01
私立桂南高校は、今年で創立40年になる男子校だ。
学力レベルは県内でも五本の指に入るほど高く、全国でも有名な大学に合格者を多く出す高校としても知られている。歩いて10分のところには昨年まで女子高だった百合丘高校がある。今年から共学に変わったといっても、まだまだ女子生徒が多く通っている高校だ。これらの条件から、桂南高校の生徒は男子校に通っていてもそれなりに彼女を作る事の出来る環境におかれていた。
今年の春、桂南高校に入学した池戸望は、彼女こそ出来ないまでもそれなりに楽しい高校生活を送っていた。
同じクラスには仲の良い友人も出来た。
その一人が、今目の前に座って大きなため息をついている早瀬智明だった。智明は望がこのクラスに入って一番最初に挨拶ではない会話をした男だ。
「お前、彼女いる?」というのが、智明の第一声だった。今まで一度も彼女というものを持ったことのない望は、多少の恥ずかしさを堪えて正直に「いない」と答えた。その素直な物言いに好印象を抱かれて、望は智明に懐かれてしまった。聞きもしないのに始まった智明の彼女自慢は果てしなく続いていき、望はこの時自分の要領の悪さを自覚したのだった。
話を聞くうちに智明が普通ではない好みの持ち主だと判明する。智明の彼女はいずれも全てが20代後半から30代だったのだ。中には人妻もいるらしい。この時に二人の女性と付き合っていると言っていた智明は、現在では一人とは別れ新たに二人の彼女が出来ている。計三人の女性と同時に付き合いを重ねている智明を呆れ半分で少しだけ羨ましくも思ってしまう望だった。
「年上は良いぞ、優しくて甘やかし上手で、しかも包容力がある。色気もあるしな。同世代の女の子は我侭が多くて扱いにくい。付き合うなら絶対年上だって」
智明は最初からそう力説していた。その力の込めように少し気持ちが引いてしまった望だったが、今もこうして友達を続けているのだからそれほど悪い奴ではないのだと思っている。
もう一人は朝倉大輝という男で、剣道部に所属する男前だ。男の望むから見てもそう思うので、女性から見てもやはり魅力的なのだろう。知り合ってから大輝が他校の女性とに告白をされることがたびたびあることを望も知っている。だが望むの知る限り、大輝がそれらの告白を受け入れたことはない。理由は分らないのだが、望の予想では大輝の無口なところが彼女の出来ない原因ではないかと思っていた。普段から大輝はあまり感情を表に出さないためか「真面目」「堅物」といった印象をよく周囲からもたれる男だった。馬鹿話で腹がねじれるほど笑うこともなければ、自分から冗談を披露するようなこともない。自分のことも好んで話そうとはしないためか、望は大輝に付いては未だに何が好きで嫌いなのかも分らない部分が多い。意外につまらない男だと言う女性もいるら良いが、同性からの受けは悪くはない。信用のできる男というのが、桂南高校内での大輝への平均的な評価だった。望にとっては大輝も大切な友人の一人だ。智明と大輝と三人でいる時間が、とても楽しく感じているのだ。
「どうしたんだよ」
朝からずっと深いため息を繰り返した智明を前に、望は椅子を引いてきて座った。智明は自分の席で机に突っ伏している。
無言で智明から手紙を渡されて、望はそれを受け取った。
真っ白い封筒には「早瀬智明様」と書かれている。
手紙を渡されたという事は読んでもいいということだろう。望は遠慮なく封筒の中に入っていた手紙を取り出すと広げていった。
「今日の放課後、体育館の裏で待っています」
手紙には上手とは言えないような字で、そう書かれていた。用件のみを伝える端的な文面だった。
望は顔をしかめる。
「岡田栄介って、誰だ?」
下に添えられた名前を読み上げて、望は智明に聞いた。
がばっと勢いよく起き上がった智明は、じろりと望を見る。
「知らん!」
「・・・一年かな?」
「二年だろ」
背後からの声に望が振り返ると、大輝が望の手の中にある手紙を除き見ているところだった。
「あっ、大輝。おはよっ」
望むが顔を綻ばせる。
「はよ」
大輝は僅かではあったが笑みを見せた。こういう仕草が自分と比べると大人っぽいなと望はいつもの事ながら思ってしまった。
「何?今日は遅いんだな。いつも大輝が一番に来てるのに」
「さっきまで部活のほうに言っていたんだ」
「朝練?」
「いや、今度道場のある武道館が改修工事されるみたいで、それの打ち合わせだ」
「へえ、あのボロい武道館、やっと立て直すんだ」
望の言葉に大輝は苦笑いを浮かべた。
「改修工事だ。耐震補強が目的らしい。少しは綺麗になるんだろうけどな」
