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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
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『「君の執事役はもう辞める」とワガママ公爵令嬢に辞表を叩きつけた俺、隣国の聖女様に「是非うちへ」とヘッドハンティングされる

作者: 無音

クズ令嬢 × 有能執事 × 聖女 ざまぁのち、ハッピーエンド。

【プロローグ:終わらない夜】

 深夜2時。  王都の一等地に屋敷を構える、名門バーンスタイン公爵家。  その執務室には、まだ明かりが灯っていた。


「……ふぅ。領地の税収報告書の修正、完了。次は来週の舞踏会の招待客リストの整理か」


 俺、シリル・アシュレイは、山積みになった書類の山を前に、一人ペンを走らせていた。  年齢は25歳。  15歳の時にこの屋敷に拾われて以来、10年間この家に仕えている。現在は若くして執事長という肩書きを背負っているが、実態は「何でも屋」に近い。


 屋敷の管理、使用人の統括、財務処理、領地経営の代行、そして何より――この家の「お嬢様」のワガママの処理。  これら全てが、俺一人の肩にのしかかっている。


 コンコン。  控えめなノックと共に、年配のメイド長が顔を出した。


「シリル様……まだお仕事中なのですか? もうお休みにならないと、お体が持ちませんよ」


「マーサか。ありがとう、だが大丈夫だ。これを終わらせておかないと、明日の朝、お嬢様が癇癪を起こされるからね」


 俺は苦笑して答える。  本来、これらの業務は当主である公爵様や、家令がやるべき仕事だ。  だが、今の当主は病に伏せっており、実権は一人娘であるエリス嬢が握っている。そしてそのエリス嬢は、経営や実務には全く興味がない。


「シリルがいるのだから、シリルがやればいいじゃない。私のドレス代、もっと稼ぎなさいよ」


 それが彼女の口癖だった。  俺のおかげで領地の収益が倍増し、彼女が湯水のように金を使えていることなど、彼女は露ほども理解していない。


「……よし、終わった」


 最後の書類に印を押し、時計を見る。  もうすぐ4時だ。  6時にはお嬢様が起きる。それまでに朝食の準備と、ドレスのアイロンがけ、庭の手入れを済ませなければならない。


 睡眠時間は2時間か。いつものことだ。  俺は伸びをして、重い体を椅子から引き剥がした。  10年。  恩義ある先代当主のために尽くしてきたが、最近ふと思うことがある。


 ――俺の人生は、これでいいのだろうか、と。


【第1章:傲慢なる百合】

 朝6時。  俺は完璧に整えられたモーニングコートを纏い、最高級の紅茶と焼き立てのスコーンを載せたワゴンを押して、主の寝室へと入った。


「おはようございます、エリスお嬢様。お目覚めの時間です」


 カーテンを開け、朝日を取り込む。  天蓋付きの豪奢なベッドで眠っていたのは、この世の春を体現したような美少女だった。  エリス・フォン・バーンスタイン。18歳。  燃えるような赤髪に、宝石のような翠の瞳。  黙っていれば国一番の美女と讃えられる公爵令嬢だ。


 ……黙っていれば、だが。


「んん……眩しいわね。閉めなさいよ、無能」


 エリスは不機嫌そうに起き上がると、開口一番、罵声を浴びせてきた。


「申し訳ありません。ですが、本日は王立学園への登校日です。これ以上遅れますと……」 「うるさいわね! 私が眠いと言っているの! ああもう、朝からあんたの陰気な顔を見ると気分が悪いわ!」


 彼女は枕元のクッションを俺に投げつけた。  俺はそれを片手で受け止め、表情を変えずに定位置に戻す。


「朝食をご用意しました。アッサムのセカンドフラッシュと、お好みのベリーのスコーンです」 「……チッ。気が利かないわね。今日はパンケーキの気分だったのよ」


 昨晩、「明日は絶対にスコーンにして!」と言っていたのは彼女自身だ。  だが、それを指摘すれば火に油を注ぐだけだ。俺は静かに頭を下げる。


「直ちにご用意いたします。10分ほどお待ちください」 「5分よ。5分で作りなさい。1秒でも遅れたらクビにするわよ」


 理不尽。  だが、俺は「かしこまりました」と一礼し、厨房へと急いだ。  身体強化魔法を使い、常人の数倍の速度で調理を行い、完璧なパンケーキを焼き上げる。  執事としてのスキルだけではない。魔法、剣術、事務処理。あらゆる能力を極めなければ、この屋敷の執事は務まらない。


