた自分の鞄を手に取ると、敦は教室を出るために踵を返した。
「池戸、さっき俺が言ったこと、冗談じゃないからな」
片手を軽く振って、敦は教室の入り口へと歩いていった。大輝の横を通り過ぎる瞬間、くすっと笑みを漏らす。そのまま何も言わずに、敦は教室を出て行ってしまった。
教室には、気まずい雰囲気を残す望と大輝だけが残された。
大輝は敦が出て行った入り口を睨んでいた。
視線を合わせない大輝に、望は落ち着かない気持ちを持て余すように視線をさまよわせている。それでも何とか大輝に近づこうと話しかける言葉を探していた。智明とも話し合ったように、もう一度友達に戻るためのきっかけを作らなければと、望は必死で考えていく。そのことだけに気をとられていたためか、望は大輝の握り締められた拳が震えていることに気付かなかった。
「なあ、大輝」
恐る恐るといった様子で、望は大輝に話しかけた。
名前を呼ばれて、ぴくりと大輝の肩が揺れる。
大輝が振り返り、望を見た。久しぶりに二人の視線が合う。大輝が自分を見ていると認識して、望は緊張していた。
「あの、さ・・・」
次の言葉が思い浮かばずに、望はもごもごと口を動かすだけだった。
「さっきの、どうするんだ?」
唐突に、大輝が聞いてきた。何を聞いてきたのかが分らずに、望は大輝を見る。「さっきの?と望は大輝の言葉を繰り返した。たっぷりと時間をとってから、先ほど敦が言ってきた告白まがいの言葉のことを大輝が言っているのだと気がついた。
「あれはっ、・・・いつもの冗談だろ」
きっと冗談だ、と望は自分に言う。
「冗談じゃないと言っていただろう」
大輝の声が、望には冷たく感じた。それがとても、辛い。
「だけど、・・・そんなこと言ってもさ」
望は弱弱しい声を上げる。大輝は望の次の言葉を待つように押し黙ったままだ。
「・・・いきなりで」
「いきなりじゃなければいいのか」
「なっ、なんだよ!そんな突っかかるなよ!」
「・・・悪い」
望の逆切れにも似た叫びに、大輝が視線を背けて言った。その姿が、大輝がカミングアウトをした日の朝と重なる。男に告白されるとやはり気持ち悪いのか、そういう趣向の自分は気持ち悪いのか、そう大輝が思っているのだと望は感じた。
望はまた大輝を傷つけてしまったのだと感じて、慌てたように言いつくろっていく。
「えっと、ほら!告白だったかどうかも分らないだろ。相手はあの三浦なんだし。からかってたんだよ」
「告白にしか聞こえなかったけどな」
「って、お前どこから聞いてたんだよ」
「三浦が俺の話をお前にふった辺りから」
随分と前から話を立ち聞きされていた事に、望は多少の怒りと戸惑いと気恥ずかしさを感じてしまう。だが今は、とにかく誤解を解かなければという思いが望の頭の中を占めていた。
大輝に対して言い訳などする必要もないのだということは望にも分っていた。そもそも、言い訳をしなければならないような事を自分はしてはいない。それなのに、口をついて出てくる言葉は誰が聞いても言い訳としか聞こえないようなものだった。
「三浦はクラスメイトで、友達で、・・・それだけだし、それ以上なんて・・・思えないし。その・・・男だからとか、そんなことだけで言ってるわけじゃないぞ!俺だってそういう・・・その、なんだ。好みっての?そういうのがあることくらいは知ってるし。それで人間駄目ってことになるわけじゃないんだし」
ちらりと、望は大輝を見る。
どうにかして大輝と前のような友達の関係に戻りたくて望は必死だった。
「大輝とだって、こんなことくらいで今までの関係が終わりになっちまうのって、俺・・・嫌だ。嫌なんだよ!」
そうだ、自分は大輝と友達のままでいたいのだ。一番に伝えなければならない事をようやく明確に知り得ることが出来て、望は勢いを取り戻していった。
「そりゃ、いきなりゲイだなんていわれたら普通は驚くだろう。だけど俺は、智明もそうだぞ!お前のことはダチだと思ってるんだ!お前の趣味とか何とか、そういうのは関係ないんだよ。それで言ったら智明も大概おかしいだろっ。だから、・・・俺らもさ、理解できるように努力するし。だから」
言いたい事が上手く頭の中で整理できない。自分で言っている事がどうにも的を得ない事だと分っていても、望はこれ以上上手に話すことなど出来なかった。とにかく自分の中の思いを大輝にぶつけたい。それだけだった。そして一番に伝えたいことだけは、最初から決まっていた。
「前みたいには、戻れないのか?」
望むのまっすぐな視線を受けて、大輝は眉を寄せた。しばらく思案するように黙り込む。
ポツリと、「側にいたほうがまだまし、か」と呟いた大輝の声は、あまりにも小さいものだったために望は正確に聞き取る事が出来なかった。「何だ?」と聞き返す望の言葉を無視するように、大輝はぽつりと言う。
「いいのか?」
その言葉に、望は大輝を凝視する。
「俺はゲイだ。それでもいいのか?」
望は目を見開き、期待に輝いた目で大きく頷いた。
「気持ち悪くは、ないのか?」
これには望は大きく首を横に振った。
「気持ち悪い分けないだろっ。そりゃ、最初は驚いたけど、大輝は俺にとって一番のダチなんだから!」
望の力強い言葉に、大輝が少しだけ笑みを浮かべた。心から喜んでいるわけではない少し複雑そうなものであったが、表情が先程よりも柔らいていた。それを見て取り、望は少しずつ嬉しさがこみ上げてくる。
「・・・今はそれでいいか」とぼそりと呟いた大輝の言葉に、望は何を言っているのかと首を傾けた。
「何だよ、今はって」
「なんでもない」
大輝が笑った。それは、望が久しぶりに見る笑みだった。
(よかった。元に戻れたんだ)
そう思うと、望はこれで良かったのだと心底ほっとした。結果は上出来だと思う。
「それじゃあ、俺は部活に戻るな」
大輝の言葉に、望は「分った」といった。
「俺はもう、帰るよ」
望の言葉に大輝が小さく頷く。
大輝は本当に忘れ物があったらしく、自分の席まで歩み寄ると、机の中から一枚の紙を取り出した。それが、自分も忘れて取りに来た英語のプリントだったので、望はにんまりとした。
「部活の途中でそれを取りに来たのかよ」
「ちょうど休憩に入ったからな」
「そっか」
望と大輝は視線を合わせて、笑いあった。
「じゃあな」と大輝が背を向ける。教室を出ようとする大輝に望は声を掛けた。
「大輝っ」
望むに呼ばれて、大輝が歩く足を止める。
顔だけ振り返り、「また明日な」といった。その言葉に、望は顔を綻ばせた。
「ああ!また明日な!」
手をふれば、背中越しに大輝も軽く片手を振ってくれた。
大輝が教室から出て行った後で、望は教室の入り口を見つめたまま、上げていた手をゆっくりと下ろしていった。
久しぶりに心が晴れやかになっていた。望は上機嫌で自分のバックを取り上げる。
「・・・また明日、か」
大輝との関係が元に戻れたのだと確信できて、望は緩む口元を隠そうともせずに歩き出した。