「なんだー。折角なら立て直せば良いのにな。そしたら体育の授業も少しはましになるかもしれないのにな」
望の暢気な声を上げた。
桂南高校にある武道館は、その使用率の殆どを剣道部と柔道部が占めている。一応体育の授業には剣道も柔道も組み込まれているので一年のうち三ヶ月程度は一般の生徒も武道館を使う事にはなっていた。その建物は高校創立以来あるもので、随分と年季が入っている。防具の匂いと汗の匂いが染み付いた館内は、授業でしか使わない生徒にとっては人気の低い場所であった。
運動自体が苦手な望にとっては、武道館は好んで行きたいと思う場所ではない。それでも目新しい情報に目を輝かせるのは、暇を持て余しているからだろう。
「そんな金がどこにあるんだよ」
智明の低い声が、望に向けられる。
「武道館なんてどうだっていいんだよ」
望とは違い運動神経は良いがスポーツ自体が嫌いな智明は、ぞんざいに会話を切り捨てた。
「それよりも」と智明は大輝に詰め寄る。
「大輝、この岡田って奴知ってるのか?」
智明の問いかけに大輝は頷いた。
「二年の先輩だ。柔道部にいるから顔も知っている」
大輝の言葉に、智明は「げっ!」と声を上げた。
「よりにもよって柔道部かよっ」
頭を抱える智明に、望はけらけらと笑い声を上げる。そんな望を智明は睨みつけるが、望は気にすることなくにやにやと智明を見た。
「自業自得だろ」
望の言葉に大輝が頷いた。
「お前の素行が悪すぎるんだ」
大輝も、望に同意するように言った。望は後押しが出来て勢いがついたのか、饒舌に智明を茶化していく。
「大方、この岡田って人の姉か母親か、もしくは彼女の姉とか母親とかにでも手を出したんじゃないのか」
「それで適当に遊んで切り捨てた、とかな」
「最低だな、お前」
「庇いきれん」
望と大輝の言葉に、智明はわなわなと肩を震わせた。
「お前らなーっ!」
「ま、潔く一発くらいは殴られてこいよ」
望の言葉に、智明は力尽きたといった感じでうな垂れる。
「やっぱり、行かないとまずいのかな」
行かなくてもいいか?という智明の視線を、望と大輝は首を振り却下する。
「この前みたいに教室にまで押しかけられての修羅場はもう嫌だろ」
先月の騒動を思い出して、望は苦笑する。
先月もこうして智明は呼び出しを受けていた。原因は、遊びで手を出した女性がこの学校の生徒の姉だった。智明は2回ほどその女性とデートを重ねたのだがどうにも思い込みの激しい女性だったらしく、早々に切り捨てたという。そうして傷つき引きこもりがちになってしまった女性の弟が智明を呼び出したのだが、智明はくだらないと無視をした。その結果、弟は望たちの教室に乗り込んできて、智明と乱闘を繰り広げたのだ。
どうにか騒ぎが収まったところで、観戦していたクラスメイトは口々に「年増キラー」とか「うらやましい」などとはやし立てていた。だが自分が同じ立場には絶対になりたくないというのが周囲の一致した見解だった。
「折角余計な揉め事を回避するためにわざわざ男子校に入ったってのに、なんでこんな面倒なことばっかり起こるんだよ」
智明はうんざりとして言った。
「そういや、お前の入学理由って、付き合ってる彼女が原因だったよな」
以前ちらりと聞いた事のある話題を望は振った。
「ああ」と智明は大真面目に頷いている。
「俺は同世代の女には興味はないっていくら言っても彼女たちは信じてくれなくてさ。やっぱり若い女のほうが良いんじゃないかとか訳が分らないことで怒ったり落ち込んだりするんだよ。俺が何度も言ったって完全に信じてくれないし。だからわざわざ男子校を選んだんだよ」
俺って優しいよな、と智明に言われて、望も大輝も素直には頷けないでいた。
「はー、どうして俺は男からの呼び出しなんてものを受けないといけないんだよ。あけみさんからの呼び出しなら授業サボってでも駆けつけるのに」
「それって新しい彼女?」
「そう、先週知り合ったんだ。29歳、広告デザイナー。美人だしセンス良いし、しかもスタイルよくってさ。普段はきりっとしてるけど二人になると結構可愛いんだな、これが。やっぱり付き合うなら年上だよな」
「・・・そんなことしてるから、めぐり巡って呼び出しが来るんだよ」
望が呆れたように言うと、智明は手紙の存在を思い出してうな垂れた。
「・・・仕方がない。行ってくるか」
「骨は拾ってやるぞ」
「いらん!」
けたけたと笑う望を智明は力いっぱいに睨んだ。
反撃に出ようと言葉を探しているうちに担任教師が教室へと入ってきてしまった。そこで三人の会話は中断され、他のクラスメイトたちと同様に望や大輝は急いで自分の席へと戻っていった。