 再び部屋に戻ると、エリスは不満げにドレスを選んでいた。


「なによこれ。この青いドレス、先月の夜会で一度着たじゃない。私が同じ服を二度着ると思っているの?」 「……お嬢様、今月は既にドレスを10着新調されています。予算の都合上、少し控えていただかないと……」 「はあ? 予算? あんた、私の金を管理してる分際で、私に指図する気?」


 エリスは俺に近づき、ヒールの爪先で俺の脛を蹴った。  痛みはない。俺は密かに防御魔法を展開しているからだ。だが、心はすり減っていく。


「いい? シリル。あんたは私の執事よ。つまり私の奴隷も同然なの。金がないなら、あんたが稼げばいいでしょう? 腎臓でも売ったらどう?」


 彼女は残酷に笑う。  幼い頃は、もっと可愛げがあったはずだ。「シリル、シリル」と俺の後ろをついてきて、花冠を作ってくれたりした。  だが、両親が病に伏せり、彼女が権力を持ってから、彼女は変わってしまった。  いや、これが彼女の本性だったのかもしれない。


 俺は黙って、新しいドレスの手配をするために頭を下げた。


【第2章:砕かれた思い出】

 その日の夕方。  決定的な事件が起きた。


 俺が学園から帰宅したエリスを出迎えると、彼女は機嫌が悪そうに玄関のホールを歩き回っていた。


「ああイライラする! なんで私がBクラスなのよ! あの平民上がりの女がAクラスで、なんで公爵令嬢の私が下なの!?」


 どうやら学園の成績順位で、ライバルに負けたらしい。  それは彼女が勉強をせず、俺に課題を丸投げしているからなのだが……。


「ちょっと、シリル! 何か気晴らしになるものを持ってきなさい! 今すぐよ!」 「気晴らし、とおっしゃいましても……」


 俺が困惑していると、彼女の視線が、俺の胸元に留まった。  俺の燕尾服の胸ポケット。そこには、古びた銀色の懐中時計が入っていた。


 それは、10年前に亡くなった俺の両親の形見だ。  貧しかったが、愛情深く俺を育ててくれた両親。彼らが死ぬ間際、全財産をはたいて俺に遺してくれた、世界でたった一つの宝物。  俺はこれだけは肌身離さず持っていた。


「あら、それ。汚い時計ね」


 エリスが手を伸ばし、俺の胸から時計をひったくった。


「あ、お嬢様! それは……」 「なによ、銀メッキも剥げてるし、傷だらけじゃない。バーンスタイン家の執事がこんなゴミを持ってるなんて、家の恥だわ」


 彼女は時計を面白そうに弄ぶ。


「返してください。それは私の両親の……」 「両親? ああ、あの野垂れ死んだ貧乏人たちのこと?」


 エリスは嘲笑った。


「あんたみたいな孤児を拾ってあげたお父様に感謝しなさいよね。……ねえ、これ、いい音がしそうじゃない?」


 嫌な予感がした。  全身の血が凍るような感覚。


「おやめください!」


 俺が叫んで手を伸ばした瞬間。  彼女はニヤリと笑い、その時計を――大理石の床に力いっぱい叩きつけた。


 ガシャンッ!!


 硬質な音がホールに響き渡った。  繊細な歯車が弾け飛び、ガラスの風防が粉々に砕け散る。  俺の10年間の心の支えが、無惨なガラクタへと変わった。


「あ……」


 俺は膝をつき、震える手でその破片を拾い上げた。  もう直らない。  心臓の一部をえぐり取られたような喪失感。


「あはははは! いい音! ちょっとはスッとしたわ」


 エリスは腹を抱えて笑っていた。  彼女にとっては、ただの気晴らし。壊れた玩具の一つに過ぎない。  俺の心など、最初から存在しないかのような振る舞い。


 その瞬間。  俺の中で、張り詰めていた糸が――プツン、と切れた。


 怒りではない。  悲しみでもない。  ただ、急速に冷えていく感情。  ああ、そうか。  俺は今まで、こんな女のために人生を捧げていたのか。  恩義? 忠誠?  そんなものは、この砕けた時計と一緒に消え失せた。


