カラス族の彼は絶対に一夫一婦制 〜多婚制の世界で「まずはお付き合いから」と言った彼の愛は最高だった〜
「結婚しない? 六番目、空いてるよ」
そんな口説き文句とともに近づいてきたのは、ごくごく普通の人間男性だった。
「あ、あはは……お構いなく……」
ビュッフェ形式のパーティに参加していたエルミナは、曖昧な笑顔を浮かべながら、そそくさと友人の元へと戻った。
「あ、エルミナ。どう? いい人いた?」
「まだパーティが始まってから、5分も経ってないよ……」
エルミナの友人、ココットが取ってきた食事に口を付けながら、口をすぼめたのが分かった。
これは、彼女が小言を言う合図だ。
「今日はせっかくの合コンなんだから、もっとガツガツ行きなさいって。相手は大体が既婚者だし、優しくリードしてもらえるわよ」
「そうだね……」
――既婚者が合コンに来るんじゃない!
叫びそうになる衝動を抑えるため、エルミナは自分が取ってきた食事を口に入れた。
貴族制度がない異世界に転生したエルミナは、一度喜んだ。しかも、獣人が存在するということで、二度喜んだ。
前世の頃から、獣人族などの異世界ならではの生物が大好きだったからだ。
だが、ここは多婚制が当たり前だった。
転生者としての記憶が戻って以来、前世の価値観が抜けないため、この世界の当たり前とされる婚姻の形が、エルミナにはどうしても受け入れられなかった。
他人がしているのはいい。
だが、自分はせめて一夫一婦制が良いと思ってしまう。
そんなこんなで結婚話をのらりくらりと躱していると、見かねた友人のココットが、今日の合コンに誘う、もとい連行してくれた。
ココットはキジの獣人だ。そして、とにかく派手な男性が好きだ。
彼女は既に四人の男性と結婚しており、初めてそれを聞いたエルミナは文字通り腰を抜かした。
ちなみに、その男性たちも他に結婚している女性がそれぞれ何人もいると聞き、エルミナは文字通り気絶した。
それから、思えばこちらの世界のエルミナの両親も、あちこちに妻と夫がいたことを思い出し、白目をむいた。
人間も多婚が一般的で、それをみんなが受け入れているので、やっぱりこの世界ではそれが当たり前らしい。
自分は一体誰の子なのか、なんてことに頭を悩ませることはなく。
あるいは、俺とお前って異母兄弟だったんだな! なんてことも日常茶飯事なわけで。
今日もどこかでそんなドラマが繰り広げられているんだろうなと、半ば現実逃避をしながらエルミナはこの時間が過ぎ去ることを、ただただ祈った。
* * *
エルミナの願い通り、時間は過ぎ去った。
「とりあえず結婚じゃなくて、まずはお付き合いからじゃない?」
この言葉を何十回と喉奥に押し込み、必死に愛想笑いをし続けた。おかげで頬の筋肉は痙攣し、今もずっと愛想笑い中だ。
ちなみに、自分をここへ連行したココットは、あの人素敵と言ってどこかにふけて行ったきり、帰ってきていない。
多分、その男性を持ち帰ったか持ち帰られたか、どちらかしたのだろう。
「すみません」
また来たと、エルミナは勝手に引きつる頬のまま、諦めの境地で振り返った。
今度の相手は、黒い髪を綺麗に整えている男性だった。真っ黒な羽毛が耳の下に生えているのが見える。
この特徴を持つ獣人は、確かカラス族だったかなと、エルミナは記憶から引っ張り出した。
『エルミナ、よく聞いて。カラス族だけはやめておいた方がいい。あの種族は一度狙いを定めたら、死ぬまで離してくれないんだから。重すぎてみんな逃げ出すんだよ』
今日エルミナをこの場に連れてきた――そしてもういない――友人、ココットの言葉が蘇る。
愛に奔放なココットにそう言わせるカラス族は、一体どれほどの曲者なんだろう。
エルミナは無意識のうちに、警戒していた。
「恋人、あるいは婚約者。それか夫、または旦那と呼べる相手は居ますか」
「え、いえ……いません、けど」
あまりにも普通のことを確認され、エルミナは瞬いた。
「俺は、カイラスと言います。お名前を聞いてもいいですか」
「エルミナです。ご丁寧に、どうも」
壁に置かれている席まで案内され、カイラスはそっと座らせてくれた。
今日の合コンでエスコートはもちろんのこと、名前を聞かれたのさえ初めてだということに、エルミナは今になって気づいた。
この場に来ている人たちが、如何に結婚しか眼中になかったのかということを思い知った。
「よろしければ、お付き合いから始めませんか」
「喜んで!」
ココットの助言を無視してもお釣りがくるほどの魅力的な提案に、エルミナは一も二もなく飛びついていた。
こうして、エルミナには生まれて初めての彼氏が出来た。
* * *
ある日、エルミナは姿見の前で唸っていた。
「こっち……いや、あっち……」
今日は初めて出来た彼氏、カイラスと初めてのデートだ。
