02
翌日、望が登校するとすでに智明が教室にいた。
昨日と同様に机に突っ伏している。なぜだか昨日よりも暗い雰囲気をまとっていた。
「はよっ」
とりあえず明るく声を掛けてみるが、智明の反応はなかった。
どうしたのかと訝しんでいると、教室に大輝が入ってきた。望は大輝と目配せをして、視線を智明へと移した。やはり昨日の呼び出しで何かがあったのだろう、と望は心配半分、湧き出す好奇心に引きずられるように智明の様子を伺おうと覗き込んだ。
「智明?」
名前を呼んでみると、ゆっくりと智明が頭を上げていく。その顔は、昨日よりも少しやつれているように見えた。顔色も悪く、病人のようだ。
「どうしたんだ?」
智明の顔に痣はない。ということは、昨日の呼び出しで殴られたわけではなさそうだ。
「昨日・・・」
智明が重い口を開く。望と大輝は智明の声に耳を澄ませていった。
「俺、呼び出されて行っただろ」
望と大輝は頷く。
「そこで岡田って先輩が待ってたんだけど」
一体何があったのかと、望はごくりと唾を飲み込んだ。
「・・・告白、されたんだ」
「・・・」
智明の言ったことがすぐには理解できずに、望は眉を寄せた。
(告白・・・って、あれか?好きですとか付き合ってくださいとかいう告白か?)
「・・・って、なんじゃ、そりゃ!?」
素っ頓狂な声を望は上げた。目を見開いて智明を凝視する。
智明は、珍しく苦渋に満ちた顔をしていた。
「好きだとか何とか言われたってことか!?」
「ああ」
「・・・うそだろ」
「マジ」
「・・・へえ」
望は引きつったように無理やりに笑みを浮かべた。
それを一瞥して、智明はまた盛大なため息を落とした。
「それで?どうしたんだ?」
興味深々に望が聞いた。
「どうもこうも、断ったよ。冗談でも言うな!ってな」
「冗談なのか?」
「そうであって欲しいよ」
智明は眉間に皺を刻む。その様子から、どうやら冗談ではないのだという事だけは望には分った。
「しかし、驚いたな」
「まったくだ。殴られる事を覚悟して言ったらいきなりだぜ。冗談にもならねーよ」
「いるんだな、そういう人」
一応男子校なので校内で噂されるカップルは全て男同士だ。だがそれらの噂の大半はただの余興であったり茶化しであったりするので、実際に男同士で付き合っているという人は望も智明もいまだに見たことはなかった。
「そういうのはテレビとか漫画だけでいいっつーの。やるならよそでやってくれよな」
心底嫌そうに智明は言った。
確かに、と望は頷いた。自分が同じ立場になっていたらと思うと、恐ろしくてそれ以上考えることは出来ない。正直、自分が呼び出されなくて良かったと思うほどだ。
(ま、俺みたいに平凡な男には呼び出しなんてかかるわけがないけどさ)
浮ついた話題の一つももったことのない望は自嘲する。
「そもそも、どうしたら同じ男を好きになんてなれるんだよ。俺には理解できねー」
智樹は頭を掻きながらぼやくように言った。望は頭を悩ませながらも頼りない声を返す。
「うーん・・・人として好きになる、とか?」
「馬鹿かっ、その理屈だと女も好きになる可能性があるってことだろ」
「そういう可能性はないものなのかな。それが普通なんだし」
「普通じゃねーから同じ男を好きになるんだろ」
「ホモってやつだろ」
「そうっ。正しくはホモセクシュアルっていうんだ」
「女の子同士だとレズだろ」
「ホモセクシュアルってのが同性愛者って意味だからな。両方の意味を含んでるんだってさ。ちなみに、バイ・セクシュアルが両性愛、つまり男も女もいける奴の事を言うんだよ。俺たちみたいに女が好きな奴のことはヘテロ・セクシュアルって言うんだってさ」
「へえ、・・・なんか詳しいな」
「・・・ネットで調べたんだよ」
智明が不愉快そうに言った。知らなくてもいい知識を仕入れてしまったことへのささやかな抵抗とでもいうのだろう。
「じゃあ、ゲイってのは?ホモってことだろ?」
「ゲイは男の同性愛者を指すらしいんだけど、一般の同性愛者の事を言う場合もあるらしい。さっき言ったレズってのがレズビアン。女の同性愛者って意味。それはまあ、ちょっと見てみたい気もするけどな」
「百合丘高校にはいるのかな」
「いるかもなー、ここにホモがいるんだから。お姉様とか呼んでるのかね。いいねー、ロマンだよなー」
「・・・どこがだよ」
望は呆れたように智明を見た。女同士で恋愛をされたら自分に回ってくる女の子が減るじゃないかというのが望の正直な気持ちだった。