 俺は立ち上がった。  表情は、今までで一番穏やかだったかもしれない。


「……エリス様」


「なによ? まだ文句があるの? 文句があるなら……」


「辞めます」


「……は?」


 エリスの笑い声が止まった。


「本日をもちまして、バーンスタイン家を退職させていただきます。辞表は後ほど、書面にて提出いたします」


 俺の声は、自分でも驚くほど冷静だった。  エリスは数秒間ポカンとしていたが、やがて顔を真っ赤にして叫んだ。


「は、はあぁぁぁ!? 何言ってるの!? 辞めるですって!?」


「はい。これ以上、貴女にお仕えすることはできません」


「ふ、ふざけないでよ! あんたみたいな孤児、誰が雇うと思ってるの!? この家を出たら、また路頭に迷うだけよ!?」


「構いません。少なくとも、貴女の元にいるよりはマシですから」


 俺は胸の執事バッジを外し、サイドテーブルに置いた。  それは、10年間の束縛からの解放の儀式だった。


「待ちなさいよ! 命令よ、辞めるなんて許さないわよ!」 「貴女の命令を聞く義務は、もうありません」


 俺は踵を返した。  背後でエリスが喚き散らしている。


「いいわよ! 出て行きなさいよ! あんたなんて代わりはいくらでもいるんだから! 泣いて謝っても絶対に戻してあげないからね! 野垂れ死ねばいいわ!!」


 その声を聞きながら、俺は自室に戻り、最低限の荷物(砕けた時計の部品を含む)をまとめた。  屋敷の使用人たちが、涙ながらに見送ってくれた。


「シリル様……本当に行ってしまわれるのですか?」 「すまない、みんな。後は頼んだ」 「そんな……シリル様がいなくなったら、この家は……」


 メイド長のマーサが泣き崩れる。  彼女たちは分かっているのだ。この家が誰によって支えられていたのかを。


 俺は夜の闇に紛れ、10年間過ごした屋敷を後にした。  二度と振り返ることはなかった。


【第3章:森の中の邂逅】

 屋敷を出た俺は、王都を離れることにした。  この国にいる限り、バーンスタイン家の影響力からは逃れられない。エリスが妨害工作をしてくる可能性も高い。  ならば、隣国『聖レムリア王国』へ行こう。  あそこなら実力主義だと聞く。俺のスキルでも、何とか食い繋ぐことはできるだろう。


「さて……まずは宿場町まで歩くか」


 俺は街道を歩き始めた。  所持金はわずか。退職金など出るはずもない。  だが、足取りは羽が生えたように軽かった。


 夜風が心地よい。  誰にも命令されない。明日の朝、罵声で起こされることもない。  自由だ。  25歳にして初めて手に入れた、本当の自由。


「これから、何をしようか」


 そんなことを考えながら、数日かけて国境付近の森を歩いていた時だった。


 ギャアアアアッ!!  キィィィィン!!


 前方の街道から、激しい争う音と、女性の悲鳴が聞こえてきた。  魔物の咆哮も混じっている。


「……盗賊か? いや、オーガの群れか?」


 関わりたくはない。  だが、悲鳴を聞いて無視できるほど、俺は落ちぶれてはいなかった。  それに、もし助ければ路銀くらいは貰えるかもしれない。


「……性分だな、俺も」


 俺は苦笑し、荷物を木の陰に隠すと、腰に帯びていた護身用のレイピアを抜いた。  執事時代、暗殺者から主を守るために磨き上げた剣技。  それが、まさかこんな形で役に立つとは。


 俺は音もなく森を駆け抜けた。  その先に、俺の運命を変える出会いが待っているとも知らずに。


 視界が開けた先には、横転した豪華な白馬車と、それを囲む10体以上のオーガ。  そして、傷ついた護衛騎士たちに守られながら、必死に祈りを捧げる銀髪の少女の姿があった。


「――助太刀します!」


 俺は戦場へと飛び込んだ。


「グガアアッ!?」


 オーガの一体が振り返るより早く、俺のレイピアがその喉元を貫いた。  一撃必殺。  巨体が音を立てて倒れる。


「なっ……何者だ!?」


 護衛の騎士が驚きの声を上げる。  俺は返事をする前に、次の獲物へと肉薄した。  身体強化魔法による高速移動。舞うような剣技。  10年間、あの公爵家で「完璧」を求められ続けた俺にとって、動きの鈍いオーガなど止まって見える。