彼は、喜んでくれるかな。
そんな不安と期待を胸に、エルミナは持っている衣装を引っ張り出し、一生懸命おしゃれをする。
「あ、もうこんな時間! 急がないと!」
どれだけ着飾ったって、初日から遅刻してくる彼女だと知れば、彼に幻滅されてしまう。エルミナはカバンを持ち、慌てて靴を履いて玄関を出た。
「はっ、はっ……! ごめ、ごめんなさい……!」
必死に約束の場所まで走ったエルミナは、残念ながら遅刻してしまった。約束の時間より、3分オーバーだ。
「走って、来たのですか?」
「ま、間に合い、ません……でした……」
カイラスは待ってくれていた。
ただ、こちらを見るなり目を見開き、走ってきたことを確認された。
――きっと、怒っているんだ。
肩を上下させながら、エルミナはもう一度謝ろうと、口を開いた時だった。
「こんな姿、他の男に見せないでくれ!」
カイラスは顔を真っ赤にして怒りながら、息も絶え絶えなエルミナのことを思いきり抱き締めた。
「あ……なん、え……?」
ただでさえ頭に酸素が足りない状態なのに、突然の出来事にエルミナは全く反応できなかった。
今もなお抱きしめ続けてくる彼の腕の中、エルミナは呼吸を整えるので精いっぱいだ。
「くっ、こんな可愛らしいスカートを履いて走るなんて……。遅刻なんていくらしてもいい! だが、もう走ってはいけない! その姿を見ていいのは、俺だけだ!」
「は、はぁ……」
斜め上のお説教を受け、エルミナは生返事だった。
「あの、遅刻して、ごめんなさい……」
「あ……あ! いや、こちらこそ、急に抱きしめて、すまない……」
遅刻したことを改めて謝ると、それ以上にカイラスに頭を下げられた。
二人して頭を下げ合うのがなんだか面白くて、エルミナがくすくす笑うと、釣られるようにカイラスは頭を掻いていた。
わざとらしい咳ばらいをしたカイラスが、手を差し出しながら言った。
「改めて、デートに行きませんか」
「はい、喜んで」
カイラスが伸ばした手に、エルミナは自分の手を重ねる。
その手はとても暖かくて、彼の熱を感じたエルミナの胸が高鳴った。
* * *
「今日は行きたいところがあるのですが、構いませんか?」
「もちろんです」
デートの行き先を考えていなかったことにエルミナは今更気づき、カイラスに行きたい場所があって良かったと思った。
他愛のない会話をしながら、カイラスに手を引かれて連れて生きれた場所は、なんと宝石店だった。
「ここです。行きましょう」
――まさか、自分に宝石を?
そんな予感を、エルミナは慌てて振り払った。
いくらなんでも、初めてのデートで宝石をプレゼントはしないだろう。恐らくは自分用か、誰か大事な人へのプレゼントに違いない。
――自分以外の、大事な人?
カイラスが自分以外の女性に宝石を選ぶ姿を想像し、エルミナは胸が痛んだ。
「エルミナ? どうかしましたか?」
「いえ! すぐ行きます!」
家族だって大事な人なんだから、そっちかもしれない。
エルミナは悪い想像をする自分を叱責し、カイラスの後を追った。
色とりどりの宝石が並ぶショーケースを、カイラスは真剣に覗き込んでいる。
その横で、エルミナは所在なさげに店の中を見て回っていた。
宝石は、どれも綺麗だ。
しかし、これが自分以外の人にプレゼントされるんだと思う度、エルミナはつまらなくなっていった。
――恋人とのデートで、いきなり別の人へのプレゼントを選びに来るなんて。
なんだか、ふつふつと怒りが沸き上がってきているのを感じ、エルミナは慌てて首を左右に振った。
彼は、何も言っていない。
行きたい場所があると言い、そこが宝石店だっただけだ。
なのに、エルミナは一人で勝手にいろんな妄想を膨らませて、勝手に怒っている。これは、あまりにも理不尽だ。
――舞い上がりすぎてたのかも。
初めて出来た彼氏が、自分と同じ考えを持っていると勝手に早とちりをしてしまったのかもしれない。
さっきの情熱的な抱擁も、カラス族にとっては当たり前でしかなくて、誰にでもしているのかもしれない。
そんな考えが浮かぶ度、エルミナの目に映る宝石たちがくすんでいくようだった。
「エルミナ」
真剣に宝石を見ていたカイラスに呼ばれ、エルミナは顔をあげた。するとすぐそばに彼の顔があり、エルミナはどきりとした。
彼の真っ黒な瞳に吸い込まれてしまうんじゃないかと思うほど、じっと見つめられているのが分かった。
「エルミナの瞳は……スカイグリーン、いや違うな。オパールグリーンか?」
「え……と、わかんない、です」
エルミナの瞳の色は緑色だねー、ぐらいの温度感で言われたことはあるが、そんな細かい色まで見られたことはない。
自分でさえ、姿見を見て『緑色の瞳だな』という認識なので、やっぱり分からなかった。
「すまない! 彼女の瞳の色と完全に一致する宝石があるか、確認してもらえるか?」