「あー、でも・・・そっかー」
「ん?なんだ?」
「いや、な。ちょっと思い出したんだよ。ネットで調べてたらさ、ゲイってのの定義は結構曖昧なんだった」
智明の言葉に望は首を傾げた。言っている意味がさっぱり分らないといった様子だ。
「つまり、同性を好きになる事をゲイって言うだろ。だけど、ある特定の環境で同性に対して恋愛感情を持つこともゲイというんだ。もっと言うと、そういう特別な環境の中で同性に対して恋愛感情を持つ可能性がある人もゲイだといえないこともない。ってことは、同性に対して絶対に恋愛感情を抱かないという人以外はゲイの可能性があるってことだ」
「それって、誰でもゲイになるかもしれないってことか?」
「ってことだろ」
「・・・特別な環境って何だ?」
「例えばここみたいに男子校で女が周りにいないってところとかだろ。選べるのが男しかいないとき、人間は男を恋愛対象としてみることが出来るようになるらしい」
「・・・うっそだー」
「いや、マジ。そういう・・・人間の心理っての?研究している偉い人が言ってるんだとさ。ま、俺は違うけどな」
「・・・それは知ってる」
自分も違うのだ、と思いながら望は頷いた。
智明はいっそう表情を暗くして言う。
「よく分らないのは、同じ男に性欲を感じてもそれをゲイとは言わないとする考え方があるってことだ」
「・・・意味が分らん。何なんだ?それ」
「俺にもよく分らん。俺的には、性欲ってのは相手の魅力で感じるもんだけど、いるだろ、女なら誰でもいいとか、穴があればそれでいいとか」
「最低だな」
望は顔をしかめる。
「それと同じで男の画像とか映像とか、体の一部とかに感じる奴もいるんだってさ。そういうのは同じ同性愛者から見てゲイとは認められないという場合もあるんだとさ」
「・・・さっぱり分らん」
「そこに愛があるかないかの違いなんだろうな」
「愛、か」
「同性愛って言うぐらいなんだから、愛は必要なんだろ。俺にはその愛が理解できん」
「好きってことだろ」
「男は女を好きになるもんだ!特に熟女は最高だ!」
「・・・俺にはそれもよく分らんよ」
智明の力説に望は痛くなる頭を抱えるようにして呟いた。
「なあ、俺らってどうして女を好きになるんだ?」
ふと疑問に思ったことを望は聞いてみた。智明は馬鹿にするように乾いた笑い声を上げる。
「俺たちが男だからだろう」
「でも・・・」
「望は、男に対して好きだ惚れたなんてことを思えるか?」
「・・・っていわれてもなー」
「難しく考えるなよ。こういうことは理屈じゃないんだ。無理だと思ったらどうやったって受け入れられないんだよ。いいか、お前は俺と恋愛が出来るか?」
智明に聞かれて、望は智明を見た。智明も、美形とまではいかないが整った顔立ちをしている。これで甘い言葉を吐かれたら、確かに女性たちは気持ちが傾いてしまうのだろう。
じっくりと智明の顔を見つめる。そして想像してみた。もし女の子と付き合うならしてみたいことを思い浮かべ、その相手を智明に置き換えてみる。
朝待ち合わせをして学校へ行く。手を繋いで道を歩く。腕を組んだり、顔を寄せて囁きあったり。休みの日には待ち合わせをしてデートを重ねる。夕暮れの公園で二人は見つめ合い・・・。
「・・・ありえねー」
ぶるっと、望は身体を振るわせた。鳥肌の立つ腕を擦った。
「そうだろう」と智明は威張るようにして頷いた。
「男は女を好きになるもんだ。男なら女を抱きたいと思うんだよ。これが普通なんだ。神様が決めた事なんだよ。知識も理屈も関係ないんだ。無理なものは無理なんだ!」
智明は拳を作りながら超え高々に叫んだ。
「男にはあの柔らかい胸がないんだぞ、どうやってそれを好きになれというんだよ!」
「智明、胸のでかい女が好きだもんな。彼女さんたち皆そうだし」
「貧乳も好きだぞ」
「・・・聞いてねーよ、そんなこと」
胸を張って答える智明に、望は呆れたようにぼやいた。
「俺の好みは至って普通だぞ」
「・・・そうか?」
「そうだ!ちょっと年上が好きなだけなんだから!男が好きという男の方が異常なんだよ。どんなに理屈を並べたって、結局は少数派なんだ。それこそが、普通じゃないって事を証明しているんだよ」
智明は自分の言葉に絶対の自信でもあるように言い放った。
「そんなに悪い事か?」
今まで二人の会話を黙って聞いていた大輝が、ボソリと言った。