「そこだ」


 シュンッ、シュンッ。  鋭い突きが次々とオーガの急所を捉える。  わずか数分。  圧倒的なオーガの群れは、一人の「執事」によって全滅させられた。


 俺はレイピアの血を払い、鞘に収めると、馬車の前に立つ少女に向き直った。  そして、染み付いた習慣で、優雅に一礼をした。


「お怪我はありませんか、お嬢様」


 顔を上げた少女を見て、俺は息を呑んだ。  銀の髪に、アメジストのような紫の瞳。  その美しさは、エリスとは違う――どこか神聖で、心が洗われるような清廉さを持っていた。


「あ……はい、私は無事です。貴方様は……?」


 少女の声は、鈴を転がすように澄んでいた。


「通りすがりの旅人です。シリルと申します」


「シリル様……。ありがとうございます。貴方が来てくださらなければ、どうなっていたか」


 少女は安堵の表情を浮かべ、それから慌てて周囲を見回した。


「怪我をした騎士たちは!? 誰か、治療を!」 「お嬢様、ポーションが尽きております!」 「そんな……」


 護衛騎士の数人が深手を負っている。  俺はため息をつき、自分の荷物から水筒と包帯を取り出した。


「失礼します。応急処置を」


 俺は手際よく騎士たちの傷口を洗浄し、回復魔法をかけながら包帯を巻いていく。  戦場での治療も、執事の嗜みの一つだ(と、エリスに無理難題を言われて覚えさせられた)。


「す、すごい……魔法と医療技術を同時に……?」 「手際が良すぎる……王宮医師レベルだぞ……」


 騎士たちが呆然としている。  治療を終えると、俺は携帯コンロでお湯を沸かし、なけなしの茶葉で紅茶を淹れた。  ショックを受けた時こそ、温かい飲み物が必要だ。


「どうぞ。安物の茶葉ですが」


 差し出されたカップを、少女は両手で受け取った。


「……美味しい。こんなに優しい味の紅茶、初めて飲みました」


 彼女は一口飲むと、張り詰めていた糸が切れたように、ポロポロと涙を流した。


「怖かった……。でも、貴方が助けてくれて……本当に、ありがとうございます」


 その涙と、「ありがとう」という言葉。  俺の胸に、温かいものが込み上げてきた。  エリスからは一度も聞けなかった言葉。それを、出会ったばかりの少女が言ってくれた。


 少女は涙を拭うと、改めて俺に向き直り、信じられないことを言った。


「私はソフィア。ソフィア・ド・レムリアと申します」


 レムリア……?  俺は目を見開いた。


「隣国の……聖女、ソフィア様ですか?」 「はい。お忍びで薬草を採取に来ていたのですが……」


 彼女は少し恥ずかしそうに微笑み、それから俺の手を取った。


「シリル様。貴方のような素晴らしい方が、旅人だなんて信じられません。……もしよろしければ、我が国へいらっしゃいませんか?」


「え?」


「貴方の剣技、魔法、治療技術、そして何より……この紅茶の味。貴方のような方に、私の側近――筆頭執事になっていただきたいのです」


 まさかのヘッドハンティング。  しかも相手は、大陸で最も尊敬される聖女様。  俺は戸惑った。


「ですが、私は先ほど前の主を辞めたばかりの、ただの失業者です。それに……」 「関係ありません。私は貴方がいいのです」


 ソフィア様は、俺の瞳を真っ直ぐに見つめて言った。


「貴方の瞳は、とても綺麗だから。……どうか、私を助けてくれませんか?」


 その言葉に、俺の迷いは消えた。  この方になら。この方の為になら、俺の全てを捧げてもいい。  そう思えたのだ。


「……謹んで、お受けいたします。我がマイ・レディ


 俺は片膝をつき、彼女の手の甲に口づけをした。  それが、俺と聖女様との、新しい契約の証だった。


【第4章:ホワイトな職場、ブラックな古巣】

 それから一ヶ月。  俺は隣国レムリアの王城で、聖女ソフィア様の筆頭執事として働いていた。


 そこは、まさに天国だった。


「シリル、今日は少し働きすぎではありませんか? もう休んでください」 「ですがソフィア様、まだ書類が……」 「ダメです。貴方の体が心配なのです。これは聖女命令ですよ? さあ、一緒にお茶にしましょう」


