7 欠けた記述と、再記述の咆哮
翌朝、ルミナリアの街は奇妙な静寂に包まれていた。
メンテナンスによって「昨日の喧嘩」を、怒りの熱量ではなく『事実(=リンが謝るまで許さないという定義)』として整理し終えたガイは、ディルクラムを抱えたルミナと共に、再び境界の『比翼の丘』へと向かっていた。
「ねぇ、ガイ。本当に、ソルとあなたの相棒は、ちゃんと謝ってくれるかな?」
「大丈夫だよ、ルミナ。リンは理屈っぽいけど、追い詰められると意外と脆いんだ。俺が『謝らないならメンテナンスをボイコットする』って言えば、絶対平気!」
ガイが軽やかに、相棒の善意を人質……もとい、脅しに使うと言うと、ルミナは「それはそれでどうなの……」と苦笑した。
その時、あたり一面の霧が急激に色を変えた。純白だった霧が、不吉な薄墨色の魔力を帯びて渦巻く。
「え…? これ、ルミナの精霊の加護……じゃない!?」
ガイが気づいた時には、背後に巨大な「虚無」が口を開けていた。
狙いは、精霊の愛し子であるルミナ。
彼女を反射的に庇い、その細い腕を掴んで引き寄せたガイだったが、そのままルミナと共に薄闇へと呑み込まれていった。
同時刻。
夏の都ソルシエラで、ソルの「言い訳練習」に付き合わされていたリンが、突如として手元のカニ通信機を凝視した。
双子蟹の針が、狂ったように震えた後、プツリと中立地点で止まっている。
「……反応が、消えた?」
「おい、どうしたリン? 顔色が悪いぜ」
「…ガイの反応が消失した。それも、ただの通信不良じゃない。空間そのものが遮断された断絶反応だ」
リンの指が、震えるのを誤魔化すように強くカニを握りしめる。頭の中に、最悪のシナリオが数式となって溢れ出した。
さて、ガイが次に目を開けた時、そこは薄闇に支配されていた。強く打ち付けた体の痛みをやり過ごす。
腕の中にルミナが収まっていることを確認し、小さく息を吐く。
二人が閉じ込められたのは、打ち捨てられた貴族の館のようだった。
廃屋となってどのくらい経つのか、建物自体は立派だが内装は随分と荒れている。
「ここは…、何処なんだ…?」
呟きながら辺りを見渡す。するとルミナが窓の外から見える風景に首を傾げた。
「あの山…。うちの領地から見える形と違うわ…」
言い知れぬ不気味さに二人が顔を見合わせて、口を開こうとしたとき、屋敷のドアがけたたましく開かれた。
「ようこそ!冬の都ルミナリエの精霊の愛し子よ!!そして、さようならだ!!!」
大声で宣告する男の名は――バルトロメウス・ズー・ネターリン伯爵。
妬みと強欲にまみれた隣領の領主であった。下卑た笑いは、噂が真実であることを如実に顕わしていた。
「『比翼の抱卵』さえ阻止すれば、ヴァランシエールは莫大な富を失う。独占されていた美食と繁栄が消えれば、我が領土に商機が巡ってくるのだ…! 」
外では、伯爵が雇った私兵たちが巨大な魔道砲の照準を定めていた。これは単なる嫌がらせではない、正真正銘の殺人を目的とした誘拐だ。
「なに、その急展開!!!」
ガイはルミナを背中にかばい、必死に指を組み合わせる。
「大丈夫、忘れてない!三角二つと二重丸!!!」
本来なら子供が最初に教わる初歩的な図形。
だが、ガイの膨大な魔力が流し込まれたそれは、絶対防御を誇る光の鉄壁『守護の六芒星』となって展開された。
轟音と共に放たれた光軸が防壁を叩く。強度は十分だ。建物を吹き飛ばす威力でも数発は耐えられる。
「……っ! 無茶だよ、ガイ!!」
「大丈夫、持ち堪えたら……リンが、来る!!!」
ルミナは耳を疑った。
昨日の様子を見る限り、全く歩み寄る気配のなかった喧嘩中の二人だ。ましてや、この危機を知らせる術もないはずなのに。
だが、巨大な魔道砲が最大火力の光を充填し、まさに放たれんとしたその瞬間…。
「…良く持ちこたえた!!! 鳥アタマ!!」
逆光の中、胸元のゴールドチェーンを眩く輝かせて現れたのはリンだった。
ガイは防壁を維持したまま、安堵を隠すようにフッと皮肉げな笑みを浮かべた。
「…遅いよ、王子様。眠っちゃうとこだった!」
「やかましい。てめぇが間抜けに捕まったから、こんなことになってんだろうが。こいつに追跡機能を追加すんのに、どんだけ手間かけたと思ってんだ、馬鹿野郎」
「げ!カニ壊れてんじゃん!!…助かったけど!」
二人は顔を見合わせ、同時にふっと笑った。
緊張感の欠片もない軽口だが、その視線はすでに獲物……、伯爵の背後に据えられた魔道砲へと向いている。
「…で、どうする? リンが製図して。俺がその『計算』を物理的にねじ込むからさ」
「ああ。お前のそのデタラメな出力を信じてやるよ」
手にした『光の魔道ペン』が、空中に鮮烈な数式の軌跡を描く。
リンが空中に固定した超精密な『魔導陣』。ガイはそれを視認した刹那、最大魔力を叩き込んだ。
「『粉砕』だ!!!」
二人の息が完全に重なり、爆音と共に逆転の術式が発動した。
魔道砲ごと伯爵と私兵を木っ端みじんに吹き飛ばす、文字通りの「粉砕」であった。
「ぎゃああああ! わたしの魔道砲がああ!!」
兵器と、死屍累々の私兵の山に、重なるように飛ばされた伯爵の甲高い声があたりに響き渡ったのだった。
「……ルミナ!!!」
呆然とへたり込むルミナのそばに、ソルが駆け寄った。焦燥と安堵が混ざり合った顔で、力強く彼女を抱きしめる。
「無事でよかった……!」
彼の太陽のような体温に包まれて、ルミナはようやく恐怖から解き放たれた。力の抜けたルミナが、とん…とソルに体を預ける。
「……あのね、ソル。……苺のことは、もういいわ」
「お、おう。俺も、ごめん。一緒に食べられなくて……」
目の前で繰り広げられる、あまりにも緊張感のないやり取りに、すっかり毒気を抜かれたルミナは、そっとソルを許したのだ。
「…あーあ、どうすんの、カイルのカニ。丸焦げにしちゃって…」
「成仏してもらおう…良いヤツだったな…」
「壊したら、弁償だよね?!!!」
ルミナの視線の先で、黒焦げのカニに手を合わせる二人を見ながら、ソルはルミナに耳打ちした。
「リン、信じられねぇ速さでアレを改良して、猛スピードで走りだしたんだぜ。俺、足に自信あったんだけど、全然追いつけなかったわ」
「とんでもなく、意地っ張りなのね」
両都市屈指の俊足であるソルが追いつけないほどの疾走。
どうあっても素直になれない二人を見つめ、ソルとルミナは「ああはなるまい」と笑い合う。
足元では、二羽の聖鳥がいつの間にか仲良く寄り添っていた。
いつもより少しだけ遅い春が、二つの都市にようやく、柔らかな光を運び始めていた。