「かしこまりました」
店員を呼んだカイラスが物凄く細かい注文を付けるので、エルミナの方がぎょっとした。
「いえ! あの、緑色で十分ですから!」
「ここだけは妥協できないよ。俺が、エルミナの瞳の色を持つ宝石を肌身離さず付けておくんだから」
「あ、そういう……」
どうやら、購入予定の宝石はカイラス自身の物だったらしい。
そのことを知って、エルミナは細かい色味より、別の女性に買うという可能性が潰れたことを喜んでいた。
「それで、あの、さ。良かったら、エルミナにはこれを身に着けてほしいなって」
カイラスに手招きで呼ばれた場所に行くと、ショーケースの中には黒色の宝石が埋め込まれた指輪がいくつも並んでいた。
「えっと、これですか?」
「いや、そっちはブラックだ。俺の瞳はグラファイトって色をしている」
やっぱり細かい指定があるんだなと、彼の行動が予測できたことにエルミナはなんだか嬉しくなった。
彼のことをちょっと知って、それが当たったことで自信につながったのかもしれない。
「出来るなら、この指輪を左手の薬指にしてほしい」
「左手の薬指――それって、あの……」
「正式な婚約指輪はまた今度、きちんとエルミナの要望を聞いて決めたい。でも今は、とにかく俺のものだという証を付けていてほしくて」
照れくさそうにしながら、それでも真剣に伝えてくるカイラスに、エルミナは慌てた。
「ま、待って。あの、私まだ、結婚まで考えてなくて……」
他の男性のようにすべてを吹っ飛ばしていきなり結婚、という考えの持ち主でなかったことに安心して、エルミナは彼と恋人になった。
しかし、まさか彼が『結婚前提のお付き合い』の意味で恋人関係を結んだ気でいるとは、露ほども考えていなかった。
エルミナは申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
もっとちゃんと、彼の話を聞いてから承諾していれば。
そうしていれば、今のように彼の時間を奪ってしまうこともなかったのに。
「……ああ、嬉しいな。どうしよう、エルミナ。俺はもう、君を諦められそうにない」
「ええ? 今の答えで、なんでそうなるの?」
貴方の強い気持ちとは温度感がありますよと伝えたつもりだったのだが、どういうわけか、さらにカイラスをその気にしてしまったらしい。
エルミナはますます混乱した。
「俺たちカラス族が、生涯一人の異性だけを愛し続けるってことは、知ってる?」
「愛が重い、みたいな話は、聞いたことあります」
「ああ、そんな風にも言われるね。俺にとっては、一人の女性を愛し続けるのは当たり前なんだけど」
カイラスはそこまで言って、肩をすくめた。
それを見て、エルミナは彼の言いたいことが分かった。
この世界は多婚制。複数の異性、あるいは同性を愛し、愛されるのが当たり前。
ちょっと気が合うと思ったらすぐに結婚して、やっぱり合わなかったと思ったらすぐに離婚する。
これが、この世界の当たり前なのだ。
「エルミナは、真剣に俺との付き合い方を考えてくれてる。だから、俺との恋愛の温度感を感じ取って、すぐにそんなつもりはないと誠実に答えてくれた。それが俺にとっては、凄く嬉しいことなんだ」
「そんな、私にとっては、これが普通で……」
しどろもどろになっている中で、カイラスの目が細くなったことに気づく。
それが、絶対に獲物を逃がさない獰猛さを感じさせ、エルミナはぞくりと身体を震わせた。
――かっこいいって、思っちゃった。
こんなにも強く求められることが初めてで、エルミナは急に恥ずかしさを覚えた。
「そんな可愛い顔、しないでくれ。本当に、手放せなくなる」
そんな風に言いながら、そっと手を重ねてくる彼はとても優しかった。
壊れ物を扱うように触れてくるのに、それでいて指を絡めてくる大胆さを見せられ、エルミナはくらくらした。
「私も、カイラスに溺れてしまいそう……」
ぽろっと零した言葉が、カイラスの瞳を大きく開かせた。
彼は素早く店内を確認し、誰もいないのを良いことに、顔を寄せてきた。
彼の唇は、とても柔らかかった。
「ごめん。もう手放せない。絶対に幸せにするから、俺の婚約者になってほしい」
この時になって、エルミナはようやくココットが言っていた『カラス族の愛は重い』の片鱗を味わった。
「二人で幸せに、なりたいです」
「っ……ああ、くそ、こんな格好悪いところ、見せたくないのに」
顔を真っ赤にしたカイラスは、顔をそむけてしまった。だけど手だけはずっと、絡められている。
――恥ずかしいのは、お互い様だよ。
そんなことを考えながら、エルミナにはこれが心地よかった。
自分だけを愛してくれようとするカイラスに、エルミナも精一杯、愛を持って答えていきたいと思えたのだった。