 ソフィア様は、常に俺の体調を気遣ってくれる。  罵声など一度もない。  何かをすれば「ありがとう」「すごいですね」と褒めてくれる。  時には、彼女の手作りクッキーを差し入れしてくれることさえあった。


「(……こんなに優しくされて、いいのだろうか)」


 最初は戸惑っていた俺も、次第に本来の笑顔を取り戻していった。  俺の能力は遺憾なく発揮され、ソフィア様の公務は円滑に進み、彼女の評判はさらに上がっていった。  俺たちは、誰が見ても理想の主従――いや、それ以上の信頼関係で結ばれていた。


 一方その頃。  国境を越えたバーンスタイン公爵家では、地獄のような日々が始まっていた。


「な、なによこれぇぇぇ!」


 エリスの悲鳴が屋敷に響く。  彼女の部屋はゴミ屋敷と化していた。  服は脱ぎっぱなし、食事は冷え切ったまま。  新しい執事を雇っても、誰もシリルのようには動けず、エリスの癇癪に耐えきれずに三日で辞めていく。


「ドレスが破れてるじゃない! 朝食が不味い! 庭が雑草だらけよ! ああもう、どいつもこいつも無能ばっかり!」


 さらに深刻なのは、財政面だった。  シリルが裏で回していた領地経営がストップしたことで、不正が横行し、税収が激減。  エリスの浪費癖だけは変わらないため、公爵家はあっという間に借金まみれになっていた。


「シリル……シリルはどこなのよ! あいつを連れ戻してきなさい!」


 エリスは爪を噛みながら叫ぶ。  だが、もう遅い。  彼女が捨てた「無能な執事」は、今や隣国の聖女の隣で、誰よりも輝いているのだから。


 そして運命の日。  各国の貴族が集まる『大舞踏会』が開催されることになった。


【第5章:星と泥】

 その夜、聖レムリア王国の王宮では、各国から貴族を招いた『大舞踏会』が華やかに開催されていた。  シャンデリアが煌めき、オーケストラの生演奏が響くホール。  着飾った貴族たちが談笑する中、会場の空気が一変する瞬間があった。


「あの方は……聖女ソフィア様?」 「なんてお美しい……隣にいるのは誰だ?」


 大階段から降りてきたのは、純白のドレスを纏ったソフィア様と、彼女をエスコートするシリル――俺だった。  俺はソフィア様に仕立てていただいた、夜空のような深い蒼色の燕尾服を着ている。   「シリル、緊張していませんか?」 「いえ。ソフィア様こそ、足元にお気をつけください。……貴女は今夜、誰よりも美しい」 「ふふ、貴方にそう言われると、自信が持てます」


 ソフィア様が頬を染めて微笑む。  その光景は、まるで絵画のように美しく、周囲の視線を独占していた。


 だが、その光の輪の外に、憎悪に満ちた視線を向ける者がいた。


「なによ……なによ、あれ……」


 ホールの隅で、グラスを握りしめて震えていたのは、エリス・フォン・バーンスタインだった。  かつての栄華は見る影もない。  着ているドレスは流行遅れで、手入れもされていないため皺が目立つ。肌は荒れ、化粧は濃く、焦りと苛立ちが全身から滲み出ている。


 借金取りに追われ、社交界での立場も失った彼女は、この夜会で金持ちの婚約者を見つけるために、招待状を金で買って潜り込んでいたのだ。


 だというのに。  自分が捨てたはずの「ゴミ」が、自分よりも遥かに高い場所で、自分よりも高貴な女性に愛されている。


「許せない……。あいつは私の執事よ……私の奴隷なのよ!」


 エリスのプライドは、どす黒い嫉妬となって爆発した。


【第6章:愚か者の叫び】

 俺とソフィア様が国王陛下への挨拶を終え、バルコニーで風に当たっていた時だった。


「ちょっと! 待ちなさいよシリル!」


 ヒステリックな声と共に、エリスがドカドカと歩み寄ってきた。  周囲の貴族たちが眉をひそめる。


「……エリス様」


 俺は静かに振り返った。  1ヶ月ぶりの再会。だが、俺の心は驚くほど凪いでいた。  かつて恐怖と義務感の対象だった彼女が、今はただの「品のない他人」にしか見えない。


