ひと匙のための朝支度
店の鍵を差し込みながら、ミナは空を見上げた。
灯りの花が光を失いはじめる頃には、空の向こうで朝陽が輝き出す。
鍵を回し、扉を押す。
静かに軋んだ蝶番が、今日の始まりを告げた。
──マルグ市の茶館〈匙屋〉では、今日も素敵な「ひと匙」を提供するための支度が始まった。
* * *
窓を開けると、少し冷たい風がふんわりと流れ込む。
ミナはほうきを手に、床を軽く掃き直しながら、昨日の客を思い出していた。
こわごわ足を踏み入れ、元気に帰って行ったお嬢さん。
隅の席に本を置いたまま帰った、あの年配の常連さん。
いろいろな菓子を注文し、仲良く分け合っていた学生たち。
どの記憶にも、ほんのりと紅茶と砂糖の香りが混ざっていた。
「よし」
そう言ってカーテンを束ねると、朝の光が店内に差し込む。
その光を受けたほこりさえもきらめいて見えた。
カウンター奥の壁には一枚の絵。
『ひと匙の灯りの花』と題されたその絵は、かつてこの店を訪れた画家が、先代店主だった祖父に贈ったもの。
灯りの花のない時間だからこそ、お客様の心に、ひと匙ぶんの灯りを──
祖父は、よくそう口にしていた。
その絵は今、ミナの支えであり、そっと背中を押してくれる存在でもある。
まだまだ祖父には及ばないけれど、いつかこの絵のように。
ミナは、ひと匙ぶんの温もりを届けるべく、朝の支度を整えていく。
灯りの花の名物茶館に、開店の時間が近づいていた。