大輝の言葉に、望と智明はぴたりと会話を止める。
「岡田先輩はただ智明を好きになっただけだろう。それがそんなに悪い事なのか」
言われて、智明は顔を歪めた。
「お前も男に告られたら分るって。鳥肌立つぜ」
智明の言葉に、大輝は眉を寄せた。
「しかし・・・」
「何だよ、何でそんなに岡田って奴の肩入れするんだよ。何か?お前もおホモだちとか言うんじゃねーよな」
智明の言葉に、大輝は黙り込んだ。重苦しい空気が三人を包んでいく。
ややあと、智明が呟いた。
「・・・マジかよ」
信じられないといった様子で大輝を見る。
「何?何だ?」と一人状況を理解し切れていない望が、黙り込んでしまった智明と大輝とを見比べていく。
「こいつも男が好きなんだとよ」
ぞんざいな智明の物言いだったが、言われた内容のほうが衝撃的で、望はただ大輝を凝視するだけだった。
望に見つめられて、大輝は徐に二人から視線を逸らす。
「悪い」と小さく呟くと、静かに大輝は二人から離れていってしまった。
「でさ、中村の奴ズボンのファスナー全開だって気付かずに山口達を説教してたんだってよ」
「あははっ、笑える!」
望と智明は笑いながら手元のパンにかじりついた。
昼休みの中庭。数人の生徒がちらほらと昼食や昼寝をするために座り込んでいる。望と智明も同じように、昼食となるパンを購買で買い込んで中庭へと来ていた。いつものことだ。ただ、ここに大樹の姿が無いだけだった。
知り合ってから初めて二人きりで食べる昼食は、いつものように他愛もない会話を繰り返していてもどこかぎこちないものになっていた。時折、話が尽きたように二人とも口を閉ざす。短い沈黙の後、どちらからともなく無理矢理に会話を引きだしていた。そしてまた、沈黙が来る。その繰り返しだった。
どうにも、二人はいつものペースがつかめずにいた。大樹がこの場にいたとしても率先して話題を振ってくるような男ではないから、話をするのはいつも望と智明だった。大樹はただ側で聞いているくらいなのだ。それなのに、今ここにいないということがずいぶんと違和感を感じさせる。
望は校舎を見上げた。この建物の何処かに大樹はいるのだろう。一人で昼食をとっているのか、それとも他の誰かを誘っているのか。大樹が自分たち以外の者を誘いに行く様が望には想像できなかった。
「・・・あいつ」
ポツリといった智明の声に、望ははっとしたように智明を見た。
智明は視線を逸らす。
「何でもない」
不機嫌そうに黙り込んでしまった。
智明は大いに大樹の事を気にしている。それは望も同じだった。
「なあ」
大樹が離れていった朝からずっと思っていたことを、望は口にした。
「朝のはさ、俺らの方が・・・悪かったよな、きっと」
望の言葉に、智明は表情を曇らせた。押し黙り、何かを考えるようにじっと自分の膝の辺りを見つめている。
「・・・確かに、俺も言い過ぎた」
ぼそりと、智明が言った。
「いきなり男から告られたりして・・・誰だってイラっとくるだろ!」
「・・・だけど、さ」
「うん、頭に血が上っちまってさ、言わなくてもいいことまで言っちまった・・・気がする」
「俺も・・・何も言えなかったし」
二人は思い空気の中、次の言葉を探していた。
「大樹は、大樹だよな」
望の言葉に智明は大きく頷いた。
「そうだ!そうなんだよ!ダチの好みが少し普通と違っていたとしてもさ、あいつが俺たちのダチだってことには変わりないんだっ」
「そうだよな!」
「ホモだろうがゲイだろうが、大樹は俺らのダチだよな!」
「そうそう!って、ホモもゲイも同じことじゃないか?」
「ばっ、お前、ここで揚げ足とるなよ」
「ははっ、お前も大概馬鹿だよな」
「うるせーよっ」
智明が小さく咳払いをした。
「まあ、さ。俺も胸はれるような恋愛ばかりをしてきたわけじゃないしな」
「お前の場合は胸張れないようなことの方が多いんじゃないのか」
まだ大樹の方がましだと望は笑った。
智明は心外だとばかりに眉を寄せる。
「お前みたいに全くお付き合いの経験がないってのも俺はどうかと思うけどな」
智明の言葉に望の眉間がピクリと震えた。
しばらくにらみ合いが続いた後で、どちらからともなく二人は吹き出して笑った。
「とりあえず、大輝に謝るか」
「そうだな」
望は智明の言葉に頷いた。
これでまた、仲のいい三人組に戻れるだろう。そう思うと望の気分はようやく浮上していった。