「なによその格好! 生意気よ! 私の金で買った服なの!?」 「いいえ。これはソフィア様が贈ってくださったものです」 「うるさい! ……あんた、いいご身分ね。私がこんなに苦労してるのに、新しい女とよろしくやってるわけ?」


 エリスはソフィア様を睨みつける。


「そこの泥棒猫! 返しなさいよ! そいつは私の執事なの! 私が拾ってやった恩知らずの孤児なんだから!」


 あまりの暴言に、会場がざわつく。  だが、ソフィア様は一歩も引かなかった。彼女は俺を背に庇うように前に出ると、凛とした声で言った。


「言葉を慎みなさい、バーンスタイン公爵令嬢。シリルは『物』ではありません。彼は私の大切なパートナーであり、私の心を支えてくれる、かけがえのない男性です」


「はっ! 何がパートナーよ! そいつはただの道具よ! 私がいないと何もできない無能なんだから!」


 エリスは鼻で笑い、俺に向かって手を差し出した。


「ねえシリル。もういいわ、許してあげる。今すぐ戻ってきなさい。屋敷が汚いのよ、掃除して。あと肩も凝ってるの。今すぐ揉みなさい」


 彼女は本気で信じていた。  命令すれば、俺が尻尾を振って戻ってくると。  なぜなら、自分は選ばれた公爵令嬢で、俺は卑しい使用人だから。


 その傲慢さが、今はただ哀れだった。


 俺はソフィア様の隣に並び、エリスの目を真っ直ぐに見て告げた。


「お断りします」


「……は?」


「私は既に、ソフィア様に忠誠を誓いました。それに……貴女は勘違いされている」


 俺は懐から、あの日砕かれた懐中時計の破片を取り出した。  それをハンカチに包んで持っていたのだ。


「私が貴女に仕えていたのは、先代様への恩義と、幼い日の貴女への情があったからです。ですが、貴女はそれを自ら砕いた。……あの日、貴女がこれを床に叩きつけた瞬間、私の中の『エリスお嬢様』は死んだのです」


「な、なによそれ……たかが時計じゃない! 新しいのを買ってあげるわよ!」


「そういうところですよ」


 俺は冷たく言い放った。


「貴女には、人の心が分からない。だから誰もついてこない。……さようなら、エリス様。どうかお元気で」


【第7章:新しい時間】

「ま、待ちなさいよ! 誰が帰っていいと言ったの! 命令よ! 止まれぇぇぇ!」


 エリスが俺の袖を掴もうとした、その時。


 ガシッ。


 王宮の衛兵たちが、エリスの腕を取り押さえた。


「無礼者! 聖女殿下の御前であるぞ!」 「離しなさい! 私は公爵令嬢よ!」 「バーンスタイン家には、多額の負債と横領の容疑がかかっている。ご同行願おう」


「え……うそ、やだ、離して! シリル! 助けて! 助けなさいよぉぉぉ!」


 エリスは暴れながら引きずられていく。  その悲鳴は、誰の同情も引くことなく、遠ざかっていった。  俺は一度も振り返らなかった。


 静寂が戻ったバルコニー。  ソフィア様が、心配そうに俺の顔を覗き込んだ。


「シリル……大丈夫ですか?」 「はい。……不思議ですね。もっと胸が痛むかと思いましたが、今はただ、肩の荷が下りた気分です」


 俺が苦笑すると、ソフィア様はゴソゴソと何かを取り出した。  それは、新品の懐中時計だった。  プラチナで作られ、聖レムリアの国章が刻まれた、最高級の品。


「あの……これ。ずっと渡したかったんです」


 彼女は顔を真っ赤にして、時計を俺の手に押し付けた。


「貴方の壊れた時間は、もう戻らないかもしれません。でも……これからの時間は、私と一緒に刻んでくれませんか?」


 その言葉は、どんなプロポーズよりも俺の心に響いた。  俺は時計を胸ポケットにしまい、彼女の手を取って、深く口づけをした。


「……喜んで。我が愛しきマイ・レディ。私の生涯は、貴女と共にあります」


 月明かりの下、俺たちは誓いのキスを交わした。  過去の鎖は断ち切られた。  ここから始まるのは、最高の聖女と、彼女を溺愛する執事の、甘く幸せな物語だ。

最後までお読みいただきありがとうございます!


「執事かっこいい!」 「ソフィア様最高!」 「エリスの自業自得!」


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